白い城
(2節、3節)

オルハン・パムック

(訳)寺尾陽啓、小俣希美

 


2.

 部屋に入ってきた男は信じられないほど私に似ていた。私がそこにいるみたいだった!初めはこんな風に思っていた。まるで私をからかおうとする人が、私の入ってきた扉の正反対に位置するドアから私を入れて中にいる私に食ってかかりこんな風に言ったのだ「見ろ、正にお前はこのようにあるべきなのだ、扉から中へこのように入らねばならないのだ、手を腕をこのように振舞わねばならないのだ、部屋で座っているもう一人お前をこのように見るべきなのだ!」目を合わせながら互いに礼をした。しかし彼からは困惑は見られなかった。そのときそんなに彼が似ていないと考えることに決めた。彼はヒゲをはやしていた。全く私の顔のようでもあり、どうして彼が似ているのかなど忘れてしまうようだった。彼が私の向かいに座わる時、私は一年以前来鏡を見たことがなかったことを思い出した。

少しして私の入ってきたドアが開かれて彼はその中へ呼ばれた。待っているときにこれが見事にでき過ぎたジョークではないことがわかり、困惑する頭の中で私は想像に耽っていた。その日々において私はずっと幻想を見ていた。家に帰ったような、皆は私を迎えるような、すぐに私を残していってしまうような、いつものようにまだ船のうえで寝ているような幻想を、全てこれら、幻想の一種である慰めとなる作り話に耽っていた。これもその物語からの1人であり、しかし彼が実在していることを、或いは全てが一瞬で変わり古い体制へ戻ってしまうことの合図であることを考えるとき、ドアが開かれ、私は呼ばれた。

パシャは、私にそっくりな男の少し向こう側に、立っていた。彼のスカートにキスをさせ、私の心に尋ねて部屋で私が感じた困惑を、自分の国へ帰りたいと私が望んでいると私は言って、話しをした、彼は私の話を聞いてさえいなかった。パシャは思い出したようだ、彼に科学から、天文学から、技術から私が理解したことを私が言ったことを、そして大空に打ち上げた花火から、火薬から私が分かることなどあるか?すぐさま私が理解したことを話した、しかし一瞬向かい合って目を合わせて彼らがわたしに何かの罠を仕掛けているのではないかと私は疑ったのだった。

パシャは行われる披露宴に参加するもので配偶者のいない者のことを話していた、そして花火を見せる準備もしていた、しかしこれより前に全く似ているはずのないようなことが1つ行われている。以前、スルタンが故郷で、それから今は亡きあるマルタルの情熱によって準備されたデモンストレーションにおいて、パシャが一人“先生”と言う私に似ている男も学んだらしい、彼はこの作業を少し知っていたらしい、しかしパシャは私が彼を手伝うであろうと考えていたようだ。私たちは互いに理解しあったようだ!良いひとつのデモンストレーションを私たちがしたなら将軍は私たちを気に入ってくれるに違いない。潮時だと言って、私の望みである自分の国へ帰ることを言う事を決心した、パシャは私がやってきたことから身近に多くの女性と寝るか寝ないか私に聞いた、私の答えを知って、それを私がしなかったなら自由が何故役立つのかを言ったのだった。守護者たちの準備ができた事は言葉と共に話された、私はとっさに見なければならなかった、彼は笑い声を投げかけた。そして“先生”とパシャが言う私に似ている男は戻っていった。責任は重大だった。私たちは出かけた。

朝私が似ている男の家に行ったとき、彼に教えることができる事などないと思っていた。しかし彼の智識は私とは大きく違っていた。さらに私たちの智識はどちらもかみ合ったものではなかった:全ての質問が良い樟脳の混合物を手に入れることだった。この為に行われたことは天秤と計量器具を使用して熟考しながら注意深く私たちが準備をした混合物が、夜スルディビで熱を帯びる事と、私たちが観察することから結果が得られることとなった。私たちが用意した花火は、私たちを見ている子供たちが感心していることが我々男衆にやる気を起こさせる一方、我々は、だいぶ後で、太陽の光においてその信じられない武器の為に働いている我々が行っているとき私たちがやったように、暗闇の木々の下に立てられて、心配と興奮と共に結果を待ちわびていた。そして、あるときは月の光において、あるときは真っ暗な暗闇において、小さな1つの帳面に私は私たちの観察結果を書き込もうと努めた。夜が明けると私たちは結果について長い間話し合った。

