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グラントリノと戦争の影

遅ればせながら「グラントリノ」を観た。観た人々の勧めにも関わらず、なかなか忙しくて行けずにいたのだが、先日授業で「都市」のハナシをしたときのコメントシートに、「都市と移民」の視点からグラントリノを分析したものがあって、これはいかん、観なければ!となったワケだ。(あと、「愛を読む人」のコメントもあったな。でもこちらは原作を読んでいるし、始まったばかりなので、まだ余裕)

で、グラントリノ、たいそう面白かったです(ていうか、けっこう滂沱)。コメントくれたひとに感謝ー。都市と移民、社会的排除と包摂みたいなテーマもばっちり入っていて、よくできている。しかしそれと同じぐらい印象に残ったのは、主人公が朝鮮戦争で人を殺したという戦争の影をひきずってその後を生きている、という設定である。ことの本質を突く悪態とバリバリの差別意識でひとびとから疎んじられつつ、「戦場ではとっさの判断が重要だ」、「戦場に警察は来てくれない」と言い、たくさんの工具を貯えて、何でも直して暮らす主人公にとって、日常は今なお戦場の延長線上にある。

実は当方が2006年夏から7か月ウィーンに滞在したときに住んだ古い館の大家が、まさにこのタイプであった。当時80歳ぐらいだったから、かれの場合は第二次世界大戦だろう。100年を越えるという館を何ら改築せず、階段の脇や廊下じゅうには古い家具や部品を積み上げて、部屋の中も年代物の家具ばかりだった(ただしほとんどすべての部屋にグランドピアノがあり、住人の多くは音楽家や画家)。このおやじさんと、よくよもやま話をした。グラントリノの主人公と同じく、人々からは変わり者と思われていたが、ひととして大事なところはおそらくはずしておらず、忘れ難い人物だった。ただ、戦争はそれを経験したひとびとに、拭い去ることのできない影を残す。そのことも含めて、鮮烈な思い出である。

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2009年7月 5日 22:45に投稿されたエントリーのページです。

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