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怒りの炎のように

 今朝は目覚ましのラジオから流れる「首里城が燃えている」の報道に、思わず飛び起きた。その後の報道によれば正殿、北殿が全焼、南殿もほぼ全焼とのことである。沖縄の人びとにとって、そして日本や世界にとって大切な歴史的建造物 ー世界遺産が焼失してしまうことは、とても悲しくまた大変な損失である。一刻も早く消火され、再建に向けた取り組みがなされることを切に願う。
 と同時に、世界遺産であるバーミヤンの石仏が2001年に破壊されたとき、モフセン・マフマルバフ監督が語り、かつ書籍にもなった「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という言葉を、またも想起せずにはいられない(書籍タイトルとしては異例に長いこの言葉を忘れるのは、それ自体難しいが)。世界中の人びとが世界遺産の破壊を嘆き、怒りを表明したが、石仏の足元でアフガニスタンの人びとが殺され、貧困にあえぎ、苦しんでいたことには、世界の誰も目を向けていなかった。より大切なのは人のいのちではないのか。マフマルバフ監督はそのことを指摘したのであった。
 首里城は破壊されたのではなく火災に燃え落ちている。沖縄のシンボルが怒りと恥辱のあまり崩れ落ちていると、不謹慎にも思ってしまう。かつてベトナム戦争の頃、沖縄返還をめぐる政府の態度への抗議と怒りを訴える焼身自殺があったが、焼身自殺は人のいのちを失わせるもので、肯定されたり繰り返されたりしてはならない。人は抗議や怒りのために死んではならないのだ。首里城は沖縄の人びとの思いを背負い、身代わりになって焼失しつつある。そんな思いをぬぐえずに、事態をただ呆然と見ているばかりである。
 

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2019年10月31日 10:23に投稿されたエントリーのページです。

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