メイン

その他 アーカイブ

2009年05月26日

10日祭

今日で父がこの世を去って10日がたちました。
ガンであることがわかり入院したのが1月30日、あと3ヶ月といわれたときは元気で100まで生きると誰もが信じていた父が、それしか余命がないなどととっても信じられませんでしたが、病は冷酷でした。

あとでお医者様にうかがったところ、もともとはすい臓がんだったのが肺に転移し、肺のほぼ全体に広がってしまっていたので、いちばん長くて3ヶ月くらいだと思っていらしたとのことでした。

4月の最後の週からは母と妹、それに私の3人で病院に交代で泊り込んでいましたが、5月に入ったころから、急速に衰えていく父をみているのは辛かったです。

ですが、最後まで父らしく尊厳を保って生きてくれたと思います。
無駄な延命治療はしない、と家族で決めたので人工呼吸器はつけませんでした。

皆様のおかげさまをもちまして無事に葬儀をすませました。

そして今日、我が家は神道ですので、その伝統にのっとって自宅でささやかながらに父の好きだったものをつくり、お祭りをしました。

きっと私たちを見守ってくれていることでしょう。

思えば父が亡くなった日の朝、アンディの散歩をさせながら「こうして今日も新しい日が迎えられてなんとありがたいのだろう」と思ったのを鮮明に覚えています。

父が、「あとはよろしく頼む」といったのを父の残した言葉と受け止めて、ささやかながら私にできることを一歩一歩、やっていこうと思います。

このブログも続けていきます。

引き続き皆様、よろしくお願いします。

2009年08月03日

久美子さんを偲ぶ会

寺澤(村田)久美子さんが、わずか51歳の若さで7月2日に永眠されたことを悼んで、ホテルオークラにおいて「久美子さんを偲ぶ会」そしてご主人の寺澤先生を励ます会が開かれました。久美子さんには通訳教育についての海外大学院事情
の視察をはじめた当初より同行していただき、常に助けてもらってきました。

1987年に井手先生のご紹介で、当時お勤めだったプライスウォーターハウスでのプロジェクトにたずさわるという件で出会って以来、22年間におよぶお付き合いでした。このなかで、寺澤先生と結婚されパースに暮らされた最後の2年間は特
に幸せな期間だったのではないか、と思います。

この機会に久美子さんとの思い出を振り返ってみます。

私と久美子さんの共同作品が二点あります。

「マキァヴェッリの子どもたち」
リチャード サミュエルズ
鶴田 知佳子/村田 久美子訳 (2007/5/11)

「株主価値追求の経営―キャッシュフローによる企業改革」
アンドリュー ブラック、ジョン・E. バックマン、フィリップ ライト、
プライスウォーターハウス
井手正介監訳
鶴田 知佳子/村田 久美子訳(1998/11)

いずれも東洋経済新報社から出版されております。
久美子さんとの出会いは、私の人生の転機のころでもありました。

その後1999年4月から私は目白大学の専任教員になりますが、その一年前まではNHK衛星放送やCNNの放送通訳者、国際会議の同時通訳者をしながらもともとの大学院の専門であった経営学を活かす仕事をしていました。久美子さんとは大学の同窓生、久美子さんは英語学科で私はフランス語学科、年齢も5歳違いますが同じように金融機関に勤務した経験がありアメリカのビジネススクールの卒業生と言うことで、知り合った12年前より親しくさせていただいてきました。

通訳研究、あるいは最近では通訳学ということばもありますが、欧米の大学院の通訳教育を調査したいということを始めたのが1999年です。その年の夏にパリ第三大学の通訳翻訳高等学院を訪ねたのですが、私の通訳研究の出発点ともいえるこの調査旅行に同行し、終始励まし続けてくださったのが久美子さんでした。

その後、欧米の大学院探訪は翌年のアメリカとカナダ、その次の年のオーストラリア、さらに翌年の台湾、韓国と続いたのでした。その都度、日本通訳学会で研究報告もいっしょにしてきました。久美子さんの存在がなかったら、ここまで私はやってこられなかったと思います。とても愛情深く、研究熱心でかつ緻密な思考のできるすばらしい友人であり、研究者でした。翻訳者、通訳者としても何度も仕事をいっしょにさせていただいています。

