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オイコスと山

 昨年冬に原稿依頼を頂戴したご縁で、O田出版のWさんがリニューアルした雑誌「at+」を送ってくださった。学年末の忙しさで読めないまま置いてあったがようやく手に取ってみたら、「特集 現場を生きる」がとてもいい。とりわけ巻頭論考の岡啓輔さん「自分でビルを建てる:200年もつコンクリート」が滅法おもしろいのである。著者の岡さんは建築士の資格を持つ人ではあるのだが、東京都港区三田にたった一人、自力で家を建てている(セルフ・ビルドというらしい)というのは、驚きを通り越して勇気をもらえるハナシである。「人間の経済」を考えるためにもヒント満載である。

などと思っていたところ先日、イタリア在住の演出家・批評家のTさんが一時帰国し、セミ・クローズドの講演会に誘ってくださった。Tさんが大幅にコミットして邦訳は原著よりも充実させたという『石造りのように柔軟な:北イタリア山村地帯の建築技術と生活の戦略』(鹿島出版会、2015年4月)の著者の一人、アンドレア・ボッコさんの講演会である。
石造りが柔軟?というややびっくりなタイトルをもつこの本、ちょうど昨年今頃だったかTさんから邦訳刊行の知らせをいただき、さっそく手に入れて読んで感激したものだ。しかし著者から直接に話しを聞くと、その意味が何倍にもなって伝わってくる。ボッコさんは大学で教鞭をとる建築研究者であるが、街づくりの実践にも関わっている。この本はそんなボッコさんが北イタリアの山村地帯を歩いて廃墟となった家から、持続性のある暮らしの知恵を学び取った軌跡である。
「家」は寝るために帰るだけの場所ではなく、そこで生きる営み(広義の「生産」)がなされるオイコス(家政)の場である。はたらくこと、食べること、暖を取ること、それらの手仕事を通じて、ひとと動物と植物がその場でともに生きる。ボッコさんが発する言葉は、産業のない時代に戻れというメッセージではなく、未来に向けた贈り物である。

はからずもふたつとも「家」(オイコス)に関わる手仕事の話しであり、ふと、そうえいば昨年秋に招聘したグループの名前の「クルギ」も、ウォロフ語で「家」という意味だったなと思い出す。メンバーのチャットがインタヴューで、「あらゆることは家から生まれるんだ」と話していたっけ。「家」をめぐる手仕事は、実は長いスパンで未来を見据えている。岡さんの建築は、もう10年も作り続けていていつ終わるかもわからない。だから「三田のガウディ」などと呼ばれたりして、ご本人は忸怩たる思いもあるそうなのだが、スケールが大きくてすてきである。ボッコさんも山の中腹の家々が「一度作ったら未来永劫もつように作られている」こと、20年や30年ではもったいないとして、つまりは自分の子孫のために作られていることを読み取っている。時間に対する豊かな感覚がそこにある。それが多くの人びとのなかに根づくのは容易ではないかもしれないが、しかし不可能ではないはずだ。ゆっくり考えていきたいテーマである。
そうそう、Tさんから「学生さんを連れてどうぞ北イタリアへ見にきてください。そこで実際に石でも積みながら考えるといいんですよ」と言っていただいたのである。うわお、贅沢すぎるっ!!!若者諸氏はこうしたハナシにのるのかっ?!

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2016年4月 4日 23:05に投稿されたエントリーのページです。

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