彼の家は小さかった、窮屈で最悪だった。どこかから常に漏れているものは理解不可能な汚れた水で、中傷することが殴り書きされている、ある小通りから入っていった。中には全く何も家具がなかった、しかし家への全ての入り口において私の心の中は苦しくなり奇妙な困惑にとらわれた。おそらく彼の祖父が残した名前を彼が愛さなかった為だろうか、彼に対して“先生”と私が呼ぶことを望んでいるこの男はこの感覚を与えたのだ。彼は私を見ていた、私から何かを得ようとしているみたいだった、しかしそのときはまるで何も分かっていなかった。壁が底へ伸びていることは安楽椅子に座ることに私が慣れることができなかったために、数々の実験を論議する一方、私は足を止めて、あるときはイライラしながら部屋で落ち着かずに歩いたものだ。私が思うに、先生はこれを好んでいたのだ、彼は座っていた、こんな風に色あせたランプの光の下にいたならば私を飽き飽き見ていただろう。

彼らの視線を感じた時、私たちの間にある類似点を感じられたことは、私を不安にさせた。彼が12回程度類似点を感じたことを、しかしこの違いにおいて間違っているように機能していることを私は考えた。まるで私に対して演技しているようだった。つまり私で小さな実験をしようとしているのだ、私が理解できないことから彼はいくらかの知識を得ているようだった。何故なら始めの日々において全てのそれらを彼は見ていたのだ。彼はあることを習得したようであり、習得するに当たり心配している様子であった。しかし、この奇妙な知識を深めるために一歩さらに踏み出すことへ、彼はまるで躊躇しているようだった。それは私を困惑させるのだ、家の中を息苦しくさせるこの野郎!しかしながら彼の躊躇は私を奮い立たせた、一方幻滅などしなかった。一度、私たちの実験に関して話したとき、一つ他の航海において、彼が私に何故未だに私がムスリムにならないことを問うとき、明らかに私をゆさぶった。この私が臆病になっているのを彼は感じていた。彼が私を追い詰めていたことを私は知り、これも私を腹立たせた。その頃私たちが理解し合ったことといえばおそらくこのことぐらいだった。そんなわけで私たちはお互いを見下していた。その花火の見せ物をことを、危なげなさと不幸の無い成功とともに秩序立てることができれば、おそらく彼が私の帰国を容認すること考え、私は気持ちを引き締めた。

ある夜、普通の高さに登る花火が与えた成功が興奮して先生が言った。或る日、月まで届くと言われる花火さえも準備されようとしていた。問題はわずかに必要な火薬の混合物を見つけることと、この火薬を打ち上げることができる容器に注ぐことだった。月がとても遠くにあることを私は話した、彼は私の言葉を途切れさせた、彼も月がとても遠くに存在することは知っていたようだ、しかし地球において最も近くの星も月ではなかっただろうか?それが正しいと知ると、私が思うように彼は疲れきってしまい、大変だった、しかし他に関して彼は何も言わなかった。

2日後、或る夜中彼は再び尋ねた。それは、「月が最も近い星であるということに、どのようにこれほど確信を持ち得るのか?」ということだった。おそらく、私たち自分自身を見間違うようなことだろう。そのとき、彼に、私が見たところの宇宙学を初めて話した。Ptoleme宇宙形状論の基礎的規則を詳らかに説明してみた。彼が心配そうに聞いている姿を私は見ていた、しかし彼の心配を明け透けに叩くことを言うには気が引けた。少し後、私は沈黙し、Batlamyusに関しては彼に知識があるということを、しかしこの月からさらに近いところに星が存在しうるという彼の疑いが晴れることを話した。朝にかけて、その星について存在の可能性をすぐさま手に入れたように彼は言及した。次の日、私のもとに頭の悪い物書きによって書かれたらしい一冊の本が突き出された。未熟なトルコ語にも関わらず私は読み終えることができた。思うに、Almageistが、彼自身に由来するのはなく、他の要旨に由来する第二の要旨であるということであった。私はただ、惑星のアラビア名に興味を持ったのだった。それらに対しても、そのときは熱中しているわけではなかった。先生は、端に向かって行き、私が置いていた本に私が興味を示さなかったことを察知すると憤慨した。表紙に七つの黄金が飾られていることが気に入ったせいか、私は、数ページを訳しながら集中していたのだった。礼儀正しい学生のように、私が忍耐強く再び本を開き、数ページを訳していたとき、基礎的な略図につまった。地球を中心に惑星は、単純な規則付けによって球体が描かれて配置されている。実際に球体の配置は正しかったのだが、それら間隔における秩序の問題にデザイナーたちの目に止まることはなかったようだ。次に、月と地球との間に、小さなある惑星が描かれていることに私は驚いた。少し注意すると、この書き物に後で彼が付け足しをしたことが、インクの新しさから分かる。それが書かれていることが最後まで私を混乱させたが、私は本を先生に返した。彼は私に小さな発見をしたと言う。彼には、冗談を言うような様子は全くない。私は何も言えなかった。私だけでなく彼の神経をも砕く沈黙が続いた。他に全く花火を、言葉を天文学に置き換えることができるほど高く私は打ち上げることができなかったために、この問題は二度と触れなかった。私たちの小さな頭では、彼の秘密を理解できなかった。

