大飯原発付近のもみあいをユーストリームで一時間以上見ていた。「再起動」21時前後には警察が攻撃をしかけてもみあいになりかけたが、「サイカドーハンタイ」のシュプレヒコールが一挙に「暴力反対」に変わり、人々は両手を挙げて非暴力の姿勢を貫いた。それはそれは見事な対応であった。あっぱれ!
さてこんな時にナンだとも思うが、先週の平和学会での拾いものをひとつ。二日目の午後、ベトナム戦争の頃に佐藤首相に対して焼身抗議した由比忠之進を扱った分科会セッションを聴きに行ったのだが、そこでの報告者、比嘉康文さんの著書『我が身は炎となりて:佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代』(新星出版、2011年)を読んでみた。由比が首相官邸前で焼身自殺を図ったのは1967年11月11日、佐藤の訪米直前であったが、彼は熱心なエスペランティストの平和主義者であり、同書はこれらを含めて詳細に踏み込んで由比を論じている。
由比の抗議の主旨(p. 9「プロローグ」より)は以下の四つであった。
1.政治資金規正法を自民党の圧力に屈して骨抜きにされたことに対する政治への不信感
2.沖縄・小笠原諸島の返還をめぐる佐藤首相の弱腰な対米追従の政治姿勢
3.ベトナム反戦運動に耳を貸さず、米国のベトナム戦争に加担する佐藤政権
4.アジアでのわが国の役割を自覚しない政治家たち
いくつか語句を入れ替えると何だか現代にも該当するような...。「国民がデモをしても、抗議の集会をしても、抗議の手紙を書いても、聴く耳を持たない日本の政治というシステムに対する焦り、憤りは地中から噴き出そうとするマグマのように溜まっていた時代だった」(88頁)とかもねー、今のことのようですねー。これから長丁場で声を挙げていかなければならないだろうが、暴力の応酬や尖鋭化を避けなければならない。「不服従」を追究していく必要がある。