語学学校ロガットナーメ・デホダー留学体験記

ペルシア語専攻3年 久野 華代

私は2003年7月1日から、翌年3月までの約8ヶ月間、大学を休学し、テヘランに住み、「ペルシア語」語学学校に通った。留学にあたっての事務的な事柄を中心に「留学体験記」として、以下のようにまとめる。これによって、多くの人が「イラン留学」をより身近なものととらえ、テヘランでの生活を体験できるようになれば大変嬉しい。

☆留学したい

イランへの留学経験がある先輩に話を聞くと、過去にイランへ行った経験から留学を決意するケースが多いようだ。私の場合も、2002年の夏休みの短期旅行ではじめてイランを訪れた。この時の経験から、イランで暮らすことができそうだと判断した。ペルシア語の勉強を深める目的で、具体的に渡航を決めたのは、2002年の末ごろだった。留学先には、これまでペルシア語専攻の先輩方の受け入れ実績が豊富な「ロガットナーメ・デホダー Logahtnameh-ye Dehkhoda (The International Center for Persian Studies)」(以下「デホダー」とする)を選んだ。

デホダー入学のためにはまず、願書となる「フォルム」を手に入れる。これは在京イラン大使館から入手可能。「フォルム」をデホダーにファックスする。(Fax: 98-21-2717118)ファックスが届いたことを確認するため、自分が入学したい旨を伝える電話を、同校事務の「ジェナーブザーデJenabzadeh氏」(英語可)にかけるとより確実と思われる。(Tel: 98-21-2717120)氏とは、現地時間で、土曜日から木曜日の午前中に接触できる可能性が高いようだ。

☆必要経費はどれくらい?

航空券(イラン航空一年間オープンチケットを購入。学割が適用された)は日本で購入した。現地滞在費用、「デホダー」2ターム分の学費を、すべて米ドルにして現金で持っていった。1ヶ月あたり、家賃として300ドル、その他生活費として200ドルくらいを考えていた。結果的には、予想外の出費も発生した(ビザ更新でデホダー側が要求してきた手数料、イランからUAEのドバイへ渡航した際の費用など)。月200ドル前後の生活費は、頻繁な外食や遠出をしなければ快適に暮らすことが可能な額と思われる。

デホダーの学費としては、1ターム(3〜4ヶ月。開校時期によって異なる)あたり500ドルなので、私は2ターム受講の予定で、1000ドルを生活費とは別に用意した。ただし、テヘランの物価は日々、上昇しているので、費用に関しては留学直前の情報収集が欠かせない。このように、かなりの金額を現金で持ってゆくことになるので、さしあたっての費用のみを持参し、足りなくなれば、知人や家族にイランに観光がてら届けにきてもらうというやり方も考えられる。イランは郵便局留めの国際送金も適用されるが、私は利用しなかった。

☆留学のためのビザをとる

前述のフォルムをデホダーに送れば、早ければ数週間後に、こちらが指定したファックス番号宛に、折り返し「入学許可通知 davatnameh」が送られてくる。(入学のための選抜試験等はない)。これとパスポートを持って在京イラン大使館へ。ビザは「入国ビザentry visa」が発給される。

私の場合は、この「入学許可通知」を手に入れるのに大変手間取った。後日判明したことだが、私がフォルムをファクス送信した際、デホダーは改築工事中で事務所が混乱していたため、手続きが遅延していた。このように待てど暮らせど「通知」が送られてこない場合は、直接イランに出向く、あるいは現地の知人に頼んでデホダーに直接掛け合ってもらうことを検討した方が良い。

☆イラン行きの荷物は

ほとんどの日用品は、テヘラン市内で現地調達が可能。それ以外のものとして、医薬品は持参した(風邪薬、目薬、うがい薬など)。イランでお世話になる人に、何かおみやげを持ってゆくのも良い。私の経験では、雛人形やビジュアルの美しい雑誌、カメラ、化粧品、マシュマロなどが気に入ってもらえた。

☆イランに降り立つ

イラン航空の東京発の便は、テヘランに深夜到着する。空港から市内へは「空港タクシー」の利用を勧める。料金は割高だが、確実。行き先の住所を空港駐車上にあるタクシーブースで示し、その場で料金を払う(前払い)。私はテヘラン市内に住む知人に迎えに来てもらい、その晩から滞在先が見つかるまでの数日間、お世話になった。到着して、夜が明けたら、まずはデホダーへ出向いて、入学手続きを行う。クラス分けテストが実施され、ビザの延長に関する説明がある。パスポートを持参すること。デホダー住所は以下のとおり。

Iran, Tehran, Shemiran, Khiyaban-e Vali-ye ‘Asr, ruberu-ye Istgah-e otobus-e Pesiyan, Logahtnameh-ye Dehkhoda.
(Pesiyan busstop, Vali-ye ‘Asr Avenue, Shemiran, Tehran, Iran)

テヘランのメインストリート、ヴァリーアスル通りをタジュリーシュ広場方面へ北上し、 ”Pesiyan” というバス停の目の前、緑色の窓枠の白い建物がそれである。

☆どこに住むか

滞在先をどこに決めるかは重要な問題である。デホダー事務所は、学校周辺にホームステイ先等を紹介する。しかし、その後の責任は一切負わないとのことだった。また、テヘラン大学学生寮も紹介しているそうだ。
テヘラン市内には、学生向けの「パンシヨン(寮)」がほかにも何軒かある。以下にその例を紹介する。ただし、どちらも女子専用の寮である。
  1. Pansion Madar
    Gandhi Ave.,9th street, No 18.
    Tel: 9821-8797164
  2. Pansion Mehr
    Enqelab Ave.,Vila street, Malaqe alley, No. 12.
    Tel: 9821-8808839