しかし光と炎の力強さと輝きの問題においてとてもいい結果を得ることができ、私たちの成功の秘策も私たちは分かっていた。先生は一人で散歩をしていてイスタンブールの店で、店の人も名前が分からない粉を見つけたようだ。私たちは、完全な輝きを与えているこの黄色の粉は硫黄と硫酸鉄の混合物であるという結論に至った。それから、輝きに色を与えるよう粉に全ての材料を私たちは混ぜ合わせた、しかし突然近くの茶色と共に、にわかに緑色から他の形にすることができなかった。先生の言うことには、この程度にもかかわらず、イスタンブールでは今までで一番のものらしい。

結婚式から二日目の夜私達が行ったデモンストレーションはそのようなものであった。皆これをそのようにこれを言ったのだ。私たちの背後からしかけに不正をしようとしながら私たちの仕事を奪い取ろうと企んでいる敵たちでさえも。金角湾の向かいの湾岸から、王様が私たちと話しに来て、話をしたとき私はとても興奮した、何か面倒なことを、長年私が故郷に帰っていないと言ったらビックリしていた。始めてください、私は彼の言葉に祈りをささげたのだ。以前、客人たちへの挨拶とデモンストレーションの準備のためにまっすぐと上がっていく花火に私たちは火を付けた。直ぐに彼の後ろから先生と粉砕機が、私たちが言及している軌道の秩序が普及した。空色のときにおける赤色、緑から黄へ。恐ろしいのは音だった。私達が期待していたものよりも美しかった。花火は飛び出して輪を描いて落ちていった、落ちて急にこの日々のように輝いた。一瞬私自身がベニスにいるように思った。当時私は八歳だった、このようなデモンストレーションを初めて見たとき私は今のように幸せではなかった。何故ならおろしたての赤いスーツは私ではなく、その日、私を口論で泣かせた兄が着ていたのだ。花火もその夜私は身に付けることができなくてもう二度と着ないことを私が誓ったことがゆったりとしてボタンがついた私のスーツの赤さをもってそれらは爆発した、ボタンも私の兄へきつく付いてスーツと同じ色だった。

