語学研究所の歩み
 東京外国語大学語学研究所は、昭和34年(1959)6月10日、 33名の所員をもって所員総会を開き創立趣意書及び研究所規程を承認、正式に発足した。 初代所長には小川 芳男、幹事に東郷正延、鐘ヶ江信光、徳永康元、家島光一郎、土井久弥、半田一郎の諸氏を選任した。 同時に組織、事業の具体的検討を幹事会に一任している。 創立趣意書の原文を以下にあげる。

「近時交通機関の発達によって世界は著しく狭少となり、各国間の往来がいよいよ繁くなりつつあると共に、 一面民族独立により多くの独立国が誕生している。 新しい時代に適応しつつ諸外国と外交・政治・文化・経済その他各般の友好をはかって行く為には、 第一条件として広くそれらの国の言語の学習がとりあげられなければならないにも不拘、本学に於て現に研究・教授している外国語の数は14に過ぎない。

 現在のこれら14種類の言語について、各般の研究を推進すると共に、 更に、現に生きた言葉として使用されている諸言語をも併せて研究することは、 語学研究と教授を使命とする本学の刻下の急務であると信ずる。

 広汎にわたる諸言語の個々の研究を進める一方、 各研究者が互いに密接に関連を保ちつつ諸言語の比較研究を行うことによって言語研究に新生面を開くと共に、ひいては諸言語の背後にある諸文化の研究に資し、 又我が国語との比較にも及んで日本語の研究に資する所も少くないと信ずる。

 言語の研究は歴史的研究はもとより大切であるが本研究所は主として、 共時的なものの研究に中心を置き、現に話されている言語の実態調査を基盤として研究を進めて行きたい。 従って具体的は方法としては、従来の書籍中心の研究所を一歩前進させて、 関係図書の充実と共に言葉の録音を集大成し、声のライブラリーにまで発展させたい念願である。 又、世界の言語地図の作成、 諸言語の比較研究及び紹介指導書の編集なども早急に実現し生きた言葉の研究センターたらしめたいと考えている。

 次に、これら諸外国語及び外国語としての日本語の最も効果的な教授法並びに学習法が研究されなくてはならない。 本学で現に教授している外国語を中心として、最新の教授法及び教授施設を参考にして我が国に於ける理論的並びに実際的の外国語教授法研究の中心としたい。 その為には図書・資料の収集、広汎な調査並びに音声研究機械の設置・放送受信機・各種録音設備などの完備を期したい。

 以上要するに、世界の生きた言語の研究と語学教授法研究の二つを中核として言語の実態を極めることは 本大学にして始めて成し得る事業であり、又本学に与えられた使命であると確信する。」

 後述する『語学研究所所報 第1号』には、所長の小川芳男教授による「語学研究所の構想」が掲載され、 研究所の事業及び活動の方向性が示されている。

「外国語を学ぶということは二つの意味をもっている。 一つは諸外国の色々なことを研究するための手段としての外国語の学習であり、 今一つは、外国語それ自体を、言語現象の一つとして研究の対象とすることである。

 第一の意味に於ける外国語の学習は、ability又はskillの習得であり、音楽や絵画などと同様、 技術の習得にその主眼があると云えよう。 第二の外国語そのものを研究の対象とするというのは広い意味の言語学の研究、又はその一分野である。

 外国語大学の使命に関しては、いわゆる学則にうたってあること以外に、いろいろな意見があるであろう。 しかし、実際を分析してみれば、以上の二つを兼ねているということができよう。 即ち後期に於て国際コースに進むものにとっては外国語は大なり小なりそれ自体が研究の対象であろう。 その何れが重いということは早計に判断し難い。 家を設計する人と、家を建てる人とどちらが偉いかということは、比較するのが無理である。

 しかし私見によれば、新制大学は研究の場所というよりは多分に liberal artsを中心としたgood citizenの養成機関であり、外国語大学は主として外国語の知識という教養を身につけたgood citizenの養成機関であると考えられる。

