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心に移りゆくよしなしごとら

1. オリンピックの外圧

オリンピックが「来る」という外圧で、
変わったことと、変わっていないことがある。

完璧じゃないものの、大きく変わったのが
2次喫煙、3次喫煙の減少。

以前だったら、レストランや居酒屋で、
隣の客がタバコを吸っていたり、
同席者がタバコを吸い出したりということが
結構あったものですが、
それは激減しました。

東京都とそれ以外では、まだ違うところも
あるのでしょうが、東京都では、
主食を提供しているところでは
喫煙できなくなりました。
(喫煙室が残っているところは、まだ中途半端ですが。)

これは、オリンピック対策でしたよね。
非喫煙者の健康被害を減らすように、
2次喫煙を減らすというのは、
世界的な動きですから。

2つ目。日本が女性をまともに扱っていないということが
先週から今週に掛けての森会長辞任劇で、露呈しました。

これは、まだ端緒に就いたばかりで、
これからの推移を注視しなければならないし、
できるところでは、声を挙げて行かなければならない問題です。

男女平等達成度が、世界で120何番目かというのは、
日本が変化して、順位を上げることができるのかどうか。

今の与党には、本気で変える気は、今のところ無さそうですけど。

3つ目。これは、実際に世界から、選手及び観客が来ることに
なれば対応せざるを得なかっただろう事柄ですが、
おそらく来ないので、対応されないだろうという事柄です。

「公衆浴場、温泉、スポーツジム、プールなどに
 タトゥーがあっても入れるようにすること」

これは、本音と建前問題でもあります。

本音は、お「や」文字さんたちに入ってほしくないということでしょう。
でも、それを言語化して書くこと自体も避けたいので、
その人たちを含むカテゴリー、それは他の人たちも含むけれども
全部無条件に排除してしまおうという魂胆でした。

そこで、建前として刺青、タトゥーのある人は全て排除するという
線引きをしました。
「タトゥーは、小さいワンポイントでもダメです」とまで
書いている店舗もあります。

世界的な基準からすれば、これはかなり突飛なのだけれど、
これを擁護する「街の声」には、

・日本は日本独自の文化があって、世界と違ってもいい。
・日本人は、刺青を犯罪者と結びつけるので致し方ない。
・日本人は、刺青を見ると嫌悪感、恐怖感を覚える。
・タトゥーを入れる人たちは、国内で不便があることを
 承知していたはず。

などがありました。

でも、実際に、選手や、観戦客などが大挙して
来日することになれば、そこは、上記の業界も、
対応し、開放せざるを得なかった筈です。

選手も観客もおそらくは来ないし、
ということで、この変化は起こらないだろうというのが
ちょっと残念です。

2. 「圧」考

「圧(あつ)」というのは、以前は、他の漢字と組み合わせた
場合しか使われなかった、拘束形態素だった覚えがあります。

圧力とか、水圧とか。

でも「圧」が、単独の名詞として使われることが、
ここ数年で増えて、定着してきた感があります。

「女子からの圧を感じる」
「あいつ顔に圧があるよね」

とか。
一時の流行りだとは思うけど、「自動化」して
定着していくのでしょう。

3. 「断交」考

右寄りの方々が、「韓国と断交」を声高に叫んでいますが。

それは一体どういう意味?と訝しくなります。

それが、国交を断絶するということであれば、
国交が断絶されている日本と中華民国の現状を見れば、
民間の交流は非常に盛んであり、
右寄りの方々が望むような結果にはならないと思われます。

彼らが望むのは、韓国にいる日本人が全て日本に帰国して、
日本にいる朝鮮半島系の人たち(どこで線を引くのか?)が
全て「帰国」して、交流を一切断つということでしょう。

それには、外交を断つ断交では全く足りなくて、
鎖国をするしかないでしょう。

北の共和国はほとんど鎖国に近い状態であるにしても、
韓国に鎖国を強要する手段はあり得ません。

となると、日本が鎖国するしか無いですね。

右寄りの方々はそれを本当に望んでいるのでしょうか?

4. 男なんで

最近、某所で、「男なんで性欲強いです」という
記述を見ました。

まあ、何も珍しいものではなく、良く見る言表ではあります。

ところで、これの何が問題かというと、

・自分ではなく、自分の属する集団(←自分の属性)を利用している
・その集団には、ステレオタイプ的な特徴があると断じている
・その特徴を理由とすることが、何も問題が無いことであるかのように考えている

というところですね。でも、「集団」の「ステレオタイプ」って
固定的に近いものもあれば、人によって違うものもある。
固定的なものも、実は、事実に即したものというより
社会的な規範として、外から押し付けられて、内面化しているものもある。

でも、そもそも集団のステレオタイプに「根拠をおく」っていうのが
とっても危ういと、私には思われます。

以下のような言表も見かけます。

・「自分がスリムなので、スリムな人が好きです」
・「自分がスリムなので、ふくよかな人が好きです」

それぞれに、「集団」の「ステレオタイプ」を作っていて、
それらが相矛盾しているという状態になっています。

つまり、それは根拠としては、全く不適格だということです。

・「日本人なので、納豆が大好きです」

っていうのも、言ってしまう人が結構いそうだし
聞いたことがありますが、
これに眉を顰める人、猛烈抗議する人がいることは、
容易に想像がつきます。

その抗議には、「集団」を縮めて対処する人もいるでしょう。

・「関東出身なので、納豆が大好きです」

でも、そもそもその「集団」に根拠を置くというの、辞めませんか?

・「私は納豆が大好きです」

でいいじゃないですか。

あ、これは、日本語圏だけの問題ではなく、他の文化圏でも
見られる言表のパターンだとは思いますけどね。
でも、それが言われる度に、同属性で、その「帰結」と
一致しない人たちが、「自分は違うんだけどな」と
ちょっと心を痛めるようなことがあることにも
想像力を広げていたいと思ったりしています。

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2021年2月13日 13:03に投稿されたエントリーのページです。

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