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宗教道徳の話

宗教の中身は、
(僕は専門家ではないので
 網羅的には指摘できないと思うが)

・こんな超自然的なことが昔ありましたよー。

って言う話と、
あと割と、世間一般にも連なる

・道徳

の話があると思う。

「同性愛」の話は、まさに道徳の話だと思うので
こんなことを書くのである。

宗教上の道徳が、世間一般の非宗教的道徳と違うのは、
その背後に何かがあるからである。

「その背後の何かがある」
というのは、例えば、ムスリムが豚肉を食べないことに
関して、今程ムスリムが日本国内に増える前に、
「日本ムスリム協会」ということに行ったら、
「ムスリムはなぜ豚肉を食べないか」
といった類いの小冊子をいただいた。

曰く、豚肉を食べると、淫乱になるのだそう。
「アメリカをご覧なさい、豚肉を食べているので
 性犯罪が後を絶ちません」
と。

でも、イスラーム圏でも、ムスリムが
特に異教徒に対して性犯罪を冒して
平然としていることは良く知られている。

「道徳の背後」に戻るが、
いろいろ考えられる。

・神様が言ったからダメ!
・◯◯教徒としてダメ!
・それを冒したら、きっと神様が酷いことをなさるからダメ!(天罰)
・それを冒したら、酷いことが起きるからダメ!(天罰)

この、「道徳の背後」は、
「雷が鳴ってるときに、お腹を出して寝てると、お臍を取られちゃいますよ」
に近いものもあるのだが、でも、信徒にとっては、
説明し難いがもの凄いリアリティーを持っていたりする。

・神様が言ったからダメ!
を論拠として使う人は多い。しかし、聖書の中でその箇所は実はそれ程多くなく、
「同性愛に関するもの」と思われているものの内、
「どう読んでもやっぱり同性愛に関するものだ」と思われるものは
非常に少ない。
(あ、日本語訳、英語訳で読んで指摘してもだめですよ。
 翻訳した時代のバイアスが入ってますから。
 有名なのはギリシャ語malakosという単語は「柔らかい」という意味で、
 現代ギリシャ語でも、ギリシャ語を外来語として取り入れている
 欧州諸言語においても柔らかいという意味しかない。
 しかし、聖書では、「男色」と訳されていたりする。
 コイネー時代に一度「男色」という意味に換喩的拡張をして、
 また後に、「柔らかい」という意味だけになったということは
 非常に考えにくい。)
また、パウロ書簡、旧約聖書には出て来るが、
福音書には一切出て来ないということを、
「神様が言ったからダメ」派の人たちはどう説明するのだろうか。

天罰は、「無い」と言い切ることはできない。
また、何か悪いことが起こったときに、
「あれは天罰だった」と後付けで説明されることもある。
そして、宗教を持つ人の内、ある一定数の人たちにとって
天罰はもの凄く怖いものらしい。
(というか、そういうメンタリティーの人たちって、
 他の面で、それこそ天罰を喰らって当然のようなことを
 沢山してたりするのだが。<笑>)

天罰恐怖は、非常にデリケートなので、
無宗教な人か、他宗教な人に、
冷静に淡々と否定してもらうしか
無いのかも知れない。
内部の人だと、あまり天罰に重きを置かない人で
あっても、天罰恐怖者から猛攻撃を受けたときに
確信を持って、「それは起こりえませんよ」
とは中々言えないものである。

同性愛に関して言うと、認めると
「民族が(人類が)滅びる」
というのがあるだろう。

神の怒りに触れて滅ぼされる

と主張する人には、真っ向から反論しても
効果無いであろう。

しかし、同性愛を認めると、
子を生さなくなって滅びる

ということは、恐らく心配しなくていい。

(それより、日本の生涯未婚率は上がっているらしい。
 これは、同性愛者の割合では説明できない位に高くなっている。
 ということは、異性愛者でありながら、生涯未婚な人が
 増えているということである。
 心配するなら、そちらを心配してください。)

認めたからと言って、同性愛者はほとんど増えない。
(見えなかった人たちが可視化するということはある。)
(また、いやいや異性結婚する人たちが減るということはある。)

そして、増え続けて、多数派になるようなことは決してない。

性的指向は、流行りのようなものではなく、
ほとんどの場合、生まれもっているものである。

欧米諸国で、同性結婚がどんどん法制化されてきているが、
恐れることは何も無いのである。

<コメントへのレス>

同性愛を認めることは、平和だし、道徳的ですね。
同性愛反対者、同性結婚反対者は、
なんらかの「恐怖」に突き動かされているとしか思えません。
ご自分の恐怖を、他人に撒き散らしていらっしゃる。

異性間の関係であっても、非道徳的なことは
沢山ありますよね。
それを見直してみるいい機会を
「同性愛論議」は与えてるのかも知れませんね。
家父長男、DV男は、まだまだそこら中にいそうです。

<コメントへのレス>

異性愛家父長男の、ヤラれることに対する恐怖ですかね。
そうなると、異性愛女どもは、別に直接的に恐怖を感じてるわけではなく、
異性愛男にただ同調してるだけっていうことになりますが。
まあ、BLの女子への浸透を見ると、
それも強ち間違っていないかも。<笑>
異性愛男は、自分の恋愛が力づくで、暴力的だからこそ
(自分がターゲットになるかも知れない)
男性同性愛が怖いんですかね。
男性間って、暴力的なことって、
何かのフェティッシュでも持ってない限り
そうそう無いですけどね。

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2012年8月 4日 11:35に投稿されたエントリーのページです。

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