 若しそのような見解が正しいとすれば、外国語大学の使命は、 真にその名にふさわしい外国語の力を技術として身につけた大学生を養成し、社会へ送りだすことであろう。 このことは勿論それだけにとどまるという意味ではなくて、それを基礎として延びる土台という意味である。 又われわれが外国語という場合単なる言葉でなくてその背後のarea studiesやrealienを含めた意味であり、 それ等を受け入れる学習者側の教養の向上を無視することはできぬ。何となれば極めて初期の場合をのぞき、外国語の理解は技術プラス頭脳、換言すれば受容能力であり受入れ態勢の問題である。 哲学や経済の素養のないものに哲学や経済の本は読めないのは極めて自明の理である。 更にまた外国語の技術という場合にも、言語は本質的に思考と不可分であることを考えれば、 外国語の学習は新しい又は別の思考形式の獲得であり、 大きく云えば、文字の真の意味に於ける頭脳のrevolutionであることは勿論である。

 以上のことを前提として、外国語大学内に語学研究所を設置した意義を考えてみると、 当研究所は大きく分けて二つの目標をもっているということができよう。 一つは勿論実用としての外国語であり、他の一つは研究対象としての外国語である。

 実用としての外国語という場合に、われわれは主として教授法の面を考えている。 即ちいかにして可能な限りの短期間に於て、外国語を学習するかということである。 学習心理の研究(年齢や言語系統による学習方法の差異)、言語の習得過程の分析(どの感覚を重視するか)、 聴視覚教具の利用(音声を録音した声のライブラリーを作る)、などこの方面の開拓された分野なり、今後開拓される分野は広い。 又最近の構造言語学の立場からすれば learner's language即ち母国語とtarget language即ち学習する外国語を比較して、その示差点の発見に重点がおかれていることを考えれば、勢いこの問題は、 外国語と日本語の比較になり、更に進んでは、一つの外国語と他の外国語との比較にも及ばざるを得ない。 このようにして最も効果的な外国語の教授法(How to TeachとWhat to Teachを含む)を発見するのが一つの目標である。

 一方の諸外国語の研究は、大きい意味に於ては勿論実偉容につながるが、 世界の諸言語――特に現に話されている諸言語をできるだけ多く研究して、 当研究所をしてこれも言葉の真の意味に於ける、外国語の殿堂としたい考えである。 外国語大学は、その創立のいきさつ、歴史からみて、世界の情勢と、国家の運命に密接な関係をもっている。 しかし研究所としては、猫の目のように変わる世界や、社会の情勢と関係なく常に社会の生きた諸言語を研究して、言語の真の姿をつきとめると同時に、必要に応じて社会の要望に答えなくてはならぬ。 教育自体が長い目で将来の成果をみねばならぬものであるが、 当研究所に於ても常に諸外国語の研究を続けて一朝事あるときに泥縄式の愚を繰返さないようにせねばならぬ。

 勿論発足早々の研究所として、多くを望むことは不可能であるが、 少なくとも外国語の関する限りはわが国における最高の機関としたい念願である。 即ち仮りに、ある外国語の研究がなされていない場合でも、その外国語に関する文献は全部揃え――もしそれも不可能な場合は、 その外国語の文献目録を作り、その入手方法を委しく示し、更に進んでは、 その外国語の研究者は世界に何名いて、誰と誰であり、そして特定の誰に連絡すればどのような情報が得られるであろうというように 一種の外国語のInformation Centre的な意義を充分果したい考えである。

 これを一言にして云えば、こと外国語に関しては、外国語大学及び、 その附属語学研究所に聞くべきであり、若し、外国語大学及び、 語学研究所で分らなかったならば日本では分らないというような権威と誇りを持ちたい。

