目に眼鏡

アズィズ・ネスィン

尾田郁子訳


 私は健康診断を受ける必要があった。私は24歳で、私の将来はこの健康診断にかかっていると思っていた。

 順番にすべての診察を終え、すべてから健康と分かった。目の検査が残っていた。目を信頼していたため、それを最後に残した。

 眼科医は検査の後で、

「検査書に書いています。近視…。処方箋も書いています。眼鏡をかけますか。」と言った。 

 世界が暗くなったと思った。その歳の理解力では、目の障害が出て輝かしい未来が一度に消えなかったなら、今、まったく別の大きな男になるはずだったのに。どんな?海峡の船の船長か政府の役所の支部長など…

 昔から五百歩むこうにいる黒い雌牛のしっぽにとまったウマバエさえも見分けたのに、検査の後、鼻の先に近づけた新聞の文字が読めなくなった。

「目が近視だ…」と私は言っていた。

「近視ではありえない」と彼らは言った。

「どうして?」

「近視の人は遠くが見えない。君は近くが見えてない。」

 近視の目は遠くが見えないということを私たちは学校で習っていたが、私は忘れていた。他の人たちの注意の後、私の誤りを理解しながら新聞や本を読み始めた。しかし、三歩先の壁が見えていなかった。眼鏡を買うつもりだったが、処方箋をなくしてしまっていた。ほかの眼科医に検査に行った。医者は、

「あなたの目はきわめて健康です。」と言った。

「どうなってるんだ。一か月前には近視があったんだ。」

 医者は怒って、

「それを誰が言ったにせよ、まったく見当ちがいをしたもんだ。」と言った。

 私もそう考えていたので、目が昔よりももっと良く見え始めた。45歳まで眼鏡を掛けなかった。

 今から78か月ほど前、家に来た友達は、

「君はどうして眼鏡を使わないんだ?」と尋ねた。

「どうして使おうか?」

「人はこの歳になったら眼鏡なしはあり得ない。今、眼鏡を使わなかったら、将来全ての目が駄目になって、全く見えなくなるぞ。」

 友達は帰った。私の目は曇り始めた。遠くも近くも見えない。ほかにもう一つ私の秘密を話そう。人生でひそかに二つのことを望んでいるのです。ひとつは、私の髪の毛がはげおちて額が出ることを、もうひとつは、眼鏡を掛けることを。この二つは人を明るく見せる。肉屋の店員を連れていけ、髪の毛がはげおちて、額が出るように、さらに眼鏡を掛けるように、大学で助教授をしろ、行くように。

 この二つの望みの一つさえもかなわなかった。何もかなわなかったから、これらはかないますように。

 髪について言うならば、日ごとにひしめき合っている。全く駄目なら眼鏡を掛けよう、見る人達が読み書きのできる男だと言うように。

 ある目の専門医に行った。診察して、

75ディヨプトリ(度数の単位?)の近視だ。」と言った。

 つまり20年前の初めて診察した医者の言ったことは正しかったのだ。その時のディヨプトリは増えて、75になった。

 処方箋に従って、眼鏡を買った。眼鏡を掛けると、頭が回って胸が悪くなり始めて、―すいません―ひっきりなしに吐いている。船酔いしたように、私の中身が私の外に出るだろう。眼鏡を外すと全く何も見えない。掛けると見えないし、吐く。掛けてもどうも具合が悪い、掛けなくてもどうも具合が悪い、眼鏡ではなく、わざわい…

 一人の友達は私の状態をあわれんだ。

「私が君にとても良い眼科医をすすめよう。彼の所に行きなさい…。」と言った。

 私は行った。医者は最初に私を、その後、目にある眼鏡を診察した後、

「この眼鏡の処方箋をどの馬鹿が与えたんだ?君の目は近視ではなく…。」と言った。

「では何ですか?」

「遠視だ。2ディヨプトリの遠視…。」

 ある障害であることが分かった。遠視を近視と言われるなら、誤りはないのだろうか?

 処方箋に従って眼鏡をあつらえた。この眼鏡は吐かせないし、胸を悪くさせない。とはいうものの、これも私を泣かせる。眼鏡を掛けることで目から涙が溢れ出す。泣くと私の中に孤独が襲い、私は完全に泣く。ただ葬式でだけ掛けられるだろう眼鏡。泣いて泣いて、私の目は充血した。

 ある友達は心から、

「おい、君は盲人になるぞ。国立病院に行きなさい。私立病院の医者以外で、大きな国立病院以外。」と言った。

 病院の眼科医はさらに教授だった。そう、病院診療所以外。さまざまな道具がある、ぴかぴかの…。

 教授は私の目を診察した。私は身に降りかかった災難を説明した:

