(3)余暇
テスト前後の休暇、ノウ・ルーズ(正月)休暇、夏休みなどは以下のようにしてすごしました。
○オルドゥー(大学主催の旅行)
月に1回ほど開催される「オルドゥー」と呼ばれる大学や寮主催の旅行にも参加しました。これ以外にもテヘランの大学に通う留学生のためのオルドゥーもあります。オルドゥーは希望者参加で、安い費用で旅行できます。宗教都市への参詣や、カーシャーンの薔薇摘み見学旅行、南のアフヴァーズや北西のアゼルバイジャン地方への旅行など、行き先や内容も様々でした。
私はゴムの日帰り旅行と、マシュハドの2泊3日の旅行に参加しました。私もチャードルを被っての参加です。ゴムやマシュハドはイラン人にとって宗教的に重要な都市であり、旅行の目的は聖者廟巡礼です。このような宗教都市に外国人だけで行くと、「我々の聖地に何のようだ!」と言わんばかりに、執拗に警戒され厳しいチェックを受け、時には嫌がらせをされることもありますが、オルドゥーの一員としていけばそのようなストレスを感じることもなく堂々と見学することができました。
みんなが自分の礼拝グッズを持って出かけるのに私もついていきます。礼拝場所を確保すると、集団礼拝の時間まで、みんなコーランを唱えながら数珠を繰ったり、聖者(エマーム)について書かれた本を読んだりしながら気持ちを高めていきます。この時間、友達がその宗教施設や祈るときの心情を話してくれたり、私が投げかけた疑問に対して答えてくれたりしました。集団礼拝の大勢の人たちが自分の周りでいっせいに礼拝を始めるその空気は圧巻です。その後、ロウハーニー(イスラーム教のお坊さん)が説教を行うと全員が泣き始め、初めのころはとても驚きました。一通り終わると、みんなスッキリとした表情で帰り仕度を始めます。聖者廟やモスクの近くには必ずバーザールがあり、礼拝の後はお土産を見たり、アイスクリームを食べたりして帰りました。
クラスメートと始終一緒に過ごすのも新鮮で、知らない一面や家での過ごし方を垣間見ることができました。ホテルの部屋では、順番に自分のことを話したり、ゲームをしたり(イラン人はとても負けず嫌い!)しました。中にはコシュティー(イラン式レスリング)や他の部屋にいたずらを始める子まで!夜は顔にマジックで髭を書いてコントを見せてくれる子もいました。とにかくイラン人の女の子はホテルの部屋でもバスの中でもこちらがぐったりしてしまうほどのハイテンション。騒がしいほど元気がよくて、チャードルに包まれた慎ましやかなイメージとのギャップがさらに魅力的でした。
○ ホームスティ
地方出身の寮の友達の家にホームスティすることも多くありました。イラン人の口癖の一つに「うちへおいでよ!」があります。「ありがとうございます!」と返事はしても、これの約8〜9割が社交辞令だったりするので注意が必要です。具体的に日時を指定してくる人や何度も誘ってくれる人のお誘いにのるようにしました。エスファハーン、ニーシャーブール、セムナーンなどの都市の他、ネカーやデリジャーンなどのあまり知られていない町にも行きました。様々な家族と知り合う中で、イラン人の家族のあり方を学びました。地方や経済状態によって違いはそれぞれありますが、共通していることも多く、本当に家族を大切にする国民性が伝わって、自分が何度かホームシックになったほどでした。全ての家族が様々な観光名所やピクニックに連れて行ってくれたり、パーティを開いたりと工夫をしてくださり、またこれによってイラン人の余暇の楽しみ方や生活習慣も学びました。結婚式にも何度か参加させていただき、みんなが踊り明かして過ごすイランの結婚式を見ると日本の結婚式がしらけて見えたり、逆に騒々しすぎて日本の落ち着きが恋しくなったりしました。
その中で最も印象に残っているのがタバスでのホームスティです。ここにはお正月と夏休みの2回お邪魔しました。2年生の地域基礎の授業で「タバスはオアシス都市で、ペリカンがいるのですよ。」という先生の話を聞いてからずっと行きたいと思っていた場所でした。お願いしたのはテヘラン大学で日本語を専攻し、絨毯織りが趣味という4年生の女の子でした。互いの言語を学ぶもの同士、仲良くなって何度か彼女の寮に遊びに行ったある日、タバスのお正月を見せてもらえないかとお願いしてみました。快諾を頂き、お正月休みに一人向かったタバスは、バスで丸一晩かかるところでした。早朝現地に着くとすでに帰省していた友達とそのお父さんが迎えに来てくれていました。
ノウルーズと夏、タバス出身の友達の家で過ごしました。
砂漠の町、タバスから車で一時間ほどのオアシスに連れて行って頂きました。
伝統的なノウ・ルーズ(イランの正月)の準備や当日の過ごし方も見せていただきました。お正月の挨拶に来るお客が絶えず忙しい中、ドライブや農園、バーザールなどにも連れて行ってくれました。同じイランでもテヘランとは別世界で、自然の豊かな地域を時間がゆっくりと流れていました。
またお母さんが何かと気を使って、絨毯を織るところを見せてくださったり、自宅の釜を使ったナン作り体験をさせてくれたり、伝統料理を作ってくれたりと様々な体験をさせてくれました。帰り際、私にコーランをくぐらせ、「無事に着くように」と祈ってくれた姿も心に残っています。
○ 日本人との旅行
イラン人との旅行では、世話好きで心配性の彼らがなかなか一人で行動させてくれず、本当に見たいものを我慢することもあります。その分は日本人との旅行で、本当に見たかったものや興味のある場所へ出かけました。
イラン在住の方や留学中の学生の方、大阪外国語大学(現・大阪大学)ペルシア語専攻の留学生の方などと旅行をご一緒し、人間関係が広がりました。伝統的なアーシュラー(イスラーム暦モハッラム月10日におこなわれるシーア派最大の宗教行事の1つ)を見にアーブヤーネ村に行ったり、アゼルバイジャン地方へ行って絨毯を見たり、ゴルガーンでカスピ海に沈む夕日を見たり…イラン人と一緒のときとは違う、「完全に外側からイランを見る」楽しみがありました。
留学中は卒業生の方にお世話になる機会もありました。現在企業にお勤めでテヘラン駐在だった先輩には、スノーボードに連れて行っていただき、テヘランでの新たな楽しみを知ることができました。大使館でお仕事をされていた先輩方には旅行に連れて行っていただいたり、寮の閉鎖期間泊めて頂いたりと、その他多くのサポートをしていただきました。このような先輩方の存在は留学中、大変心強く感じましたし、社会で活躍する先輩方に接したことは自分の進路決定にも大きく影響を及ぼしました。
ペルシア語科出身の先輩に何度かスノーボードへ連れて行って頂きました。
スキー場はとても自由な雰囲気でした。