 われわれはそれが外国語大学を生かし、社会の要望に答える所信であると確く信じている。

 幸い大方の御理解と、御支持、御鞭撻、御指導を祈ってやまない。」

 語学研究所は、設立の理念に基づき、 初年度より研究、教育、社会的活動の3つの柱を中心に、精力的に活動を始めている。 研究所発足を記念する講演会は、昭和34年(1959)10月21日、金田一春彦氏(外語大助教授)による「日本語の造語法―太郎と花子―」、 大岩正仲氏(千葉大助教授)による「言葉の理会」が企画され、約200名の聴衆を集め盛会であった。 以後、公開講演会及び月例研究会等は定期的に開催され、 語学研究所の一つの社会的貢献に寄与している。 中でも特別講義「世界の言語」と題された連続講演会は、学内外からの多くの聴衆を集め、数年間にわたり継続的に開催されている。

 語学教育面での活動としては、各国語教科書の編纂、会話学習書の編纂をはじめ、 教授資料としての録音テープやレコードの収集、整理、保存に特に努めている。 さらに語学研究所では、昭和39年(1963)5月 「東京外国語大学に於ける外国語教育の現状と希望に関する調査」 として下記項目別によるアンケートを実施し、『語学研究所所報 第6号』(1965年)及び『語学研究所所報 第7号』(1966年)に報告されている。 調査項目の主なものは、 [A]専攻語学(1、2学年だけについて) 1. 教材について、2. 授業時間について、 3. 授業形態について、 4. 試験について、 5. 聴視覚教育について、 6. 事情講座について、 [B]一般語学について、であった。

 語学研究所の機関誌として、『語学研究所所報』設立年度の3月(1960年)に第1号が発刊され、 当時の学長岩崎民平、初代所長小川芳男両氏の巻頭の辞が掲げられている。 以後、所報は年1回、3年間の休刊をはさんで第8号(1970年)まで刊行され、 研究所の活発な活動報告、在外研究や海外渡航からの帰朝報告等が掲載されている。

 大学紛争等の混乱期を経て、語学研究所が再びめざましい活動を始めたのは、 昭和63年(1988/千野榮一所長当時)から始まった 連続講演会「世界の辞書」(全25回)、「世界の言語」(全30回、平成4年(1992)~)、「世界のアレキサンダー像」(全5回、平成4年(1992))、 「世界文学と日本」(全7回、平成5年(1993))が開催され、 高校生から年配者まで広く受講生を集めた。 「世界の辞書」は平成4年(1992)3月研究社より『世界の辞書』として、 また、「世界の言語」は平成10年(1998)1 月三省堂より『世界の言語ガイドブック』(全2巻)として刊行した。 連続講演会は、平成6年度(1994/富盛伸夫所長当時)より公開講座へと形態を変え有料化されたため、 受講生の層は変わったものの、毎回30名から80名の聴衆を集めている。 過去に開催した公開講座は次のとおりである。
 また、定例研究会(年9~10回)を催し、さらに所員による最新の研究成果の発表の場として、 平成4年(1992)からはLUNCHEON LINGUISTICS(週1回)を開始している。 刊行物としては、 上記所報、 『語研資料集』(第1号~第17号、昭和49年(1974)~)、 『語学研究所論集』(第1号~第3号、平成8年(1996))が刊行され、所員の研究発表の場となっている。

 その他、対外的な活動として、毎年2、3回特別講演会を催している。 平成6年(1994)には、バーナード・コムリー氏(南カリフォルニア大学教授)による講演、「言語普遍とは何か?」<Explanations for Language Universals>を主催した。

 設立当初の専攻語数は現在26を数え、学部・大学院で開講されている研究言語、 各個言語を加えると50以上の言語が教授・研究されている。 本学附置研究所であるアジア・アフリカ言語文化研究所を加えると、この規模で先端的研究を行う機関としては国内外にも稀な存在であり、 貴重な貢献を果していると言える。 高度情報化の時代に対応した国際社会からの付託にこたえるべく、本研究所は東京外国語大学の言語研究・教育の核となっている。

 近年は、所内に情報機器を整備し、インターネット検索や、多言語対応データベースシステムの開発等に取り組んでいる。

 
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