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長母音考

外国語の固有名詞や、その他を
カタカナに転写するときに
長母音にする場合について。

マダガスカル語では、
ガイドブック等で、
語末のYが長いイで転写されることがあります。

Analakely アナラケリー
misy ミシー

これは間違いです。
(アナラケリは地名。misyは「ある」という動詞。)
マダガスカル語で、これらの
最後の母音は決して長くない。
寧ろ短い。
(母音の長短は、表層では区別がありません。
 形態音韻論的なある段階では区別する立場を
 採ることもできます。その場合も、長母音
 というよりは、同じ母音音素の連続ですが。)
では、なんで長く書かれるかと言うと、
綴りのYのせいですね。

英語等を転写するさいにYは長く転写されることが
多いので。

(その他、オランダ語やスイス・ドイツ語など、
 Yが長母音を表わす場合がありますが、
 日本語での転写とはあまり関係無いでしょう。)

でも、マダガスカル語では、
これは、正書法上のIの異体字というか、
(アラビア文字でのような)尾字形です。
語末にIが来るべきとき、それはYで書かれます。

では、マダガスカル語をカタカナに転写することが
妥当なのはどんな場合かというと、
ストレスが置かれた母音の場合です。
それは、後ろに音節末子音が無い場合でも、
後ろに鼻音プラス子音の子音束がある場合でも
あまり変わりません。

あとは、細かい原則があるわけではなく、
「転写者」の主観で、短くも長くも
書かれているようです。
(法則を見いだそうとすれば
 何か見えてくるかも知れませんが。)

例えば:

rano vola(ラヌ・ブーラ、お焦げ湯)

この例で、等しくストレスの置かれる、
ラが短く、ブーが長いのは、
複合語になって、後項の方が強いストレスを保ち
母音が長くなったからでしょうか?
(繰り返し言いますが、マダガスカル語に
 音韻論的な母音の長短の区別はありません。)

--

欧州語の短母音が、カタカナの長母音で転写される場合。

Trinitaは、イタリア語で、最後の母音にストレスがありますが
ストレスが無く短い最後から2番目の母音が長く
トリニータと転写されています。

これは、トリニタと、長母音がどこにも無いと
「座り」が悪いっていうことなんでしょうかね?
わかりません。(アメリカは長母音無しで良いのに。)

magnificat。ラテン語の最後の母音は短いのですが、
マニフィカートと書かれることが多いです。
これは、イタリア語のstaccato(スタッカート)などと
日本人の意識の中で同化して、
長く意識されるようになったのでしょうか。

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2011年8月23日 14:38に投稿されたエントリーのページです。

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