そう、昨今評判の「ニューヨーク公共図書館」である。205分の映画を観に行くにはそれなりの覚悟がいるし、恐ろしいことに、休日は混雑で入れないかもしれないから、平日の晩にどうぞとされている。7月初めまで上映予定だが、行ける日は限られている。-しかしこのまま観ずに終わらせるのは口惜しい。そんなわけで、昨日ようやく観に行ってきた。月曜の晩だというのに上映15分前に滑り込んだらホールはもう大変な賑わいで、整理券が60番台である。いったいどんな人たちが?!
ちょうど半分ぐらいで5分休憩があったものの、さすがに3時間25分は短くはない。終わったときにはぐったりであった(半分は空腹によるものだったが)。もう少し切り詰めたらそれなりに観やすい映画になったのではと思わなくもない。ただ、監督は図書館的日常をそのままのテンポで写し取り、観る人をそこに参加させたかったのかもしれない。ニューヨークのストリートの匂いをも感じさせるような美しい映像で、図書館は本の置き場ではなく人間でできているという言葉のままに、有名な人にも無名な人にも、老若男女ひとりひとりに同じように焦点を合わせ、カメラを止めずに寄り添う。多くの利用者はつつましい暮らしを送る人びとである。図書館スタッフたちは、きわめてまっとうにそれを考慮し、議論し合い、人びとに接している。公共ということ、今日的な本のあり方、図書館という場の意味と意義。この映画は、世界がまだ捨てたものではないかもしれないと思わせてくれる。そして日本においても、岩波ホールを毎日混雑させるほどの人びとが関心をもち、観に行っているという事実が、希望のかけらを与えるのである。
(本文とは直接は関係ありません。でも映画の中の光は、こんな感じで美しい。先日のゆるピクニックのひとコマ、いや4コマ)