それから花火が私たちの言う規則運動へと私たちは移した。五人の男たちは高い骨組みの口に炎を着け始めた。彼らは反対側の岸にある炎をさらによく見せる必要があった。そして泉の口から花火がどんどんと打ち上げながら私たちのものぐらい興奮的にする必要があった。しかし興奮が落ち着くことを私たちは望んでいなかった。金角湾に浮かぶいかだは小刻みに揺れていた。前に、厚紙の塔と城、放った花火は城塔を過ぎていったときに爆発した。これらは長年の功労の上にあるパフォーマンスの始まりだ!私が奴隷なった年に彼らの船にうつるとき、別の船が私たちのボートに花火を降らせようと手にとった。このように、私は、奴隷に落ちた日にもう一生まれ変わった。厚紙の船は燃えて沈みだして二つの岸から、「アッラー、アッラー!」と言って彼らは叫んだ。それから、重々しく私たちのドラゴンにうつった。花の穴から、口から、耳から、炎がどんどん流れていった。いっぺんに彼らケンカをさせた。私達が計画したように、もう彼らは攻撃できなかった。岸から私達が手にした火薬弾を空中へと、私たちはまた熱を加えた、そして空色がすこし暗くなって、黄色のなかで私たちの男たちは車輪を動作へ移してドラゴンは重々しく空色へ真っ直ぐ上がり始めた。そんな風に、魅力的に、恐怖をもって彼らは叫んだのだった。ドラゴンたちはバラバラになって再び互いに戻っていかだにあった全ての火薬を燃やした。生物の体へ私達が作った導火線も全て然るべき時に燃やされるべきであったのに、私達が望んだ協力のように、地獄へ落ちた。私たちの成功を身近にいる子供がしくしくと泣いているのを聞いて私は理解した。彼の父親は少年を忘れてしまっていたようだ、口をあけて、恐ろしげに青空を眺めていた。もう私は国へ帰ろう、と私は考え込んだ。ちょうどそのとき、地獄の中で、私が言う「サタン」という生き物に、その下で誰も気づかなかったこと見られなかったことが小さな黒ずんだ黄色を帯びた。それほど花火は彼を束縛した。男たちと一緒に全てのいかだは空へ飛ぶぞと言って私たちは恐れた、しかし事はすすんでしまった。戦っているドラゴンたちが炎を消費してなくしてしまったときにサタンは一瞬で燃やして花火と一緒に天空へ上がった。それから、体中から、空で燃えさかる炎の玉を切った。一度に全てのイスタンブールがテロと恐怖へ私達が引かれていることを考えながら私はわくわくした。まるで私も怯えているようであり、まるで人生においてわたしがしたいと望んでいることの最後に勇気をもって始めていたようであり、まるで私がどの形であってもそのあいだあまり重要性がなかったようであった。サタンが、そこで、みなの上で炎を切りながら一晩中頑張っている状態を私は望んでいた。少し右か左に放ちながら、誰にも触れずに、二つの岸に皆興奮してドキドキしながら、金角湾へ入った。水に沈んだときまだ上で彼は炎を切っていた。

翌朝、パシャは、先生へ全て物語のように、事件を聞かせた。デモンストレーションから彼は機嫌が良かったのだが、サタンが成功したことを賞賛していたことを彼は言った。デモンストレーションをもう十夜、我々は続けた。昼間は燃えている外見を修理させていた、新しいが計画されて監獄から私達が連れてきた戦犯たちへ私たちは花火を教えた。10あるバッグは火薬と共にコンテナにあり火がついていた。

結婚式は祝福いっぱいで終了し、私は先生を見つけられなかった。全ての日に私に助言してくれるこの心配性の男の嫉妬深い目から逃れることができて私は楽になれた。しかし私の頭は彼と私達が遂行してきた行動の日々へも気を向けていたわけではなかった。私は国へ帰って、私にこれほど似ているにもかかわらずこの類似点を全く言及しないこの男のことを皆に話そう。私は部屋で座っていた、時間が過ぎていくために私は憂鬱になった。パシャが私を呼んだのを聞いて興奮して、とにかく幸せそうに私は走っていった。早々と彼は私を喜ばせた、花火のデモンストレーションに皆喜んでいたそうだ、とても楽しんだそうだ、私はとても自身に満ち溢れた、などなど。それから、突然パシャは話し始めた。それは、私がムスリムであったら、私をすぐに自由にしてあげるのに、ということである。私はあせった、私は愚か者だった、国へ帰って私がしたいことを話した、それは愚かに躊躇いながら私の母親のことを、婚約者のことを話すように細かいところさえも話した。パシャは、私の話を聞いていないのか、再び同じことを話し始めた。私は少し黙った。私の頭になにかしら怠け者と愚か者が子供のような友たちがいる。彼らの父親たちへてを差し出していてうんざりさせている子供たちがこちらにやってきた。私が改宗できないことを話すと、パシャは私を怒った。私は自分の部屋に戻った。

3日後パシャはもう一度呼び出した。今回は上機嫌だった。私を改宗させる為に私を自由にすることをパシャは利用するらしく、このことでわたしは一つの決断へとたどり着いた。パシャは私の思いを尋ねた、彼はここで私を美しい娘と結婚させるきだったのだ!私は勇気を振り絞って、改宗できないことを話した。パシャは少し戸惑い、そして、私が愚かであることを話した。改宗すると言って彼の顔を見る事ができなく回りには誰もいなかった。それから、少しイスラム教についてパシャは話をした。黙った後私を部屋へと帰した。

