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『原発ジプシー』を読み返す

まー当方、専門領域が20世紀の大戦間期から現代で経済戦争などを考える立場であれば、おのずと核や原子力のことを考えるわけで、昨年(2010年)2月に拙著『経済戦争の理論』を出した後、次なるテーマは「核の経済的次元」だとひそかに(いや、どこでも言ってましたが;)思っていた。しかし3.11後にこのプランはなんだか居心地が悪いものになってしまった。「ザ・ど真ん中」過ぎるのだ。
それはともかく(?)、先ごろ『原発労働記』とタイトルを変えて復刊されたという堀江邦夫『原発ジプシー』(講談社文庫1984年、原著は1979年)を久しぶりに読み返してみた。かつて読んだときにも引き込まれ、深く考えさせられたのだが、このたびは随所のターム(原子炉建屋とか燃料棒とか被ばく線量とか)が妙に親しい。原発に疑問をもってもなかなか納得のゆく情報が得られないことにいら立った著者は、季節労働者的に原発を渡り歩く「原発ジプシー」となるのだが、働いた二つ目の場所がいわゆるフクイチくん(byもんじゅくん)こと福島第一原発なのだ。そしてフクイチに限らず、原発での非正規労働者の労働条件は、これが書かれた時点でもほんとうにひどい。

「…ホースから空気が来なくなることがあるんよ。ホースが折れたり踏まれたりでね。これがこわい。…合図することだ。それでもダメな場合は、マスクを脱いじゃうことだな。放射能を吸いこんじゃうって?その通りさ。…でも、だよ。空気がストップしてその場で死んじゃうのと、放射能を吸ってでも、少しでも長く生きてんのと、どっちがいい。なっ、そうだろ」(74-5頁)

おいおい、「なっ、そうだろ」じゃないだろう!と言いたくなる、シャレにならない「究極の選択」である。 しかし著者が労働中に大ケガをしたときの様子はさらにひどい。

「もしあんたが労災でなければいやだと言い張ったなら、事故が公けになり、東電に迷惑をかけることになる。そうなれば会社に仕事がまわってこなくなり、最終的には、あんた自身が仕事にアブレることになるんだぜ -ということを暗にほのめかしているのだ。…ここに原発の『閉鎖性』が生まれてくる土壌があるようだ。…「いいかい堀江さん。労災だと日当の六割しかもらえんのよ。だけど労災扱いにしなければ、うちで全額面倒みてあげる。ね、どっちがいいかわかるやろ?」… 」(228-230頁)

本来は「労災」でも6割ではなく10割であることを著者は知っていたが、うやむやにされる。日常的な業務のなかでの事故でもこれなのだ。現在進行中の「有事」の現場はいったいどんなことになっているのか―。ちょっと想像してみるだけでも背筋が寒くなる。
ともあれ、同書の復刊は喜ばしい。アマゾンにはすでに高評価のレヴューが2つ出ている(!)ほどの
注目度である。3・11後、必読書のひとつであることは間違いない。

ほんとはグードルン・パウゼヴァング『見えない雲』のことも書きたかったのだが、長くなってしまったのでまたにしやう。ちなみに授業の参考文献に『見えない雲』をあげたら、受講者の一人から「僕の親戚が訳者です」とのコメント。うおおお、世界はおもったより小さい(のか、偏っているのか)!

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2011年5月18日 23:27に投稿されたエントリーのページです。

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