Cambodian Studies, Tokyo University of Foreign Studies

1年生からのメッセージ2015-2016 カンボジア語を学んで

言語文化学部、国際社会学部のどちらの学部に入学しても、一緒に地域言語Aとして、カンボジア語を学びます。

初めて大学でカンボジア語を学んでみた1年生のメッセージです。

日本語でもローマ字でもない、見たことのない文字の言語を学ぶのには、文字を学ぶ時間が授業で確保されると思っていたが、すぐに文法書に入った。授業は質問がないのなら次々に進むのでそのための予習に追われ、授業の初めには単語の小テストが毎回あるので復習を兼ねた単語勉強が毎日欠かせない。他語科と比べても明らかに勉強量の違うカンボジア語科で、何度か授業を休みたくなる日もあったが、3か月ほど経ち徐々にそのペースに慣れてきた。

高校のときなど授業中の問題を自己完結しがちであったが、積極的に質問するようになってきており、質問を考えるために予習をまめにやるようになったという自分の変化を実感している。他大学に行っている友達と比べても勉強することが習慣化してきている。物事の考え方や自分の意見を表現するのにも要点や強調したいことを端的に言えるようになってきているように感じる。


カンボジア語を勉強していくなかで実感した大変さと同時になぜなのかと疑問を持つ視点の大切さと面白さを感じるようになった。そしてその面白さは一見簡単そうなところにある。例えば来ると行くの使いわけであったり、使用する二人称の使いわけであったりである。例えば「私」を基準にした感覚の文法に国民性を感じられることなど、一見単純なものの中に私たちが日本人として身につけた無意識の感覚、カンボジア人が身につけている感覚の違いを感じる。これからもそういったところに目を向けていきながらカンボジア語を通して「カンボジア」を学んでいきたいと思う。


入学後、カンボジア語の授業の形式は自分には合っていると感じることが多々あった。一つ目は少人数制であるという点だ。高校までのおなじみの30、40人規模の授業とは比べ物にならないくらい気軽に臆せず質問ができ、自分が授業を作る一員となれるからだ。

二つ目は、基本的に教科書の内容の把握は生徒に任せられていて授業では疑問点の解説のみがなされるという点だ。今まで経験した授業の大半では教科書の解説が基本となっていたが、こちらの方式のほうが時間の無駄が少なく、同じ授業時間数でもかなりの進度を得ることができると思う。その分家庭学習がハードなものとなるが、頑張っただけ大きい成果が得られるため継続的に取り組めている。


大学に入学して3〜4週間くらいだったでしょうか、カンボジアからの留学生と偶然キャンパス内で出会ってお話しする機会がありました。大したことは言えませんでしたが、なんとか会話を成立させることができました。お世辞かもしれませんが、「上手だね」とカンボジア語で言ってもらえた時はうれしくて、その日の帰り道は用もないのに自転車を力いっぱい漕いでしまいました。このように、学習の成果を早く感じることができます。また、このとき、日々の勉強はつらいだけではなくて、時には喜びをもたらしてくれるということを実感しました。

いつも予習が大変ですが、その分遠くへ行けている気がするので、今の勉強の仕方を信じて学習を進めていきたいと思います。また、今は上記のようなちょっとした喜びのために勉強しているようなものですが、将来的に、現地の人々により近い存在になれたり、その結果として世界を見る新たな視点を得られたりするのではないかと期待しています。


カンボジア語の授業はわたしにとって単なる語学の勉強の時間であるだけでなく、自分磨きの時間ともなっている。わたしはもともと何かに疑問を持ったときに人に聞くのが苦手で、自分の中だけで解決したり納得しようとしたりしてしまい、結局確かな答えを得られないことが多かった。それが自分の欠点だということはわかっていても、なかなか改善する機会を持てずにいたが、今のカンボジアの授業はわたしの欠点を克服する絶好の機会だ。

しかしカンボジア語の授業では質問をしなければいけないという思いが自分の中にあり、質問をするということが授業の中で当たり前になっているからできるようにはなってきたのだが、他の授業などでは積極的に質問したり発言したりすることにまだ少し抵抗がある。カンボジア語の授業を通して、先輩方のようにどの授業でも積極的に自分の疑問をぶつけられるようになりたい。


今までカンボジア語を学んできた中でもちろんカンボジア語について理解を深めることができたが、自分の母語である日本語についても新たな気づきがあった。カンボジア語の入門文法書を読んでいると、新しい文法を説明するのにまず日本語の分析から始まる。この日本語はどういう状況を表しているのか、日本語独特の表現の癖はどのようなものなのか、などカンボジア語について学んでいるはずなのに日本語についても考えなければならない。新しい言語を学んでいくことによって自分の中で常識であった母語を客観的に見ることができるようになった。そして日本語の特異な点について気づくことができた。


これまで約2か月半にわたりカンボジア語を学んできて、積極的に授業に参加することは悪い面にもいい面にもなりえ、言語の習得は想像以上に大変なことであり興味本位で軽い気持ちで新しい言語に手を出すと痛い目に合うことがわかりました。私は自分が学びたい言語であるカンボジア語が学べているのでローマ字ではない文字を覚えるのもどこまでが一つの単語かわからない文を解読するのも全く苦ではありません。むしろ、学びたいのにほかのやらなければならないことが多すぎてそちらの処理に追われ時間が確保できずにできる子との差が開いていってしまうことの方がつらいです。


作成日:2015年12月24日。改訂日:2015年12月24日。
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