藤井守男(ふじい もりお)
インデックス
学歴:1981年 東京外国語大学大学院修士課程終了
職歴:現在 同大学 南・西アジア課程(ペルシア語)教授
19世紀に登場する反アラブ主義思想の実体を、 コーカサス(カフカース)在住の文字改革論者として知られた思想家アーホンドザーデ(後述)の影響を強く受けた アーガーハーン・ケルマーニー(1896年処刑)の著作(『三通の手紙』)の中で具体的に検証したしたもの。
彼はペルシア国内から脱出した後、アルメニア人暴動をめぐって画策された、 ペルシアとオスマン双方との政治的陰謀で処刑された。
イラン民族主義、国粋思想の露骨な姿が現れているケルマーニーの『3通の手紙』には 今だ本格的な校訂本がないので現存する写本(ブラウン・コレクション)を利用した。 イラン国外で完本らしきものが出版されたが、 原文中のコーラン、ハディースからの引用の部分がほとんど省かれており信頼できる版とは言いがたい。
サファヴィー朝期に「国家宗教」としての位置を得る12イマーム・シーア派思想の形成過程に 疑義を投げかけた部分を写本の原文からそのまま引用した。
彼の筆致は、後に、反シーア主義、スーフィズム批判を展開したアフマド・キャスラヴィー(1946年暗殺)が、 サファヴィー朝の始祖とされるサフィーウッディーンをスンニー派と結論付けた論考を発表したことを想起させる 先鋭的なものである。
宗派抗争という姿で現れた社会的軋轢を、 人格的求心力を通じて融和へと導いたとされるスーフィーの導師の言行を、その死後約100年後、 西暦12世紀半ばにまとめられた伝記『唯一性の神秘Asrar al-Towhid』の内容の解析を通じて再構成し、 中世期ペルシアに見る「寛容精神」の可能性を探ろうとしたもの。
特に、このペルシア語のテクストは言語史的にも重要な情報を伝えており、 スーフィー関係のペルシア語テクストとしては第一級の価値がある。
東京外国語大学総合文化講座主催のセミナーの公演録をまとめたもので、ペルシア文学の翻訳の部分。
アッタールの聖者列伝の翻訳に際して浮かび上がった、 神秘主義関係のペルシア語テクストの翻訳に関わる難しさや面白さ、さらに、 特に、東京外国語大学のペルシア文学研究の一端についても触れた。
活字化されたという意味では、文字通りの第一論文。 この論文執筆から3年間は、近代イランの文学史的課題を整理し、 現代イランの文学、社会思想の抱える問題を解明する方法を探求した。
20世紀初頭、イランで盛り上がった立憲運動の中で、 最もラディカルな論調で知られた『スーレ・イスラーフィール紙Sur -e Esrafil』には、 外来のソシアル・デモクラート思想(農地改革等の面での急進的傾向を見せた)と、 前記ケルマーニーなどによって記述、呈示されたナショナリズム思想 (ペルシア民族の文化的持続の追及などの姿?民族語及び民話蒐集、古代語の痕跡としての方言研究?であらわれた。 後にヘダーヤトが継承することになる。)が混ぜんとして表出しており、 デホダーが執筆したコラム『たわごと charand・parand』の筆致にもそれが反映していると考えた。
当論文執筆の時点では、ソシアル・デモクラート思想を独自に、思想として考察することはしていないが、 現代イランの知識人の言論活動が自覚的に開始されたこの時期の代表的思想潮流として、後に再認識した。
イラン現代文学の旗手ことジャマールザーデがドイツから当時のペルシアに送りつけた「現代小説」や「文学宣言」と、 こうした傾向との落差についても簡単に触れた。
イラン現代文学と俗語のかかわり方についても、文学史的立場から触れている。
立憲革命前期、その啓蒙的な著作で立憲革命文学の旗手として文学史上紹介されていたこの人物が、 実際に議会が開催されるとなると、そのあまりの混乱振りを理由に、議会に出席するのを拒否した、 という事実を起点として立論し、彼の著作には、 国民議会なるものをうけいれる素地がもともと見当たらない点を実証的に解明したもの。 現代イランにみる、政治と文学、の問題に関わる論考となった。
イラン側アゼルバイジャンに生まれ、生涯、コーカサスでロシアの将校として暮らしながら、 『キャマーロッドウレの手紙』(アゼルバイジャン語で執筆。すぐに彼の監修のもとでペルシア語に翻訳された)で、 ペルシアの繁栄を阻む要因として宗教的ファナティシズムを批判し、 国民の意識を覚醒させるため文字改革(これは後にトルコで実現した)を唱導し、 革命的劇作家としても知られた19世紀ペルシアの大知識人アーホンドザーデを 文学史に位置付ける作業として執筆したもの。
この人物の検証を通じて、19世紀の知識人が批判の対象としているのが サファヴィー朝期のペルシアの宗教政策であることが明らかになってきた一方、 中世ペルシアのイスラーム思想(イブン・アラビー系の神秘哲学、イスラム哲学、イスマイル派等)に依拠しつつ 進められる論法を理解するため、この分野のテクストの研究の必要性を強く感じるようになった。
