2006年(平成18年)度 オリエンテーション・ミーティング型ワークショップ
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「オリエンテーション・ミーティング型ワークショップ」
講 師: 佐野 勝也 氏
東京外国語大学スペイン語科1987年卒業、舞台演出家
日 時: 2006年6月19日(月)〜7月3日(月)
場 所: 研究講義棟620GP語劇支援室
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初めて開催したMOWSを通して、全体の共通的な問題点とともに26言語の専攻語それぞれにその専攻語の特色的な問題もある実態を概容的ながらも語劇GP委員会として把握することができた。
MOWS全般に関しては、後述する語劇GPアドバイザーの佐野勝也氏の語劇定例会議においての報告を掲載する。
また、各専攻語から提示された問題点に関しては、同時に開催していていたミニ・ワークショップ、演出家向けワークショップ、そしてこれから開催していく夏季休暇集中ワークショップ及び10月期のワークショップに反映していくことに決定した。
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□語劇GPアドバイザー佐野勝也氏のMOWS実施報告から
MOWSを通して、参加学生に話したことをまとめると次の三点になります。
1.語劇の第一の目的は、参加した一人一人が満足、納得をすること;専攻語の「言葉」ととことん真摯に向き合い、どっぷりと専攻語に浸って、「ダイアローグ=対話」を完成させてほしいということ。
2.舞台は、皆さんの五感全てで感じて欲しいということ。
3.舞台作品を創るにあたって、専攻語圏の文化・芸術に対してのアプローチを今の自分たちのライフ・スタイルから安易にしようとしていないかを確認してほしいということ
全ミーティングを通して、この三点の要旨に基づき、次のように各専攻語の学生たちとディスカッションを行いました。
語劇の目的とは?
最初に、「語劇」の目指す目的とは、普通の舞台における目的とは違っていいのではないか、ということです。
一般の舞台では「観客を満足させる=観客の万雷の拍手をいただく」ということが一番の目的になります。しかし、「語劇」において、素晴らしい舞台で観客を満足させる、立派な舞台で観客を納得させるということは、優先順位において第2番目で良いのではないかとおもうのです。「語劇」における第一番の目的というのは、参加したメンバー全員が自分自身において満足することだと思うのです。とことん自分達の専攻語の「言葉」と真摯に向き合い、稽古そして本番の作業全てにメンバーの一人一人が納得することのほうが、「語劇」におけるプライオリティーの一番であるべきではないかとおもうのです。
「言葉」と真摯に向き合うこと、このことは「語劇」のあるべき姿を教えてくれています。舞台において、文字である台詞のひとつひとつの言葉にいのちを吹き込んでいく。皆さんの一人一人が自分にしかない身体、声、キャラクターをもっている。2006年11月の舞台で演じるAさんの演技は、Aさんにしかできないものなのです。
長らく日本語では、「言葉」を「言霊」といいました。「言葉」には「命」が宿っているものだと信じられていたからです。キリスト教社会においても、In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.「まず最初に言葉ありき、・・・」聖書ヨハネ伝の冒頭を例にとりましたが、「言葉」はずっしりとおもいものでした。こういう例を挙げながら「言葉」と真摯に向き合うことの重要性を説明しました。
ダイアローグ・対話を完成させる
各言語専攻の語劇代表グループとのミーティングを通して、「語劇」においての「言葉」と向き合うことは[ダイアローグを完成させること=対話力を身につける]ことであると話してきました。
東京外国語大学の多くの専攻語にあって第一学年におけるその専攻語の初級修得は、いわば中学校、高校の英語、第一外国語の学習の方法と同じであったとおもいます。それは、読み書きを軸に、正解を自分で理解していくというモノローグを完成させる学習法です。
しかしながら、「語劇」においては、「ダイアローグ=対話」を完成させなければなりません。それぞれが「言葉」にその人しかできない「いのち」を吹き込んでいくわけですから、「ダイアローグ=対話」において正解などというものは存在しません。その当事者たちが話し合って、考え悩んで、自分たちで解答を追い求めていかなければなりません。モノローグ型の学習には、いつも正解がありました。1+1はいつも2でしたが、「語劇」において1+1は2になることがまれになるのです。あるときは3であり、百であり、−4でありというように、正解自体存在しないというのが、「語劇」における「ダイアローグ=「対話」を完成させるということなのです。社会人の先輩としてアドバイスするなら「語劇」は、「就活」というよりはそれを超えて、「新入社員研修」というか、より実践的なビジネスモデルのシミュレーション研修をしているとおもっていただいたほうがいいとアドバイスしたときもありました。