これとは別に、夫婦でオーストラリアをごいっしょに旅行させていただいたこともあります。メルボルンでディナートラム、ペンギンのパレードなどを楽しみました。また去年の夏は、パースに2泊3日だけでしたがお邪魔することができて、寺沢先生ご夫妻とシャンティちゃんのお散歩をいっしょにさせていただいたのが、何よりの思い出として残っています。

インド洋をみたいといった私のために、車を運転して雄大な夕日の沈むところをみせたいと連れて行ってくださったのでした。

さらに、米原万里さんの本「魔女の一ダース」に出てくる幻の銘菓、ハルヴァを近所の輸入食料品店でみつけたからといって、わざわざ航空便で二度も私にお菓子を贈ってくださったのでした。わざわざ、「魔女の一ダース」でこのお菓子についてふれている部分のコピーまで同封して。

と、とてもとりとめのない話になってしまいましたが、今までお伝えしていたいくつかのエピソードでお分かりいただけたでしょうか、久美子さんはきわめて有能なキャリアウーマンでありながら、実に細やかな心配りのできる人でした。

久美子さんがパースにおいでになると決断したとき、仕事はしない、先生といっしょに生活をするのが自分にとって大事なことなのだという決断をされたとき、正直に申し上げてこれだけの通訳者、翻訳者としての力量をお持ちなのに、もったいないという気持ちがありました。ですが、パースに伺ってみていかにお二人でお幸せに暮らしておいでになるかを目の当たりにして、きっとこれこそが久美子さんが望んでいらした生活なのだと一目でわかりました。

大事な人のためにお料理をして、生活を整えて、穏やかにいっしょに一日、一日を大切に生きる。久美子さんは最後まで濃密に、毎日を大事にしながら幸せにお暮らしになったのだと思います。

先生といっしょにシェルターから引き取って飼いはじめた犬のシャンティが乳がんであることがわかったときのほうが、自分がすい臓ガンでしかもそれが腸に転移していて長くない、とわかったときよりもショックだったと言うほど、恵まれない犬のためにも心をくだき、署名活動もしておられた久美子さん。

その署名活動に夫や大学の同僚ともども、協力することができたのがせめてもの私の心の慰めとなっています。

このような、愛情深い素晴らしい女性であった久美子さんとこの世の中でめぐり合うことができた幸運を感謝しつつ、私の拙い文章を終えたいと思います。

どうか安らかに眠ってください。

2009年08月05日

BBC 6

放送通訳、あるいは通訳全般について言えることですが、通訳をしていて、この人の言葉を訳すことができて本当によかった、あるいはうまく伝えることができたのではないか、と思える幸せな瞬間がごくたまに訪れます。このごくたまに訪れる瞬間のために、日ごろ研鑽を積んでいるとも言えるかもしれませんが、今日はそのめったにない機会の一つが得られた日でした。

訳せてよかったと思えたのは、世界一の長寿かつ第一次世界大戦に従軍した最後の生き残りであったというイギリスの男性についての発言です。

ちなみに、キャスターの説明でこの人が参加した第一次大戦の戦いの名称、時差通訳だから調べることができてよかったとつくづく思いました。同時通訳だったら、英語で聞こえてきたままをカタカナ読みにしていたところでしたが、時差でしたので、戦い名を調べることができたのです。

The Battle of Jutland

ジュットランドと英語では読みますが、「ユトランド沖海戦」でした。こういうことを調べるとき、インターネットは本当に便利です。

さて、この世界で最も長寿だった男性の葬儀にあたり孫の一人が述べた弔辞です。

The lesson I've learned from this man who spent more time on this earth than just about any other.