イブン・アラビー系の用語を縦横に駆使し、イスマイル派をイスラーム世界のプロティスタンティズムと認知しつつ、 「宗教的迷妄」をイラン文化の根底から排除するための「論理」が、うねるような文体で展開された、 『キャマーロッドウレの手紙』のような著作が1870年代に執筆されていたこと自体驚きである。
14世紀に執筆された『神秘の花園Golshan-e raz』に傾倒したことが伝えられているこの人物の説くところを、 西洋近代の啓蒙思想の影響関係とは別次元で、深く理解するため、このあたりから、徐々に、 中世ペルシアの知識人像にも、目を配るようになり、 中世期の思想関係のペルシア語、アラビア語のテクストを視野に入れた研究に実質的に入っていった。
コーカサスにいながら、その死にいたるまでペルシアとの思想的紐帯を誇りとしていたことが 書簡からも伺われ興味深い。
20世紀前半のイランを代表する作家であったヘダーヤトは、 同時代の西洋で展開されていた実存主義等に傾倒する一方で、イランの文化状況に鋭利な洞察を残している。
このイラン人知識人が同時代のイランの文化政策(イラン・アカデミーなど)に関していかなる考えを述べているかを 彼の評論から抽出しつつ、彼自身が1930年代前半の強硬なナショナリストから、 1940年代のインターナショナリズムへの傾斜を経て、 最終的にたどり着いたとされる彼独自の「自国の文化」像を検証した。
13世紀に登場したイブン・アラビーの神秘哲学の影響下にあらわれたペルシア語の神秘主義詩を、 思想史的角度からのみでなく、イラン文化に根付いた神秘主義的思考様式の一つの分岐点を示す重要な作品として 位置付けた。
特に、従来、あまり、明確には指摘されなかった、 アイヌル・クザート・ハマダーニーAyn al-Quzat Hamadani( d.1131)との思想表現上の近似性に触れた。 (なお、当論文中で、アイヌル・クザートを完全な現代イラン読みで、エイノル・ゴザートと表記した点については、 若干、誤解を招く可能性があったことを指摘しておく。)
イブン・アラビー系の神秘哲学と、スフラワルディー系の「照明学派」Eshraqiの存在論が融合していく過程で、思想史的観点から重要な意義をもつ思想家であるサーイヌッディーン・トゥルカ・イスファハーニーを、ティームール朝下の抑圧的な政治状況の中で筆を執った高度なインテリとして、より広い視野から捉えなおそうとした論考。イブン・アラビー的な存在哲学の影響が浸透する以前の、バスターミーに淵源するホラーサーン系神秘主義の潮流の中にいて、同時代の政治運動との係わりが注目されている神秘主義系の知識人の典型をアイヌル・クザート・ハマダーニー(1131処刑)とすれば、サーイヌッディーンは、イブン・アラビー以後の時代にあって、アイヌル・クザートと同質の問題を孕む知識人として注目される。本論は、ペルシア語テクストの分析を軸として中世イランの知識人の実像に迫るためのアプローチの一例ともいえる。
「神秘主義」Tasawwuf(Tasavvof)と「禁欲主義」Zuhdとの微妙な関係について、西暦12世紀前半のペルシア語スーフィー・テクスト『Rawh al-arwah』における思想傾向と言語表現の解析を通じて論じたもの。本書の内容の検討による限りにおける一つの結論として、Tasawwufという事象と、人間が「美を表現する」という行為との本源的結びつきを明らかにした。説教と神秘文学の関係、ペルシア文学における神秘主義文学の成立過程における、「美の表現」という範疇の重要性に触れている。『Rawh al-arwah』というテクスト自体については、写本の選定も含めて校訂自体に大きな問題があるという点と共に、神秘主義的傾向を顕著に見せる部分をもつという点で極めて重要なペルシア語のタフスィール・テクスト『Kashf al-asrar』(マイブディー著)の数箇所が、本書の中に全く同じ形で出てくるという研究史上の難題がある。マイブディーのペルシア語タフスィール(神秘主義的傾向の顕著な箇所)との近似性は、両テクストに全く同一の文章が散見できるという点で、時代的には若干後に執筆されたとされる『Rawh al-arwah』の研究意義に係わる重大問題である。学識高い説教師であった、本書の著者シハーブッディーン・アフマド・サムアーニーと、マイブディー自身との関係も含めて、この二つのスーフィー・テクストに関して本格的な研究が今後進められると予想される。
『聖者列伝 Tadhkirat al-Ouliya』は文学史的にも、広義には、イランの文化史的にも、 現代的な意味での良し悪しは別にして、最も重要なペルシア語テクストの一つである。 イブン・アラビー系の哲学的な傾向がスーフィズムに浸透し始める以前、ホラーサーン地方で発展したスーフィズムを体現したアッタールAttar(没年?1221〜1229?はヘジラ暦627年が有力というが定まっていない)が晩年に執筆したとされる。
