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2009年8月 アーカイブ

2009年8月 1日

川村カオリ埋葬式

今日は、アナスタシア川村かおりさんの
埋葬式で歌うため、教会へ。

もの凄い参列者が集まっていました。

司祷は、仙台のセラフィム主教座下。

座下のお話も20分位に渡りました。

弔辞は、俳優水谷豊さんと、
http://avexnet.or.jp/mizutani/

写真家の酒井久美子さん。
http://blog.jalpak.co.jp/photo/profile.html
http://fujifilmsquare.jp/detail/07092900.html

親族挨拶は、弟、川村忠氏。

忠氏は、ソ連がロシアへと民主化したのには、
お姉様の功績もあったのではないかと
仰っていました。

2009年8月 4日

今日のyoutube

Eva De Roovere - Zomer in Brussel

Ycare - J'y crois encore

Narum - Samma hen du fær

2009年8月 8日

ハイブリッド借用語について

ハイブリッド借用語(hybrid loanwords)という用語は、
少なくとも、2つのそれぞれ独立した場面で
使われています。

1)Ghil'ad Zuckermannが、
http://www.zuckermann.org/
言語Aから言語Bへ借用が起こる際に、
その借用語の能記(=音形)が
言語Bの音韻体系、音素配列論に合わせるように
変形するというのは、通常の借用だけれども、
それだけでなく、言語Bに存在し
意味的に関係のある
他の(単)語や形態素の能記の
影響を受けてさらに変形することを
hybrid loanwordsとして指摘しました。

例えば、日本語の「背広」は、
ロンドンで、紳士服屋の多かった
Seville Rowという通りの名前からついたが、
(他に、civil clothesからという説もあり)
日本語の「背」、「広い」という2語の
影響を受けて、「背広(せびろ)」という
音形におちつきました。

また、英語のstationは、現在では
ステーションという形の借用語で
定着していますが、ある時期には、
ステン所(ステンショ)と
呼ばれた時期もありました。

また、これは、私の説です。
グミ・キャンディーのグミというのは、
Gummiから入ったということに
なっていますが、英語っぽいガミーにならずに
グミとして定着することには
日本の植物グミの影響があったと
考えるのです。

2)カン・ユンジョン(Yoonjung Kang)などが、
http://www.springerlink.com/content/t8077m0322627607/
英語から韓国語への借用の際、
現在では、直接英語から、韓国語の
音韻体系、音素配列論に合わせて変形された
借用語になることがほとんどになってきているが、
以前には、英語から日本語経由で、韓国語に
入った借用語があり、それをハイブリッド借用語と
呼んでいます。

私が思いつくのは例えば、
shirt → シャツ → ??(シャッス)
があります。今英語から直接借用されるとしたら、
shirt → *??(ショトゥ)
となりそうです。

--

ところで、Zuckermannの説に関する、
既存の他の語による変形は、
なにも借用に限る現象ではなく、
1言語の内部でも起こっています。

「あかぎれ」という語は、
もともと足を表わす「あ」と「かがり」の
合成語で「あかがり」だったものが、
後に、「赤」と「切れ」の合成語だと
最解釈されて、「あかぎれ」という形に
変形したというような例がそれにあたります。

asparagusが、方言形でsparrowgrassとも
呼ばれるというのは、asparagusが元々
ラテン語からの借用語ですから、
Zuckermannのハイブリッド借用語に
相当するのでしょうが、でも、
「あかぎれ」と近い現象のようにも
見えます。というか、両者は連なった
現象であり、截然と分けなければいけない
ものではないのかも知れません。

