現在、東京外国語大学では、大学が掲げる国際貢献の一環として、アフガニスタン・イスラーム共和国国立公文書館に所蔵されている文字資料群の調査・整理・保存事業を進めています。
東京外国語大学は21世紀COEプログラムの一つとして、アジア・アフリカ諸言語に特化した太平洋地域における中核的な史資料ハブセンターの構築を目的とした、「史資料ハブ地域文化研究拠点」プロジェクトを進めてきました。 ここでは、「現地との情報の共有」という同プロジェクトの理念に合致したものとして、アフガニスタン国立公文書館の史資料の調査・整理・保存を本学の独立した事業として協力・推進しています。
2003年6月、アフガニスタン情報・文化省の協力要請を受け、同年7月から9月にかけて、現地でフィーズィビリティ調査を行いました。その上で、 2003年12月に「アフガニスタン文字文化財復興支援室」が本学内に立ち上げられました。その後2004年5月にはアフガニスタン国イスラーム移行政権 情報・文化省(当時)と東京外国語大学との間で「アフガニスタン国立公文書館所蔵文字資料の整理・保存のための協力に関する合意書」及び「覚書」が締結さ れました。現在、準備期間を経て、史資料の整理作業が着々と進んでいます。
2001年9月11日の「同時多発テロ」事件以降、にわかにアフガニスタンが脚光を浴びることになりましたが、この地域は、近代の 国際政治や国際関係を考える上で、極めて重要な位置を占めてきました。にもかかわらず、この地域に関する研究は、これまで貧弱な成 果を見るにとどまっています。その最大の理由は、現地の史・資料が研究者の目に触れることなく、その体系的収集・保存がきわめて劣悪な状態にあったためで す。そうした中、ほとんど唯一アフガニスタン国立公文書館のみが、内戦の困難を潜り抜け、細々と収集作業を続けてきたと言えるでしょう。しかし残念なが ら、 これまでこれらの史資料は全くの未整理状態にあります。
本プロジェクトの調査・整理・保存事業は、これまで全く知られていなかった貴重な情報を私たちの共有財産として提供してくれるで可能性が極めて高 く、従来の研究の空白部分を十分に埋めてくれるものと期待されます。また本事業は、現在日本が国を挙げて取り組んでいるアフガニスタンへの 文化復興支援事業の一翼を担うものでもあり、その意味で国際貢献の一端を示す好機と位置づけることができます。
すでに触れたように、アフガニスタン国立公文書館(在カーブル)に所蔵されている文字史・資料群(ドキュメント類16万点、刊本類1万8千点)は、一部の写本類を除くと 全くの未整理状態のまま放置されています。本事業では、まずこれらに関する大まかな分類・整理作業を行ったうえで、資料としての重要性と保存の緊急性の観 点から、目録作成・保存の対象とすべき史・資料群(分類範疇)を選定し、それらについて目録作成作業を遂行することを目指しています。また、特に重要と考えられる史・資料ア イテム、紙の劣化などの保存上の危機に瀕しているものについては、複製を作成(デジタル化)し、その一部を資料集として刊行したいと考えています。
アフガニスタン国立公文書館の歴史は、1970年代後半にさかのぼります。1978年にアフガニスタン人民民主党によるクーデターが勃発、同党に よって樹立された政権は、アフガニスタンの国民文化を称揚し、同国民の文化的資産の収集に力を入れるようになります。その一環として、国民の過去を伝える 文字資料類の収集・保存を担う機関として1979年に設立されたのが、国立公文書館です。同公文書館は、旧王家や旧司法省、旧議会などに所蔵されていた文 書類を接収、これが現在の同公文書館の所蔵資料の中核をなしています。
その後、ソ連軍の侵攻や激しい内戦などの政治的激動の中で、国立公文書館は幾度も存亡の危機に曝されてきたが、幸運にも、カーブル博物館とは異な り、奇跡的に略奪や戦禍を逃れてきました。そこには、資料を守り通してきた館員・関係者らの並々ならぬ努力と熱意がありました。彼ら館員の職業意識・使命 感の高さは、特筆すべきものといえるでしょう。
現在のアフガニスタン国立公文書館は、以下のような組織となっております。