したがいまして、この「ダイアローグ=対話」を完成させるために舞台をつくる、という前提にたって、各語専攻にアドバイスしたのは、夏休みの間に各役者が自身の台詞は100%理解し暗誦して演技として出来るように、掛け合いになる相手の台詞は80%、そして全体に関しては50%理解することをまず実行してくださいとお願いしました。
そして、10月後期が始まったら、立ち稽古です。毎日毎日が楽しくなるくらい稽古のなかで、「言葉」が一日一日と輝いてきます。真摯に「言葉」に向き合うとき、そのテキスト、そのセリフが持っている深遠さとの対決になります。そのときには、このセリフのときの所作、しぐさ、表情はいいだろうかという疑問がでてきます。この具体的な質問に専攻語の先生、ネィティブの先生に協力を求めなさい、と。
はじめから「このセリフ、どう言ったらいいでしょうか」などという、正解をもとめる曖昧な質問には「自分で考えろ」と逆に叱られるでしょうが、真剣にそして具体的な質問は、むしろ本当の探求ですから、先生方も嬉しいものです。ただ、かなり複雑な状況の所作、しぐさ、表情に関しては、正解などありえませんから、先生方と一緒に知恵を絞るということになる場合もあります。
視点を変えるなら、「語劇」を創るという過程において、「読み」「書き」に加えて、「話す」「聞く」をもっての「対話力」「コミュニケーション力」の獲得という教育的側面をもっています。まさに「言葉」を向き合い「語劇」に参加する学生たちひとりひとりが自分自身に納得するまで「専攻語」と真摯に格闘するということこそが優先順位第一番の目的ではないか、と話し合いました。
舞台と画面
次に、舞台そのもののことについて確認しました。ミーティングを通し、各専攻語の語劇メンバーのその中核の多くは高校で演劇を経験した方々でした。しかしながら、語劇に取り組む上で、本番の舞台、観客がはいっての演劇空間そのものについて語劇に参加する全員で話し合って欲しいとお願いしました。
語劇に参加する学生のみなさんの日常は、パソコンの画面、携帯の画面、TVそして映画等にいつも接しています。つまり、液晶パネル、スクリーン等から多くの情報を入手しています。
そこでミーティングでは、「日常の親しみなれたTVドラマや映画とでは、舞台における演劇作品とどこが違うのでしょうか」と問いかけてみました。色々な答えがあり、その多くが正解でした。講師として、学生たちの意見を反映させながら「観客は、全ての感覚を持って舞台作品を観るということ」を提示しました。パソコンの液晶パネルも、TVのブラウン管も、映画のスクリーンも、画面という言葉が示すとおりに平面です。現在の学生を含めての私たちは、この二次元の画面における映像を視覚90%、聴覚10%で見ているのです。
しかし、舞台はライブの空間であるということです。奥行きがあり本当の三次元空間であり、ズームインもカットアウトもありません。役者と観客は同じ空間、同じ空気を共有しているのです。したがって、役者は空気を観客に押すこともできます。「舞台の熱気が伝わる」「観客の冷やかな反応」という言葉は、まさにそこに温度を感じるからです。観客の「観る」ことも、役者の「演じる」ということもスタッフの「舞台を創る」という作業も全てが人間の全感覚を研ぎ澄まして行なわなければならないことを指摘しました。
闇を創る
また、舞台と二次元の画面における映像のもうひとつの大きな違いを挙げさせました。「舞台の闇」に関して、お話ししたかったからです。
「画面における映像でも、夜の闇はあるし影だってあるじゃないですか?」という質問がありました。パソコンの液晶パネルやTVのブラウン管は、光の三原色を組み合わせて発色しています。映画のスクリーンは、映写カメラからの光を反射させています。つまり、二次元の画面における映像は、その画面全てを光で満たしてなければならないのです。したがって、画面のなかは、実写か、セット、またはCGで処理をしなければならないのです。闇も影も、色で彩色されているわけです。このことは、映像芸術がその画面を全て満たさなければならない[
FULLな]総合芸術であるといえるのです。舞台は違います。舞台は闇を自由につくることができるのです。このことは、映像芸術との決定的な違いを提示します。つまり、役者や演出そしてスタッフの知恵次第で、どんどん削ることができるということです。舞台は、[ −(マイナス)できる]総合芸術であることを提示させていただきました。