ペルシア文学にかかわりが深い人物を選択して、抄訳としてでも約2年がかりで訳出した。
完本自体に不明の部分が多々あるので、解明できた範囲で訳出したが、 こうした文献の翻訳は、例えば、バスターミーに関するKitab al-Nurといった原資料に立ち戻って行われるべきであって、 現在、イランで作業が進められている本書の本格的校訂の出版を待って、再度、部分訳から徹底的に、 やり直してみたいと考えている。
それにしても、事実認定の誤り、読み違い (例:校訂本ではいずれもシブリーがハッラージュに泥gelを投げたとなっているが、 花(薔薇)golの方が正しいという説も根強い、など)等がかなり見つかっており、 アッタール自身に関する研究と平行しながら、イブン・アラビー以前の、 ホラーサーンを中心とする神秘主義関連のペルシア語テクストの研究を深める必要性を痛感している。
タサッウフ(イスラーム神秘主義)に発展する以前の禁欲主義の背景にムウタズィラ派神学があり、 アシュアリー派神学の教義的土台の上に、いわゆるタサッウフが発展していく、という点についても、 本書の翻訳作業中にはあまり具体的に触れることが出来なかった。
いずれにしても、宗教の美学的、芸術的側面がタサッウフだ、 と指摘してきたテヘラン大学のシャフィーイー・キャドキャニー教授の慧眼と学識によるところ 極めて大な研究分野であることにはかわりない。氏の今後の研究に注目したい。
「ペルシア語文化圏の知識人の知的良心を支える言説の実存的基盤をめぐって、 中世期、前近代、近代期の突出した「知性」の言説に光をあて、 その史的展開に関する文化史的眺望を得る」というのが、研究の目的となっているが、その後、 中世期で特に注目される主題として挙げておいたアイヌル・クザート・ハマダーニーについて以下の研究書がでた。
Hamid Dabashi, Truth and Narrative;The Untimely thoughts of 'Ayn al-Qozat Hamadani, Curzon, 1999,21+671p.
コロンビア大学のハミード・ダバーシー教授によって執筆された、英語によるこれまでで最も浩瀚な研究書である。 本書全体を通じて、オリエンタリスト批判が一貫しているが、 アイヌル・クザートに関する基本的な情報についてはオリエンタリストの情報が基本となっているようである。 本書の普及版にあたるものも出版されている。 わが国でも、アイヌル・クザート研究の全体像を見据えての書評が待たれる。
氏が国際交流基金で1年滞在された時に、 ご本人に許可をいただいて『ボハーラー』誌に掲載された氏の論文をそのまま訳出した。 雑誌に掲載されていない部分も訳出しているので世界でここにしかない部分が入っている。 氏の言語社会学的な関心とペルシア文学に関する美学的な研究が一体となったユニークなもの。
『イラン百科』Dehqani-Divorceの項目の書評。ペルシア語。
現代作家チューバクの作品をめぐる寸評。ペルシア語。
文部省の在外研修から帰国した時点で、 西洋的な色合いのある文学作品に対するイラン国内の厳しい論調を紹介した。 この中で、当時、発刊が始まったばかりの『ケルク』誌を紹介した。
イランで話題となっていたパールスィープールの『トゥーバーと夜の意味』を紹介したが、 今となっては、この小説あまり評判がよくない。
アミール・ホスロウ、ウルフィー、ファイズィー、カリーム、ビーデルの5人。
ペルシア語(イスラーム期のペルシア語)とペルシア文学に関する研究に携わった日本人研究者の系譜について、その草創期から1980年代までを概観したもの。
セルジューク朝成立以降に徐々に定着する神秘主義的傾向の示す知識人の中でも、とりわけ注目されるアイヌル・クザート・ハマダーニーに関するイラン国内の注目すべき研究動向にふれたもの。この中で、アブー・ハーミド・ムハンマド・ガザーリーの『迷いからの救いal-munqidh min al-dalal』中に見られる、特に、「理知越えた領域 al-Tawr wara’ al-‘Aql」という概念のアイヌル・クザートへの影響についてふれているが、この「al-Tawr wara’ al-‘Aql / Towr-e vara-ye ‘Aql」という表現が、ペルシアの先鋭的な神秘家の詩文に度々登場する、という事実を視野に入れると、ペルシア文学研究者は、ペルシア神秘文学におけるガザーリー的思考(信仰における、非/反理知主義的傾向)の影響力の再検討を迫られているともいえる。近年の研究では、モウラヴィーの、とりわけ、『マスナヴィー(精神的叙事詩)Masthnavi』に対するザーリーの著作の影響関係に関する具体的な検証の報告も為されている。
予め、電話かe-mailで連絡を受けた上で、時間を取り決めることにしています。
E-mail: fujii.morio@tufs.ac.jp
研究室電話番号:042(330)5341