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再び心に移りゆくよしなしごとら

1. 2拍+2拍の刈り込み複合

前項・後項を2モーラ、2モーラに刈り込んで
複合するっていうのは、まあ、随分前からある。

セカイノオワリ→セカオワ
朝の練習→朝練
頭がおかしい→あたおか

ちょっと新旧混ぜすぎた感はありますが。

2モーラにするときに捻る場合がある。

午後の紅茶→午後ティー
アフターシックスジャンクション→あとロク
King and Prince永瀬廉のRadio Garden→庭ラジ
30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい→チェリまほ
ソフトバンク→禿バン

午後ティーは、まだ初級編だけど。
あとロクは、日本語の「あと」が前置詞では無いので、
意味を取ろうとしても難しい。
庭ラジは前後が入れ替わっている。
チェリは、童貞がチェリーなのですね。


2. quadrilingual
ラジオから、quadrilingualっていう英語が流れてきたとき、
家人が、「クアトロリンガル?」と聞いてきた。
英語としてはズレちゃってるけど、
日本語の中に入ってきている外来素材の中から
繋げるとなるとそうなるよね。

専門用語の中には、クアドリもあるだろうけど、
クアトロって、クアトロフォルマッジとか
スージークアトロ(古っ!)とかあるし。

言語学用語で言うと、クアトロとクアドリの関係は
partial suppletion(cf. Spencer)ってなるんだろうけど。
語源的には関係があるけど、その形の変換が音韻論的、
形態論的に定式化できないということで。


3. ロシアの正月料理
ラジオ番組「アシタノカレッジ」で、ロシアの正月料理に触れていて、
在露の日本人と電話を繋いで取材していて、
その人は、「ロシアでは正月料理はサラダが多いんです。
冬場はビタミンが不足しがちだからだと思います。」的に
言っていた。

僕としては、いやいや、1月7日がロシア正教会の降誕祭だから、
その前のモノイミ(fast, 露post)のせいで野菜ばっかり
食べるんでしょう?と思いました。

日本人のブログなのですが、ロシアの正月料理を紹介しています。
https://ameblo.jp/makopteva/entry-10756606460.html

確かにサラダが多そう。でも、マヨネーズなんかも使っているとなると、
それは、モノイミ料理ではないですね。

となると、1/14の旧正月(モノイミが終わったあと)を祝う人は
どんな料理を食べるんだろうと気になります。

それに関係するページを見つけましたが、
https://jp.rbth.com/articles/2012/01/13/14064

旧正月の料理に関しては謎のままです。


4. 俺が恋の美学を作った女の子
「俺が「恋の美学」を作った女の子が結婚するらしい」
https://twitter.com/ken31081/status/1370009846460735496

という書き込みがありました。

「俺が『恋の美学』を作った」女の子で、カッコ内が
「女の子」と言う主要語(後行詞)を修飾する関係節になっている。

日本語関係の人だったら、「外の関係」って言うだろうか。

一般言語学的には、女の子は関係節内では、受益者と
とるのが素直かな。

Google翻訳で、
「the girl for whom I composed "the Aesthetics of Love"」と
入れて、マダガスカル語に翻訳させたら、

Ilay zazavavy nanoratako ny Aesthetics of Love
the girl wrote(状況態)=I the Aesthetics of Love
と出てきた。状況態(関係態とも呼ばれる)にしてますね。

朝鮮語にしたら、
nae=ga "sarang=eui mihag"=eul jakgokha-n sonyeo
私=が "愛=の 美学=を 作曲し-た(連体形)少女

と出てきた。連体形にはなっているけど、
受益者であること、外の関係であることは日本語同様表現されていません。

中国語にしたら、
我为之创作《爱的美学》的女孩

中国語ネイティブの人、本当に「为之」って使います??


5. ハーブティー
僕が、いつか飲もうと買っておいたハーブティーを
家人が消費していた。

家人は、飲食物が古くなっていってしまうことに対して
なんというか心理的な拒絶感を持っていて、

何かが「ある」と消費してしまう傾向にあリます。

(うちの父は、冷蔵庫に10年とか、それ以上前の物を
 溜めている感がありますが。w)