三番目の出発でパシャの側に彼らは参上できなかった。一人の使いが私の決断を尋ねた。多分私の決断を私は変えていた、しかしこのボーイは尋ねたことは違っていた!ちょうどそのとき宗教が変わることに私が準備できていないことを私は話した。ボーイは私の腕を取って上にあげて私を、他の者に引き渡した。背が高い、しばしば夢に見るようなスレンダーなこの男は、私の腕をつかんできて、寝たきり老人に手伝いをするかのような哀れみで、私を庭の角に連れて行って、私たちの横に幻想を見られなくなるぐらいの全く知らない他の人が来た。こいつは大柄な奴だった。二人は、壁のふもとでとまって私の両手を上げた、彼らはほんとうに大きな斧を手にしていた。私はムスリムにならないかも知れないと言うと、パシャは私の首をすぐに殴ることを命じた。私は棒立ちになった。

これほど速くはない、と言い私は考えていた。私をまじまじと彼らは見ていた。何か私が言おうとした。少なくとも、もう一回は彼らの問いを私は言った、少し後で彼らは尋ねた。このようにして私の宗教は私の目の為に簡単に魂は与えられる何かとなるのか。私自身を懇ろに扱った、ある隣からも質問する人は宗教から私が落ちないことを難しくするその二人のように私自身を私は明らかにした。他に何か考えるため私自身考え込んで、私の目の前で、私たちの家のうら庭が見える窓からわたしが見たものが命を吹き込まれている。机の上に真珠母が打ち込まれるべきトレイのなかで桃とさくらんぼがあった、机の後ろにはヒマラヤスギの編まれたマットがあった、上には窓の青い枠が同じ色で羽の枕が置かれていた。さらに裏には窓の縁へスズメが巣を残していったオリーブとさくらんぼの木が見えた。それらの間にくるみの木が高く枝を長くロープで結ばれていていた、はっきりとは分からないくらいの風によって、フワフワして揺れていた。もう一度彼らに尋ねられるとき、私の宗教を変える気がないことを私は言った。そこに幹があった、ひざまづきながら頭を垂れた。少し目を閉じてみたが、すぐに開けた。一人が斧を取った。もう一人は、多分私が残念な結果に終わるようなことを彼は言った。彼らは私の姿勢を正させた。もう少し私は考えるべきだったのだろう。

 考えるとき、彼らは木の幹のすぐ側に地面を掘り始めていた。彼らが私をすぐにそこへ埋めるだろうと私は考えていた、私の中で私が死ぬことより他に、一つ、死ぬ前に埋められることの恐怖を覚えていた。彼らが墓を立てるまでに私が決断することを私が言ったとき、小さなある巣を掘って私の近くまで彼らは来ていた。そのとき、ここで死ぬことのとても愚かなことであることを私は考えた。ムスリムであることへ目的を持ってみた、しかしこれには時間がなさすぎた。刑務所へ、既に私が入ってしまったことが愛すべき独房へ戻ったらどうか、全ての夜を座って考えた、朝に至って改宗することへ決断することができた。しかし、すぐにではなかった。

 すぐにつかんで彼らは連れて行った、彼らは壊させたのだ。私が頭を木の幹へもたれかかる前に木々の間で飛ぶように入ってその一つを見ながら戸惑った。私は、ひげが伸びてしまっている、そこで私の足が地面へ届く前に静かにして歩いていた。木々の間に入ってきた自分が私の幻影を言おうと私は言った。声が出なかった。私の頭は木の幹へもたれかかっていた。そのときもたれかかっている物の眠りから違いがないことを考えて私自身を解き放った。私は待った。首筋と背中がひんやりとする。私は考えることを望む。しかし寒気を覚えながら考えていた。それから彼らは私を上に持ち上げて話した。パシャはとてもお怒りだ!そして私の手を振り払い、咎めた。「アッラー、ムハンマド私をお許しください」。彼らは官庁のうえに上っていった。

***

 パシャは媚びへつらわせた後、私を喜ばせた。私が宗教から俗世間に戻らなかった(イスラームに改宗した)ので、私を好いているのだと言った。だが、ほんの少し経つと罵倒し始めた。根拠もなく強情を張っていた。ともかくイスラームは気高い宗教である、だとか。私が何かを言う毎に余計にひどく彼は怒った。私を罰する事に決めたようだった。あとで、ある人に彼が約束をしたことを説明し始めた。この約束が私に降りかかるであろう幾つかの悪い状況から私を救う事を(私は)理解した。後になって、彼らが約束をし、説明をしていた事から風変わりな人であると私が判断した男が先生であることを掴んだ。ちょうどその時もパシャが私を先生への贈り物にする事を約束していた。さて何も分からずに私が気にかける前に、パシャは(事を)明らかにした。(どういうことかというと、)既に私が先生の奴隷であり、彼と契約をし、私を自由にするかしないかは先生の手中にあり、これから先、何をするかどうかは私次第。パシャは部屋から出て行った。

