国歌(カナダ・ロシア)
カナダ国歌(フランス語)
カナダ国歌(英語)
カナダ国歌(イヌイット語歌詞、インストルメンタル)
旧ソ連国歌
ロシア国歌
カナダ国歌(フランス語)
カナダ国歌(英語)
カナダ国歌(イヌイット語歌詞、インストルメンタル)
旧ソ連国歌
ロシア国歌
http://journal.mycom.co.jp/news/2010/03/06/018/?rt=na
桃とRemiが、ブログ本を出したそうな。
http://ameblo.jp/momo-minbe/
http://ameblo.jp/remi-charmy/
桃は2冊目ですかぁ。Remiは、ウチのガッコの学生でしたね。
ってか、「あいのり」なつかし~!
吾が幼少の砌、
母は、風呂場で、
僕を洗っていて、
垢が沢山出ることを、
「アカデミール症」と
言っていました。
アカデミー賞と、
垢と、出ると、症の
複雑なblendにして、
ホームサインならぬ、
ホームワードですね。
--
ホームサインとは、
1家庭内のみで使われる
独特の手話単語(=サイン)の意味だったり、
あるいは、数人の聴覚障害者に
使われているが、
一人前の「手話言語」という程の
発達を遂げていないものの意味だったりします。
今回のホームサインは、前者の意味です。
昨日は所用があって、
ウチの大学の旧キャンパスに行ってみました。
マンションが完成してましたよ。
今こそ、旧キャンパス跡地に住まうチャンスかも!<笑>
ってか、4線5駅利用可能って、
どこからも遠いってことじゃないですか。<笑>
ある言語社会に、あたらしいモノ・コトなどが入ってきたときに、
通常その言語社会は名付けをします。
ちょっと言語学的に言うと、言語記号の
新しい所記(記号内容、範疇とも)に対応した
能記(記号表現、音声言語では音[素]の並び)を
設定します。
青木晴夫先生は、ご著書『滅びゆくことばを追って』の中で、
(その青木先生の名付けた「型」の名前は失念しましたが、)
新しい所記に対して、関連のある記号の古い能記をあてがって、
その古い記号の所記に対しては、例えば「古い○○」というような
呼び方をする、「古い名称利用型」があると。
(例えば、弓と矢の後に、銃と銃弾が入ってきたときに、
「弓」という能記は銃を表わし、
「矢」という能記すは銃弾を表わし、
弓のことは、「古い弓」と呼び、
矢のことは、「古い矢」と呼ぶようなパターンです。)
またその一方で、新しい所記は、古い能記になんらかの
加工をして使う「古い意味保存型」があると仰っていました。
(例えば、銃は、「新しい銃」と呼び、
銃弾は、「新しい矢」と呼び、
弓、矢に関しては、能記、所記ともに変わらないようなパターンです。)
日本語の「パンツ」に関しては、両方のパターンが
併存しています。
「古い名称利用型」は、
「パンツ」(ズボンなどのこと)、
「おパンツ」(下着のパンツのこと)。
「古い意味保存型」は、
「パンツ(高低低)」(下着のパンツのこと)、
「パンツ(低高高)」(ズボンなどのこと)。
両方が混在しているので、「パンツ(高低低)」と
言われたときには、その時の状況、話者の年齢、
ファッション、その他様々な事柄を勘案して、
推測するか、さりげなく確認の質問をして
(そのものズバリでなくてもよい)
確かめる必要があります。
まあ、古い名称も古い意味も利用・保存しない、
「パンツ(低高高)」(ズボンなどのこと)。
「おパンツ」(下着のパンツのこと)
と言ってもらえれば、曖昧さはなくなります。
--
新しいモノ・コトが入ってきた時の
名称(能記)の選び方は、もちろん
上記の2種だけではなく、
他にもいろいろあると思われます。
まず、その言語内の材料を使った
複合語を作ったり、
外来語(借用語)を取り入れたり。
面白い例は、エストニア語で、
何も既存の要素を使わずに
新しい単語を作るということも
なされたようです。
relv (コンピューター)。
数年前まで、とあるターミナル駅に、
ベジテリアという、デリっぽい店がありました。
ベジテリアという名前を聞いたら、
ベジタリアンなカフェテリアかな?と
僕はすぐ思いました。
でも、商品を見てみると、
ハムが使われていたり。
僕の頭は、?????に。
それじゃ、ベジタリアンでも、
ラクトベジタリアンでも、オボベジタリアンでも、
ラクトオボベジタリアンでも、ましてやビーガンでもない。
「ベジ」と命名された、その背景には、
「野菜が一杯」という意味しか無かったようです。<笑>
それじゃダメでしょう。<笑>
まあ、その後、その店のメインの名前は
変わっちゃいましたけど。
http://news.walkerplus.com/2010/0321/10/
「萌える」「痛い」などが、
独自の範疇を叙述・修飾する語となっているのが