アフガニスタン国立公文書館所蔵の資料群の具体的内容は、はっきりとは分かっていません。というのも、コーランなどの写本類やほんの一部のパシュ トゥ語の資料を除いて、未整理の状態にあるからです。推定で16万点の資料が所蔵されているとされていますが、そこには写真などの非文字資料も含まれてい ます。
同館紹介のパンフレットによると、同館に所蔵されている資料は以下のようになっています。
国立公文書館に所蔵されている主な文字資料は、西暦10〜11世紀のものとされるダリー語訳付のコーラン、西暦10〜11世紀の著名な書家にして詩 人であったミール・アリー・ハラヴィーのナスタァリーク書体の書、西暦15世紀後半から16世紀初頭かけてヘラートに拠ったホセイン・バイカラの勅令 (1480年)など、前近代の貴重な歴史資料も多数含まれていますが、中核をなすのはやはり、ドゥッラー二―朝(1747年創建)期以降の資料になります。
とりわけ19世紀以降、特にアブドゥル・ラフマーン・ハーン(在位1880−1901)やハビーブッラー・ハーン(在位1901-1919)、ア マーヌッラー・ハーン(在位1919-1929)らがさまざまな近代化・西洋化政策を推し進め、現代アフガニスタンの基礎を形作った時代にかかわる資料類 が豊富に含まれています。
本学とアフガニスタン情報・文化省との間で取り交わされた基本合意書では、事業期間は2004年から2009年までで、2004〜05年の第一期に は基礎的調査を行い、2006〜07年の第二期には目録作成作業に進み、第三期の2008〜09年には資料保存作業に入ることになっています。
現在(2007年4月)、基礎的調査・準備はすでに終了しており、2006年8月からは新聞コレクションの基礎データの収集が行われました。その結果、同 館の所蔵整理番号別としては333点、またタイトル別では、アフガニスタン国内発行によるものが71タイトル、イランでの発行にかかるものが27タイト ル、ラホール(パキスタン)発行のものが1タイトル、カルカッタ(インド)発行のものが1タイトル、ベルリン発行のものが1タイトルであり、総点数としては 101タイトルの存在が確認されました。
現存するアフガニスタンで最も古い新聞とされる「シャムソン・ナハール紙Shamson-Nahar」、1928年の創刊以来、息の長い発行を続け ている「アニース紙Anis」、アフガニスタンに史上初めて共産党政権を樹立したアフガニスタン人民民主党ハルグ派の機関紙「ハルグ紙Khalq」など、 同国の近現代史研究には不可欠の諸紙が所蔵されていることが判明し、そのいずれもコレクションとしての完成度は極めて高いと考えられます。
アフガニスタン・イスラーム共和国国立公文書館(以下、公文書館)は、国民の過去を伝え、その歴史的記憶を担保する文書資料類の収集・保存を担う機関として1973年に礎石が置かれて以来、細々とではあるが資料の収集作業が続けられてきた。その間、ほぼ恒常化していた政治的不安定、内戦などの危機的状況にあって、幸運なことに、全くといってよいほど人為的破損・略奪を受けることなく、現在に至っています。
しかし、残念ながら、所蔵文字資料群も大半は全くの未整理状態のままに放置されてきた。加えて、十分な保存管理体制が構築されていないこと、所蔵環境の劣悪さなどの理由から、所蔵資料の多くに重大な損傷が生じており、現在、それらへの然るべき対処が迫られている。とはいえ、それを可能とする資金的裏付けもきわめて困難な状況にあるうえに、そうした作業を実際に担い得る現地スタッフが枯渇しているのも実情です。
以上のような状況に鑑み、本学では現地公文書館における所蔵資料群の調査・整理・保存事業と並行して、公文書館職員を日本に招聘し、文書資料の修復・保存技術および整理の方法に関する研修を行ってきています。
わが国の文化庁の全面的バックアップの下、2005年度には二ヶ月間の日程で公文書館の歴史資料部門主任およびカード・カタログ部門主任の2名を、また、2006年度には40日間の日程で歴史資料部門のスタッフ、写本部門主任、刊本部門主任の計3名を本邦に招聘し研修を実施した。この際、資料論や資料整理に関する研修は本学で行われたが、修復・保存に関する技術関係の研修は日本の国立公文書館の全面的な協力の下に行われました。