 先生も屋敷にいて、私を下で待っているらしかった。庭で木々の間から私が見ていたその人であったことがそのとき分かった。私達は歩いて家に行った。私が宗教から戻らなかった事を初めから知っていると彼は言った。家の一部屋を私のために用意していてくれたほどであった。私がお腹をすかしていないかどうかを尋ねた。まだ死の恐怖の淵にあったので何か食べるという状態ではなかった。それにも関わらず、私の前に置いてあるパンにヨーグルトをかけたものから二つ、三つのロクムまで食べる事ができた。私がロクムをかみ締めていると、先生は上機嫌で私を見ていた。市場から新しく買ってきたすばらしい馬を育てて、彼にこの先馬がしてくれるであろう仕事の数々を思い浮かべ、愉快になっている村人のように私を見ていた。先生が、パシャにお見せする時計や、宇宙地理学論の細目に没頭して私を忘れる程くらい見ていたことをしばしば私は思い出した。その後、私が彼にあらゆる事を教えるはずであると彼は言った。パシャから私をこのために望んだのだった。しかしその後私を自由にするらしい。この“あらゆる事”が何であるかを私が知るために数ヶ月時間がたつことが必要だった。数々の学校で、メドレセで彼らが教わったらしき“あらゆる事“、そこでは、祖国で教えられている天文学、医学、工学、科学全て!それから私が独房にとどまり翌日に持ってこさせた数々の本に書かれていることも、私の見聞きしたことの全ても、河や、湖や、雲や、海についての私の様々な思索も、地震や雷の原因までも・・・(あらゆること!)彼は真夜中近くの星や惑星にもっとも関心を示した。開いた窓から月明かりがさしていた。彼は私に月と地球の間にあの星が存在すること、あるいは存在しないことについて全く手がかりがなくとも、必ずや何らかの証拠を私達が見つけ出すことが必要なのだと言った。私が死と顔をつき合わせていた一日の恐怖を帯びた目で、私達の間柄を壊すような、もう二度と聞きたくないといったような(眼で)見ると、先生はもう“教えること”という言葉を口にしなくなった。私達は一緒に研究し、一緒に発見し、一緒に歩んでいくつもりであったのだ。

 このようにドアの隙間から彼らの話を聞いていたパシャが家にいないときでも授業に対し信念を持って復習する2人の勤勉な学生、2人の仲のよい兄弟のように私達は努めだした。最初の頃、私は比較的怠け者の同輩に(彼が)なるようにと、古い知人達を吟味することに賛成する兄のように自分を感じていた。先生はというと、兄の知っている様々な事柄がたいしたものではない事を証明しようと努める知識の豊富な弟のように振舞っていた。私達の間にある知識の差は、彼に言わせると独房から持ってきて目の前に並べた私が記憶している本の巻の数にすぎないということであった。とてつもない勤勉さと知性で、後々に広まるであろうイタリア語を学び、6ヶ月の間に私の本全てを読み、私が記憶している事柄の全てを私に繰り返し話すとき、私の優越感は全く消え去ったものだ。しかし彼は、その大部分が無価値である事を彼自身も認めた本を卒業すると、学ばれてきた事柄よりも大自然に即した深遠な(ところから来る)知識が存在するかの如く振舞っていた。研究を始めた6ヵ月後、私達はもう一緒に学んできた、一緒にすすめてきた仲間ではなかった。彼はこう思っているのだ、私は単に、彼がそのようにやってきた事のうち幾つかの細部の事柄を彼に示唆するかあるいは知りえた様々な事柄を再度詳細に検討するのを手伝っているのだと。