その他、The British Institute for Persian Studies(Tel :9821-2604901) も、学生に部屋を貸してくれる。ただし滞在は一ヶ月未満が原則である。
市内の不動産屋を回るのもひとつ。以下は英語可で、デホダー近く。
Tashrifat Husing Agency
No.1771, first floor,Corner of Baghferdos, Vali-ye Asr Ave.,Tehran
Tel: 9821-2723119; fax: 9821-2726479

デホダーで新学期が始まり、学生同士が交流する中で、滞在先に関する情報はこれら以外にも入手可能である。テヘランに到着してからしばらくの期間の、仮の滞在先のようなものを、事前に目星をつけておくとより良いと思う。私は到着から2ヶ月間はPansion Madarで過ごし、その後、語学学校で知り合った女性と不動産屋を介して見つけたアパートの部屋をシェアした。

☆学校生活がはじまる

語学学校の授業は、『アズファーAZFA』というペルシア語テキストを使って行われる。クラス分けテストの成績に従って、4つのレベル別クラス編成がなされる。授業時間はタームによって変化するが、基本的には、週に3回、約2時間である。この『アズファー』の授業の他に、ペルシア文学や、ペルシア語文法、新聞をテキストとした読解、会話、ペルシア書道などの講座も開かれている。これらは週末を除く毎日開かれており、500ドルを学費として収めた学生は、追加料金なしで受講することができた。『アズファー』の授業は週に3日と少ないが、その他の授業は少人数制で、受講する価値はある。ペルシア語文学を日替わりで、一流の先生方とともに、時には独特の解釈も飛び出しつつ読んでゆくのはデホダーならでは。また、新聞を読む授業では、当日の記事について、その場で各自の解説が求められ、日頃の勉強がものをいう厳しさであった。

デホダーには、各国からの学生として、多い時には50人近くが集まっている。デホダーの統計によれば、過去10年間でもっとも多く受け入れたのは、日本からの学生で、ついでドイツ、アメリカ、という順番だった。世界の5つの大陸から、ありとあらゆる人々がペルシア語習得のために同校の門をたたく。学生だけでなく、現地で働く外国人や、趣味でペルシア語学習のため訪れた人々など、多様な背景をもつ人々とそこでは知り合うことになる。私が親しくしていた、アメリカの大学院でペルシア文学を専攻するアリサ、パスポートを電車に置き忘れたスペイン人国連職員ジュセップ、ロンドンでイランについて勉強中のスウェーデン人パルなど、彼らとはともにイラン国内のあちこちへ旅行したり、イラン料理を習ったりした。そして今でもEメールなどで交流が続いている。「ミニ国連」といった冗談は、多様な地域から留学生が集まるデホダーの様子をよく表現している。ペルシア語、あるいはイランの懐の広さに気付くことができる場所だ。

☆テヘランで暮らす─銀行・電話・インターネット─

ここでは、生活に必要な補足情報をいくつか示す。

☆今、テヘランを離れて

テヘランで暮らしはじめた当初は、バスやタクシーの乗り方、ナンの買いかたなど、何一つ要領を得ず、まずは周囲にいる「おばちゃん」に聞いてみることからはじまった。

テヘランで滞在する中で身につけた「生活術」は数知れない。痴漢にあわない方法、ごはんをタダでよばれる方法、テヘラン名物「テラフィック(交通渋滞)」とうまく付き合う方法、護身術などなど。しかし、これらはテヘランで暮らすことになれば、すぐに、それぞれが自分なりの方法を見い出すことになるだろう。今、最低限のこととして、私がテヘランで無事に、快適に過ごすことができた理由を記しておけば、「暗くなってから一人で街に出歩かない」ということだ。テヘラン以外の場所でも、皆それはあてはまる。それから、テヘランの夏の昼間の暑さは本当に厳しい。テヘランの人たちにならって、昼寝の時間にしてみるのもまた一興。長い「テヘランの夜」を楽しめる。

今、留学を終えて、時折ふとテヘランが恋しくなる。語学学校の帰り道、理不尽な交通渋滞の中で、ハイウェイから眺め続けたテヘランの夜景が、バスに流れ込む排気ガスの息苦しさとともに蘇える。イランでの留学生活は、はじめ面喰らうような状況から、「快適」をどのように見つけるかの試行錯誤の連続だった。ここから得た自信は、やはり短期の旅行だけでは身につかなかっただろう。

☆最後に

留学を考えているみなさん、仮に明日行ったとしても、イランの人々はあなたを心ひろく迎えてくれることでしょう。外からのお客を歓待するイランの人々の精神から学ぶものは数多いです。今、イランに行く価値とは、ときに開けっ広げの好奇心さえ持ったイランの人々と、より多く出会い、深いつながりを得ることだと思います。

テヘラン滞在中には、現地滞在の日本人の方々にも、大変お世話になりました。「外国で働く」あるいは「生活する」ということを、多くの方々から学ぶことができました。この場をかりて、深くお礼申し上げます。

2004年7月30日

トップページに戻る

「留学・語学研修について」に戻る