Be good, be humble, be a caring, loving person who enjoys life and looks forward to another tomorrow.

spend more time on this earth than just about any other
というところ、なかなか面白い表現です。

be good 以下のところ

私の好きな good が出てきてどう訳出しようかと考えた部分でした。

looks forward for another tomorrow

ここのところも、なかなかいい表現だとおもいました。

考えた結果、訳出はこのようにしました。

「世界一の長寿となるまでこの地上で生きた人物から学んだ教訓とは、

善良であれ
謙虚であれ

人生を楽しむ、思いやりのある愛情豊かな人物たれ、
将来に希望を持て、

というものです。」

人生訓としてとても有効なものではないか、と感動しました。

そして、キャスターの次の言葉もなかなか、味わいがありました。

人生の後半になってから、若い頃には自ら触れようとしなかった戦争体験について、それを語るのが自分の使命と感じて語り始めたそうです。多くの人が彼のもとを訪れました。

Visits and encounters that never failed to leave an impression.

never failed to leave an impression をどう訳出するかですね。
こうしました。

この人のもとを訪れた人で、感銘を受けなかった人はいません。

つまり、よく言われることですが品詞の転換です。
別に visits and encounters を主語にすることはない。

このほうが、わかりすくよく伝わる訳出になったのではないでしょうか。

この日の放送を終えて私も思いました。

善良に、謙虚に、人生を楽しみながら思いやりを持ち愛情豊かに、明日に希望を持って生きよう。そしてそうです、この人にあやかって長生きがしたい、と。

2009年11月13日

日米首脳会談共同記者会見

オバマ大統領初来日とあって、今週はこの件に関連した仕事があるのを楽しみに過ごしてきました。
フォート・フッドでの銃乱射事件があったため、来日の予定が流動的になり、なかなかオバマ大統領来日関連の通訳の仕事が確定しなかったのですが、間際になって日米首脳会談共同記者会見をケーブルテレビで同時通訳する仕事がはいりました。

今週は不思議な一週間でした。市橋容疑者逮捕に関連して、イギリスにいる両親のインタビューや記者会見の同時通訳の仕事もはいったり、ただでさえ今週は通訳者の繁忙期にあたっているため、通訳者大忙しの週でした。
ニュース番組は普通は夜が多いので、会議通訳者と兼ねている人も夜放送通訳に出ようと思えば出られますが、翌日の資料を読む時間が必要であることを考えれば相当、負担があるのは確かです。

でもいつもそうですが、通訳者は好奇心が強い人が多くこういう大きな歴史上にも大事と思われる機会は、頑張って通訳をしたいと思うものです。私もその一人です。

オバマ大統領が14日土曜日にサントリーホールで演説をする、というのが分かったのが10日火曜日のこと。たまたま、会議通訳の仕事をしているとき、お昼休みになったところで携帯電話が鳴って思いがけず、招待いただけることになりました。12日にホテルオークラで指定された時間に招待券の受け渡しがあるというの
で、喜んで取りに出かけたところ、その受け渡しのための行き帰り途中でもちょっと面白いことがありました。

ホテルオークラに渋谷から往復するには、銀座線虎ノ門駅から行ったのですが虎ノ門駅のすぐそばに、播磨屋というおせんべいやさんの本店があります。今までも前を通るたびに「播磨屋カフェ」と書いてあって「ドリンク0円」「おせんべい0円」と看板がでていて、これはどういうところか、と思っていたのでした。
オークラから帰るときにちょうど朝10時になって、ここが開いたのです。「ものは試し」と入ってみると、本当にコーヒーや紅茶などの飲み物とおせんべいを無料で出しているカフェでした。近所の人たちはよく知っているのか、ひっきりなしに人が訪れていました。もっとも、思わず帰りがけにおせんべい3袋を買ったので、安くついたのかどうかは不明。

しかも、このあと行った仕事の帰りにまた例によってデパートのサロンによってお茶を飲むついでに、某婦人服メーカーの案内が来ていたのを思い出し、寄ったためにスーツや、ダウンコートなど、買う予定がなかったものを購入して戻りました。

と、日ごろの予定と違うことをすると思わぬ儲け物と言うか副産物もありますが、そういう気晴らしはさておき、同僚の尊敬する通訳者のコラムのタイトルにあるとおり「通訳は真剣勝負」。ブースのなかではいかにできる限りの力をふり絞れるか、に全てはかかっています。