 大部分を私が忘れてしまっていたこの“思索”を夜も更けた頃に彼が見出したのは、夕方に食べた作り物の食事の後、通りの全ての街灯が消え、辺りが静けさに包まれてからだいぶ後の事だった。毎朝、2つの路地の向かい側にあるモスクのsübayn学校へ教師として行っていた、週に2日、私がちょっと歩いたくらいでは到底着かないような遠い通りのモスクの臨時校舎に立ち寄っていた。遅くなるときは、その夜は“思索”の準備をするためか、あるいは子供達が後ろからひっぱるためだということでとおっていた。その頃、近いうちに祖国へ戻りたいと私は願っていた。先生とその詳細をあまり注意深くは聞かなかった“思索”を先生と話し合ったことの私の考えの変化を、少なくとも延期させる事を考えたので彼に反対しなかった。このように最初の年は流れ星が存在することを、あるいは存在しないことの証拠を探すためにどっぷりと深入りした天文学に従事して私達は過ごした。大金をはたいてFlemenkからレンズを持ってきて作らせた望遠鏡で、天体観測道具と統計に励んで、流れ星の問題を忘れてしまった先生は、もっと重要な問題にぶち当たった事を,Batlamyusの法則を話し合いのテーマにしようと言った。しかし話し合いはしなかったが。彼が話し、私は聞いていた。星がもともと留まっている透明な球体が(あるというのが)ばかげた事であると彼は説明した。おそらくそれらをそこに集める他の何かがあった、例えば目に見えない力、引力、であろう、そして、おそらくまた、太陽のような地球もまた他の何かの周りで回っていると提唱した、おそらく全ての星々は、私達の存在からは知りえないほかの何らかの中心の周りで回っているのだと。後々にBatlamyusより深くより包括的に考える事を押し進め、更により発展した宇宙地理学のために新しく山積みになった星の研究をした。新しい法則のために公に理論を発表した、おそらくまた月も、地球の、地球もまた太陽の周りで回っていた、そしておそらく中心は金星だ、しかしこれらにもまたすぐに彼は飽きた。後の方には今の問題は、この新しい考えを公に発表する事ではなく、星々とその行動を、この辺りへ認識させるということであることを、この一方で、パシャが始めるであろうことを言った、サドゥク・パシャがエルズルムへ流罪にされる事を私達は知った。出来の悪いキャラバンに加わるとのことらしかった。パシャの流罪によって革命が期待された数年において、私達はボスポラスの流れの源泉について書かれるであろう論文のために、何ヶ月もボスポラスの山の背で、骨まで寒さがしみる風の中、海の流れを観察し、谷においては、手に持っている容器でボスポラスに注がれる支流の熱と流れを測ることに務め、ぶらついていた。パシャの頼みで、ある仕事をするためにいって3ヶ月滞在したGebzeでモスクのarasindaki礼拝の時間が合わなかったことが先生に別の考えを浮かばせた。礼拝の時間を示す1秒の狂いもない時計を造るつもりであった。机と呼ばれたものを、私はそのとき彼に教えた。寸法を教えた大工に私が造らせた家具を家に持ってきた時、先生はその時には好まず、この新しい机をモスクの中にある棺を置く石の台と間違え、縁起が悪いといっていたのだが、最近では椅子にも机にも慣れた、と。このようなよりよく考える事ができ、よいものが書けたと彼は言った。礼拝の時計のために、太陽の回転の軌道と平行な、楕円形の形の歯車を鋳造させるためにイスタンブルへ戻る時、私達の机はロバの背中に、私達の後ろから付いてきていた。机に向かって座り研究していたその最初の数ヶ月で、先生は、地球が丸いことから、日中と夜との間に大きな時間差がある寒い国々では礼拝と断食の時間をどうやって決定するのかということを知ろうと努めた。別の問題は、メッカ以外の、どの方角に回ろうとも人々がメッカの方向に向くことができる他の点が存在するかしないかということであった。ひそかに見下していたこの問題に私が興味がなさそうなのを見ると、先生は私を軽蔑したように見たが、私の“優越性”と“違い”を彼が直感的に感じていると私が思っていたその頃、彼も私が直感的に感じていると思ったので彼はおそらく怒っていたのだろう。長い長い学問について話すように知性についても話した。

 その当時、時計は毎週ではなくて、最も少なくて毎月に1回ぜんまいがまかれ、調整が保証されるもっと大きな歯車のメカニズムがどうやって開発されうるか、ということを彼は考えていた。このような歯車一式が開発された後、年間に1回調整される礼拝時計を造ることが彼の頭の中にあった。問題の全ては、ぜんまいを巻く間隔が拡がるたびにこの大きな時計の隙間がひろがり、重くなる歯車を動かせる力を見つけることであるということを考えていた。というのも臨時校舎の友人達から、パシャがエルズルムから戻ってきたということを知った(からだ)。