その代わりとして、家人は、「デカフェ紅茶、ベリーフレーバー付き」
を買ってきた。

家人は普段飲みつけている類ではないので、
「デカフェ紅茶」って言うのは、ハーブティーだと認識したらしい。

僕は、カフェインには割と敏感なので、コーヒーも紅茶も
3時以降にはできるだけ摂らないようにしているんだけれど。

でもそのために「デカフェコーヒー」「デカフェ紅茶」を飲もうとは思わない。

素直に、ハーブティーでいい。

これ、何か食べ物、飲み物に制限がある人に対して、
「外の人」が考えがちなことなんだけど、

「カフェインダメなのか。じゃあ、デカフェの代替品がいいよね!」
と言うのは、非当事者の素直な考え方の道筋なんだと思う。

ただ、それが当該の人の欲求とは一致しないことがある。

このことは、僕も、自分が当事者でないときには
侵してしまいがちな勘違いではある。

以前も、鶏卵アレルギーの僕のために、
サウザンドアイランドドレッシング(卵不使用)を買ってきてくれた。

いや、僕は素直に、鶏卵と遠いところにあるドレッシングがいいんですけど。

鶏卵を使う類のドレッシングで、鶏卵を使わないでできるだけ
似せましたってのは、別に欲していない。

ベジタリアン、ビーガンでも、素直にベジを楽しんでいる人もいるし、
「できるだけ肉に、食感も味も似せた、肉ではないもの」を
求める人もいますね。

まあ、だから、「どちらか一方」って言う訳でもないのかも
しれません。

閑話休題。

最近の同性婚の話題でも、
「1対1で同性でも結婚できるのがいいよね!」
「なんとかして子供が持てるのがいいよね!」

とどうしても、異性夫婦をなぞらえた方向に
議論は行きがちである。

それは、政治的な「一点突破」の戦略としては
最初にはしょうがないと思う。

でも、その先には、
「1対1じゃなくてもいいよね?」
「子供の親は2人じゃなくてもいいよね?」
「子供がいない家庭が色々と不利にならないようにしたほうがいいよね?」
「1人身でも、色々と不利にならないようにしたほうがいいよね?」

などと、「一点突破」後の「全面展開」のことは
考えておくべきだと思います。


6. 日本語/ri/の単音化の周辺

以前、22時からのTBSラジオ、Session 22を担当されていた
荻上チキさんが、/ri/を単音化して発音することが多いと
ブログでご指摘したことがありました。

具体的に言うと、子音音素/r/の後に母音音素/i/を発音するのではなく、
両者が1つの接近音[ɹ̩ʲ]として発音されることを
結構お聞き受けしました。

例えば

リーダー [ɹ̩ʲːdaː]

のような感じで。

それをブログ等で書いてしまって、
ご本人には、もしかしたら心理的なご負担を
掛けてしまっていたかもしれません。
申し訳ありません。

翻って、最近、久しぶりに午後のSessionを聞いてみたり、
アシタノカレッジで、ニキさんと対談した録音を聞いたり、
なんらかのTBSラジオの宣伝でのチキさんの発音を聞いてみると、

その「接近音化」がものすごく減っている感があります。

それは、仕事時間が深夜から、午後に移ったことによって
健康的になったことによるのか、
あるいは、発音矯正に関して、専門家の指導を受けたのか。

--

ところで、日本語の諸方言に、この「接近音化」の段階が
あったのではないか?と言う仮説が立てられるのではないかと
ここ数ヶ月考えています。

まあ、妄想に近く、歴史的跡付けを掘り起こすのは至難の技でしょうから
ブログに書いちゃいます。

と言うのは、歴史的に、/i/音素の前の/r/が「落ちたように見える
方言が特に西南方面にあります。

琉球諸語にも多いですが、

鹿児島方言でも、ラジオ番組名

「こげな こっが あいもした」

 こんな ことが ありました

東京共通語の「あり」が、鹿児島方言で「あい」に対応しています。

これは、通常は、

「/r/が/i/の前で消失した」

と言う音韻規則で記述するのが妥当でしょう。

つまり、

/*arimosita/→/aimosita/

鹿児島方言だと、

「/r/が/u/の前で消失した」

と言うのもあって、

車「くいま」

があります。

まあ、その消失ルールで説明はできてしまうのではありますが、
その途中段階で、/i/に変わる前に、[ɹ̩ʲ]の段階を経ているのではないかと、
チキさんの「接近音・単音化」を聞きながらずうっと考えていました。

[*aɾʲimoɕi̥ta]→[*aɹ̩ʲmoɕi̥ta]→[aimoɕi̥ta]

車も

[*kuɾuma]→[*kuɹ̩ʲma]→[kuima]

みたいな。

沖縄本島南部語だと、

あん (ある)に丁寧の接尾辞「あびーん/あびゆん」が後続した

あいびーん

と言う形がありますが、これも

[*aɾʲabʲiːŋ]→[*aɹ̩ʲbʲiːŋ]→[aibʲiːŋ]

と変化してきたのではないかと。

と言うふうに想像が逞しくなっています。

--

ところで、この音節主音の接近音[ɹ̩ʲ]を思うに、
学部時代にサンスクリットを習った長柄先生を思い出します。

音節主音のふるえ音の[r]を持つチェコ語をかじったばっかりだった
若造の私は、サンスクリットの音節主音の子音r̥と言うのは、
「ふるえ音だったんじゃないですか?」
と言う不届な質問を、長柄先生に投げかけてしまいました。

すると、先生は、「これは巻き舌ではなくて、英語のRのような
音だったようです」と答えてくださいました。

私は、その時は腑におちていなかったのですが、
今は、やっと腑におちました。

これは、まさに、上の方で書いたような接近音だったと
考えるのが、学界の共通の理解なのでしょう。

例えば

gr̥ha [gɹ̩ɦa](家)

の様に。

それを現代のインド人が、

[gɹ̩ɦa]と発音していとも、[gɹʲiɦa ~ gɾʲiɦa]と発音していても
そんなに遠くはないですね。

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2021年3月24日 13:32に投稿されたエントリーのページです。

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