また、「語劇」における第一番の目的である参加したメンバー全員が自分自身において満足するということを達成するために、経費節約はもっとも重要な事項です。「舞台の闇」ということを前提に考えれば、大道具・衣装に関しても必要最小限の経費・時間・労力で最大限の効果をあげるために参加者全員の知恵を絞って考えるということになりませんか。安易に二次元の画面における映像的な発想で、紙芝居のようにセットを作ろうとしていないか常に省みましょうということも提案させていただきました。
専攻語圏の文化・芸術に対してのアプローチ
最後に、舞台作品を創るにあたって、専攻語圏の文化・芸術に対してのアプローチをもう一度確認してもらいました。現在の自分たちのライフスタイルから、安易にアプローチしようとしていないかを確認していただきたかったのです。
日本に興味のある外国人の方々が、黒澤明、小津安二郎、溝口健二といった巨匠の映画のなかの日本にイメージを求めることは少なくありません。けれども、今の学生たちをふくめて、現実の日本人のライフスタイルは、アメリカ的なともヨーロッパ的なものに限りなくちかづいてしまったといって過言ではありません。畳にお膳、座布団という生活からテーブル・椅子の生活様式にかなり定着しました。いろいろな面で、足元である私たちの日本でさえ、30年、40年前であればかなりの検証が必要になります。
その意味では、安易に今の自分たちのライフスタイルからのアプローチはいったん白紙にして、色眼鏡なしでしっかりと専攻語の国、民族の文化、芸術に関してアプローチを行なっているかを厳しく自分自身に問う姿勢を貫いてほしいという提案を学生たちに投げかけました。
アジア圏の専攻語には、特に音楽に関して、西洋音階ではないその土地独自の音階、音楽をしっかりと理解して欲しいと話しました。日本各地の何々音頭をはじめ浪曲、民謡等は和音階です。また、「島唄」をはじめ今も沖縄民謡をベースにしたJ−POPの曲は根強い人気がありますが、沖縄民謡は琉球音階です。西洋音階になれてしまっている現在の日本人の生活の中では、しらずしらずのうちに見落としてしまう点なのです。
また、民話における動物、植物、昆虫といったものに象徴される宗教性、風習性、風俗性ということも、しっかりと民俗学的な視点からアプローチをかけているかどうかといったことは重要になります。
こうした様々な点から「語劇」を創るにあたって、専攻語圏の文化・芸術に対してのアプローチを今の自分たちのライフ・スタイルから安易にしようとしていないかを確認してほしいということを提示させていただきました。
また、この三点に加えて、稽古において、自分自身の身体をしっかりと理解しなさいとミーティングでは話しました。「演劇とは、他者である自己の発見」とも言われるくらいに、自分の身体を把握することです。はじめは自身が頭に描いたイメージ通りには、身体は全く動きません。稽古を着実に積み重ねながら、イメージと身体の動きを少しずつ一致させていきます。あせらず、しっかりと「語劇」を推進していく仲間を信頼して一歩一歩前進していくことがとても大事であることも付け加えました。
MOWSを終えて
語劇アーカイブ室の編集してくれた平成17年度25専攻語(チェコ語不参加)の公演DVDの分析調査、そしてそれに続く5月25日第2回特別講演会『2005年度語劇を全て振り返る』には50名の学生達が講演を熱心に聴いていただきましたが、この作業を通じてやはり個別に各専攻語の語劇制作の実情を調査しなければならないと痛感しました。
また、前年度の初めてのワークショップ実施そして、同時並行しながらミニ・ワークショップにおいて舞台に立つための身体作りのワークショップを実施していましたが、指導しながらやはり大学生には、彼らの考えていること、語劇制作へのビジョン、そして舞台芸術に対する考え方等を理解しなければより本番に直結した語劇ワークショップをプログラムを完成するには不可欠だなということです。
かなりの時間と労力をかけながらMOWSを実践させていただいて、個々の専攻語のそれぞれの問題点を大まかながら把握できました。英語、スペイン語、ドイツ語、中国語等々の70名80名の大人数の専攻語の問題点、イタリア語、ポルトガル語等の30名人数の専攻語の問題点、そして15名から10名未満の少人数の専攻語の問題点等々、各専攻語の代表そしてスタッフ、役者のいろいろな意見を直接に聞けたことは非常に有効でした。前期ワークショップ、夏季休暇集中ワークショップ、そして10月実施のワークショップへその成果を反映させることができたと考えています。
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(文責:語劇GPアドバイザー 佐野勝也) |
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