「ひとりは近視だと言った、別の人は遠視だと言った。」

 教授は怒った、

「やあ、なんてことだ、なんてことだ…!君の目には近視も無ければ遠視も無い…。君の目には乱視がある…。」と叫んだ。

 教授の処方箋に従って眼鏡を作らせた。この眼鏡は調子がとても良かった。全てのものがとても良く見える。ただ、どんなものも本来の場所に見ることができない。世界は私から遠ざかった。10年間、私が住んだ部屋の向かいの壁は30メートル遠くに行った。ある友達の手をにぎろう、何ができる…。書き物をしよう、手の下にある紙が2メートル前に見られる。望遠鏡の逆から見たようなもの。すべてのものが遠ざかって小さくなった。人々はレンズマメほどに…。どうかこれが私に気に入りますように、私に大きく見えますように!すべてのものが私より小さくて遠くにある。なんて美しいのだ…!すべてが良いのだが、食べ物を食べることができない。机に座ると、前にある皿が20メートル先に見える。私の鼻が熱いスープの中に入っていても、私はスプーンを2メートル離れたところに見えるスープ皿にのばす。食べられなく、飲めなく、歩けなくなった。

 彼らは私の手をとって別の眼科に連れていった。アメリカで勉強をした医者…。彼らが言うところによれば、彼(その医者)はモグラにオオカミの目をつけたそうだ。長い長い診察の後、

「この眼鏡をどいつが……与えたのだ?ああ、なんて馬鹿なやつだ…。こいつらも私は医者だ、といって暮らしているのか?あなたが検察局に苦情を言えば免許を彼らの手から奪うだろう。」と言った。

「私からされませんように、神からなされますように…。」と私は言った。

「あなたの右目は1.5、左目のほうは2ディヨプトリの近視です。」

 新しい眼鏡を買った。今回はすべてが二重にみえる。私の家にいる7人は14人になった…。以前は≪人と人は似ている。この人達は二重に作り出されたのだ≫と気にしていなかった。人が人に似ているとしてもここまで似るのか…。もちろん他の人のように私も。自分の足を見ると4本。片方の手には10本の指。気が狂いそうだ。

 また別の眼科に行った。この医者はドイツで勉強したそうだ。

「あなたにこの眼鏡を誰が……与えたんですか?」と言った。

「何があるんですか?」

「なあに大したことじゃない、間違いです。」

 私の左目は3ディヨプトリの近視と乱視で、右目は2.5ディヨプトリの遠視だそうだ。

 彼が与えた眼鏡の後、夜も昼間も何も見えなくなった。全ての場所が暗闇だ。彼らは

別の医者に連れていった。男は笑った:

「誰が……与えたんだ、この処方箋を…?あなたの目には何もありませんよ。きわめて健康です。」

「見えません。すべてが暗闇です。」

「あなたの目に鳥目(夜盲症)があるので、それで…。」

 錠剤、注射、ビタミン、新しい眼鏡…。この眼鏡を掛けると遠くにあるものが鼻の先で見える。桟橋から船に乗るために進んだ。私はあやうく海に落ちる所だった。船はもはや接岸していなかったのに、私は船に乗ったのだ。

 私たちが行っていない眼科は残っていなかった。ひとりが、右目が近視、左目が遠視と言う一方、ほかはその逆を言った。ひとりが乱視と言う一方、ほかは白内障が入っていると言った。白内障が入っていると言った、この医者が与えた眼鏡で、すべてが緑色に見え始めた。今度は、医者は≪色盲症がある!≫と言った。

 すなわち、私が買った眼鏡のおかげで身の回り品の、前から、横から、遠くから、近くから、何種類、何色見られることができるのなら、すべての種類を、すべての色を見た。最後に掛けた眼鏡はすべてを私に上から示した。世界は私の足の下から450センチメートル下に下がっていた。平らな道を歩いているとき、階段を下りているように感じた。ラクダのようにペタンペタン足をふみだし始めた。このため、橋の階段を下りる時、私の足の下の段が、私には1メートル下に見えたため、歩を進めようというとき、落ちて、遥か下まで転げ落ちた。

 私の眼鏡は落ちてしまった。眼鏡なしでは何も見えなかった。私の周辺は水蒸気の中だった。彼らは、私を地面から立ち上がらせた。

「ああ、私の眼鏡はどこ?」と言った。

 彼らは眼鏡を見つけて手渡した。私は掛けた。なんとまあ…。私の人生で全くここまで良く見えたことを思い出せない。すべてが本来の場所にあって、はっきりとしていて美しい。間違って他の人の眼鏡を掛けているのかと見た。いや、私の厚くて黒いふちの眼鏡だ。どんなに嬉しかったか説明できない。ようやく眼科医たちから救い出された。新聞の一番小さい文字を見るように、遠くにある船の先にある文字も読んでいる。

 その喜びとともに家に入った。妻は、

「眼鏡のレンズはどうしたの?」と言った。

「どうなってる?」

 眼鏡を外した。指がふちの輪からむこう側に通った。眼鏡のレンズはなかった。階段から落ちて壊れたようだ。

その日以来、眼鏡なしで、とても良く見えている。