面白いです。
鉄道オタクを、「○○は鉄道オタクだ」、
「○○はテツだ」だけではなく、
「○○は鉄分が多い」って言ってみたりして。
アラスカのアルーテック語で、
「土曜日だ」というのは、「土曜日+である」で表現するよりも、
「彼らはサウナ浴する maqi'ut マケーウット」という
動詞で表現するのに、ちょっと似ています。
以前にも書いてますが、
「名詞的要素+動詞的要素」(名+動)の順番の複合語ではなく、
「動詞的要素+名詞的要素」(動+名)の順番の複合語は、
語の内的シンタックスにバリエーションがあって面白いです。
基本パターンとして、「動+名」複合語は
「(動詞)する・される(名詞)」(a)というように
「名詞」が主要部として解釈されるものと、
「(名詞)に関して(動詞)する」(b)というように
「動詞」が主要部として解釈されるものとがあり、
それぞれ、片方だけだったり、両方だったりの
バリエーションがあります。
例えば、「食べ物」は、「食べる物」であって、
(a)パターンです。
それに対して、「書き物」は、「物を書く」であって、
(b)パターンです。
他方、「編み物」は、「編む物」、「編まれた物」という
(a)パターンと、「物を編む」という(b)パターンの
両方の解釈が可能です。
「この編み物よくできてるわねえ」は(a)の解釈で、
「ちょっと編み物でもするわ」は(b)の解釈になります。
両方の解釈が可能なのは、(日本語としては
文法全体のごく一部分ではありますが)、
名詞と動詞の区別が曖昧な言語の諸現象に
連なる現象で、興味深いです。
最近流行りの「撮り鉄」は、「鉄道を撮る」という
(b)の解釈しかありません。
歴史的には、想像するに、漢語の「動詞+名詞」という
シンタックスが日本語に入り込んだ結果だとは思われますが、
その歴史をつぶさに跡づけすることは、日本語史の専門家に
お任せせざるを得ません。
また、この「動+名」複合語が、漢語的素材に限らず、
和語や、西洋語からの外来語、オノマトペなどをも
要素として使うことは、とっても面白いです。
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(後にこんな助言をいただきました。)
「乗り鉄」の「鉄」は「鉄道」ではなくて、
いわゆる「鉄ちゃん」、鉄道マニアのことではないでしょうか。
他にも、「乗り鉄」、「模型鉄」、「時刻表鉄」とか、あるみたいですよ。
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それじゃあ、「撮る鉄」のことですね。
「鉄道を撮る」じゃないや。
あ~、つまんない。<笑>
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で、動詞用法が無いかと、"撮り鉄しに"で
ググってみました。
あることはあるんですが、まあ、
それは、名詞用法の「撮り鉄」の
後から使われるようになった可能性は
あります。
名詞的な「学生(だ)」が、
動詞「学生する」になるように。
でもまあ、「動+名」という組み合わせが
動詞的意味を誘発しやすいという「力」を
持っている可能性もあります。
今日は、学内で花見。
寒かったっす。
鼻風邪引きかけたかも。
ってか、2部咲き位の木と、
全然咲いてない木とありました。
いい加減風が強くなってきたので、
屋内へ。
そこに、僕は先日買った
(旧)スライムを持ち込んだのですが、
ある先生は、それが流行った時期に
見たことがなかったらしく、
楽しげに遊んでらっしゃいました。
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1269269356530.html
言語学でモーラ、日本語学でモーラあるいは拍と呼ばれる
「長さ」の単位の概念。なんとなく「ある」ことは
意識されているんだけど、一般には命名が欠けているんですね。
(本文中に、「拍」という語が出て来てはいますが、
モーラの意味で使われているかどうかは疑わしいです。)
モーラの命名が欠けている代わりに、「文字」で数えたり
するんですが、拗音の表記が絡んでくるとそこで
ぐちゃぐちゃになってきます。
「チョコレート」は、「チョ・コ・レ・ー・ト」で
5モーラですが、子供の時「チ・ヨ・コ・レ・ー・ト」
と6つで数えた覚えが誰しもある筈です。
で、4モーラ名が減って来ているんですか。
僕は4モーラ姓と4モーラ名ですけどね。<笑>
なんか、リズム的には落ち着いちゃうんですね。<笑>
3モーラや、5モーラにしたりして、
「動き」を出したい欲求があるのか、
それとも現代における壮大な異化
(露 ostranenie、チェ aktualizace)なのか。