わが大学時代のゼミ師匠である西川潤先生が先ごろ、『島嶼沖縄の内発的発展』(藤原書店)という本を、共著で刊行された。院ゼミ当時の兄弟弟子(というのだろうか?)かつ現在の外大の同僚、宮田先生なども執筆されているのだが、これがなかなか面白い本に仕上がっている。沖縄の内発的発展をという視点には、すでに30年以上の歴史があるが、ここに「島嶼」という視点が重ねられるところがポイントである。
ちょっとぶれた写真であるが(すいません)、表紙もなかなかインパクトがある。ともあれ同書においては「島嶼」を起点に諸論が展開される。たとえば日本が琉球処分を行ったことを中国がどう見ており、それが現在にどのようにつながるかとか、日本の近代化の中で包摂された異なるアイデンティティという文脈一般から沖縄がどうみえるかといった視点は、これまで断片的に指摘されてはいても、十分には論じられてこなかったものである。
また、平和学の視点から「開発の暴力」をとらえるという論考も重要である。沖縄でこの4月25日に県民大会を開催するというので、本土にもいくつかの動きがあり、アメリカの新聞に広告を載せようとか、当日は本土でも人文字をやろうとかお知らせが来る。メディアはひたすら、5月決着の「責任」を書き立てるが、問題は正体不明な(?)「日米同盟」(そんな同盟がいつからあるんだ?という問いは正しい)であろう。これを含めて思想的な問題は、まさに「暴力」の主体のはっきりしない「構造的暴力」の顕著な表れなのだと、あらためて思う。一昨年ぐらいから当方もこの概念を論考や授業で扱い、並行して他の人々の論考にもちらほら見るようになった気がするが、なお議論が必要である。