 翌朝、パシャを祝いに行った。客がごった返すなかでパシャは先生に関心を見せ、先生の発見に興味を見せ、私にさえ、尋ねてきたほどであった。その夜、時計をばらばらにして再度組みなおした(私達は)宇宙の模型のそこここにいくつかの部品をつけたした。

 私達は手に持ったはけで数ある星に色を塗った。先生は聴衆に信憑性を感じさせるため、堂々と、詩的な文体でもって文書にし、暗記した本文のうちの部分部分を私に向かって読んだ。明け方頃、星の回転論理に関するこの文を、興奮を鎮めるためにもう一度逆から読んだ。そして呼ばせた車に、道具を積み、パシャの屋敷へ行った。数ヶ月間、家を埋め尽くした時計と模型がたった1台の馬車の蔵で非常にコンパクトにそこにまとめられていることに私はびっくりして見たものだった。夕がた遅くなってから戻った。

 道具を庭に下ろした後、パシャはこの奇妙な事物を冗談半分にあまりお気に召さない、おもしろくなさそうなおきまりの冷ややかさで目を通し、検討したすぐ後、先生は暗記した文章を彼に読んだ。パシャは私を思い出し、“君にこれらを教えたのは彼なのか?”最初の反応はこれだけだった。先生はというとパシャをもっと驚かせる反応を示した。“誰が?”しかしすぐ後にわかった。話題になっているのが私であるということが。パシャに私が学歴だけの愚かな存在であると言った。これを私に説明するとき、私に興味がなかったようだ。興味があるのは、白髪混じりのパシャの屋敷で起こっている数々の事柄であった。そして頑固に全てが自分の発見(明)であるといったが、パシャは彼を信じなかった。犯人を探すような状態(様子)であった。そしてその犯人が非常に好んでいる先生の存在に対し、あたかも感情の一種であるように納得していた。このように星について話そうとしているところへ、私について話した先生がこの話題を話すことが全く気に召していないのが私にもよくわかった。このように沈黙があり、パシャの注意は近所の別のお屋敷の辺りを滑っていた。夕食のとき、先生は星や彼の発見について話そうとしていたとき、パシャは私の顔を思い出そうとしているが、頭に先生の顔が思い浮かぶと言った。客間には他の人々もいて、人びとが夫婦になることについておしゃべりを始めた。この話題について大げさに話していた。

 食事が済み、屋敷にいっぱいいた人々が散らばると、パシャは先生が残る事を望んだ。先生が改めて説明し始めたとき、パシャは最初のうちはあまり楽しくなく、さらにそのうえ、よく理解しているようには見えない一連の交錯する知識で気分をすぐれなくさせられたために不満そうだったが、のちに先生が暗記した文章を3回聞いて、私たちが作った模型の地球と(他の)星を数回眼をキョロキョロさせて眼前で回るのを見た後、何かを掴んだようだった。少なくとも、ほとんどそうだとは思えないほどの不安と懸念を感じて先生が説明する事を注意深く聞き始めた。そして先生は、星の動きが一般に信じられているようではなく、このようにして回転していることを興奮しながら繰り返した。“そうか”といってパシャは最後に“わかった、そのようにもありうる、ありえないはずがない”というと先生は黙り込んだ。

 長い沈黙があったように感じた。窓の外を、港の方の闇を見ていた先生が声を発した。「どうしてとまるんだ。なぜ前に進まない?」 こう質問したものの、その答えは私でも彼のように知らなかった。おそらく前において行かれるであろうその場所のことにおいて先生には一つの考えがあった、と私は疑っていた。そうであっても彼も何も言わなかったが。全員が自分がまるで自分でないかのような不安を抱えているようだった。パシャは少したつと時計に興味を持ったようだった。中を開けて歯車や,メカニズムや重りが何に役立つのかを尋ねた。そして暗闇と恐怖から一匹の蛇が巣穴から出くわすかのように恐る恐る指をことこと音を立てる機械の中へ差し込み、引っ込めた。この間先生は時計台を説明した,全員が完全に同じ時間で行える礼拝を力説していた,そのとき突然パシャがひらめいたようだった。「救われる!」と叫んだ。「望むならば毒とともに、望むならば解放しなさい。リラックスして。」 恐れと希望の入り混じった目で先生を見なければならなかった。