力を出し切れるか。おまじないではないですが、昨日買い込んだものを早速着用し、いつもと気分をあらためて出かけた私だったのです。こういうつまらないようなことでも、一生懸命に力を入れられるかという気持ちになれればしめたもの。

今日のこの記者会見通訳のために、いつものように新聞やネットから資料を大量に出して、トピックの予想をし、備えました。このケーブルテレビ放送の場合、地上波で系列のテレビ局が直前にどうニュースを放送していたかがいちばん、参考になりました。

トピックは五つ。①日米同盟の再確認、②アフガニスタン支援、③気候変動・エネルギー対策、④核不拡散、⑤対アジア外交。ニュースで報道されている福井県小浜市の「オバマを勝手に応援する会」についての報道を面白く見ていました。

記者会見場からの中継に画面が切り替わるまでは、「腹が減っては戦が出来ぬ」のため、テレビ局のお弁当を食べながら、何が出るのかの予想を時間ぎりぎりまで行いました。分担としては鳩山総理の日本語部分の通訳の必要はないので、外国人記者からの質問部分を同僚が、オバマ大統領の発言部分を冒頭発言と答えをともに私が担当と決めていました。

8時を過ぎても全く始まる様子がないのです。どうも会談が長引いているらしい。
ようやく始まったのは8時30分をまわってました。まず司会者が登場して記者会見は同時通訳つきで行われること、冒頭発言が両首脳からあるあとに、司会者に指定された人は所属を明確にした上で質問をすること、日本の記者一人、アメリカの記者一人に質問は限られること、首脳が退場するまで着席したままでいることなどを述べていました。手元の時計でみていたところ、鳩山総理の発言が8時34分から42分くらいまで、かなり長かったため通訳の出番がないまま時間が過ぎるが、「バラク、ゆきお」とファーストネームベースで呼ぶ関係になったことが強調されることなど、発言内容は逐一メモをとりながら聞いておきました。

日米関係の良好さをアピールする内容であったことが印象に残りました。その後オバマ大統領の冒頭発言。大体予想したとおりの内容だったので、8時42分から49分まで、放送予定時間を過ぎていることだけを気にしつつ、同時通訳しました。
他にも中継を予定していた局は時間が大幅に遅れたので始まるまでどうやってスタジオで話をつなぐのだろうか、延びてしまったあとはどう時間延長をするのだろうか、など放送通訳に関係ない邪念がついついよぎります。日本人記者の質問は幹事局のフジテレビからの両首脳にあてた質問でしたが、はからずもオバマ大統領が「日本人記者もアメリカ人記者と同じ戦略をとるのだね」と指摘したように、一つの質問とは到底言えず質問がいくつも詰め込まれていました。
「広島・長崎への訪問予定」の問いにはすぐ予定してはいないが行きたいと明確に答えたものの、「広島・長崎に原爆を投下したことをアメリカは責任を感じているのか」という問いには、あえて答えなかったという印象でした。ナマで放送していると自覚しつつ、この質問はとても緊張感を持って通訳しました。

アメリカの記者はAPの女性記者。冒頭の質問が「(同時多発テロの首謀者の一人として)グアンタナモ基地で拘束されていたモハメド被告を、ニューヨークに移送して民事裁判にかけるが無罪になるようなことはないだろうか」との問いでしたが、同時多発テロの首謀者の一人と目されていたという情報を知らない人も多いだろう日本の視聴者にとっては、難しい質問だったと思います。

放送で記者会見がどう流れているのか、現場の様子がわかるような設計のところでの通訳で臨場感を持ちながら通訳をすることができました。

結局終わったのは9 時を10分ほどまわってましたが、臨場感、高揚感とともに業務終了。いつもそうですが、力が出し切れたと思えるときは、疲労を感じません。
結果は完璧にはほど遠いですが、力を出せたと思えるかどうか、これが肝心のところです。

About その他

ブログ「鶴田知佳子の通訳日誌」のカテゴリ「その他」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリはCNNプライムタイムです。

次のカテゴリはレーラーニュースアワーです。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.34