2009年8月11日

タイベ・ビール

パレスチナのタイベ・ビールというのが
日本にも輸入されています。

http://savetheolive.main.jp/taybehbeer.htm

正則アラビア語のtayyib(un)(良い)と
関係のある村名からきているみたいです。

ヘブライ語tobh(良い)と同根の
単語です。

なぜに、アラブでビール?と思ったら、
ここは、初代教会から続く、
キリスト教の村だとか。

ということは、エルサレム総主教庁
に属する正教の村なのでしょう。

--

余談ですが、 このビールは、この名前のまま
マダガスカルに輸出することはできません。

なぜならマダガスカル語でtayは「う○こ」、
beは「大きい」という意味で、
結構よく使われる表現なのです。

2009年8月28日

フィールドから

27日。

去年の夏書いた論文を、
今頃ですけど、
首都のろう学校の校長先生と、
全国ろう者協会の理事に
お送りしました。

やっぱり、「実力者」の
協力が無いと、
こういう調査も
続けていけませんから。

その後、本を一冊買って、
食堂で、アナツンガという
地元の葉野菜と豚肉の
炒め物で食事をしました。

午後は、調査協力者が来て、
調査を。

まあ、いっちばん最初の
2005年に、
ちょっとボタンの掛け違いが
ありまして。<笑>

手話を「調査・研究したい」
ということがうまく伝えられず、

手話を「学びたい」と伝えて
しまったので、
調査協力者は、
未だに、僕が手話ができるように
なりたいのだと考えています。

まあ、対象言語ができるに
越したことはないのですが、
誤解を恐れずに言うと、
言語学者は、対象言語ができなくても
「しくみ」などがわかれば
それで充分な面もあります。

でも、僕の協力者は、
僕が1つ1つの単語を覚えて
いかないと、赦してくれません。<笑>

まあ、まだまだ単語数は少ないんですけど、
でも、去年なんか、ろう者に、
「マダガスカルに移住して
 通訳者になってくれ!」って
言われちゃいましたけどね。<笑>

でも、その前に、音声マダガスカル語が
そんなにできないんですけど。

英語や、日本語との間なら、
あるていど通訳できると思いますが。
(実際、英語との通訳は、
 去年ちょっとやりました。)

今日は、協力者が、
マニオクで
ムフ・マンガハズというお菓子を
つくってきてくれました。

これから食べちゃいます。

2009年8月29日

フィールドから

28日。

今日は、買い物しまくりました。

ちょっと帰る日が近づいてきたからです。

まず、Tシャツ。

欲しいものを全部買っていても
切りがないので、1枚だけ。

それから、イスラカ地区の
ルーテル書店で、本を数冊。

それから、アナラケリ地区の
ミクスト書店で、本を数冊。

そのあと、ベフリリキャ地区の
チョコレート屋さんで、
チョコレートを。

(でも学生から、別なチョコレートの
 ご所望も受けているので、
 それは、別途買います。)

昼は、ホテル近くの食堂で、
牛肉とバンバラ豆のスープ。
それをご飯に掛けながら食べました。

午後は、調査。

今日もいろいろと発見がありました。

夕方、電子メールを書きまくりました。

カリフォルニア大学某校の先生に
質問のメールを書いたら、
10分位で、僕が書いた10倍位の
長さのメールが来ました。<笑>

それも、いろんなヒントが沢山。

いい先生っていうのは、
こういう人のことを言うんだなと
思いました。

僕は、そこまで迅速に、メールに
対応することができてません。

遊んでるから行けないんですね。<反省>

29日。

今朝、爪を切りました。

独り言ですけど、
「足も切っちゃおうかなあ」
なんて言ってました。

日本語だから言えますけど、
英語じゃ無理ですね。

"I'm gonna cut my legs/feet"

ダメですね。

動詞もぼかして、

"Now, I'm gonna do my toes"

ぐらいなら言えるでしょうか?
ネイティブじゃないんで
判定できませんけど。

まだ日本にいる間に、
だれかが咳をしていると、

「豚に違いない」

って言って、コンテクスト上
なにも問題無いですけど、
やっぱり英語で、

"She must be (a) pig"

は、全然違う意味になっちゃいます。

まあ、英語では、豚インフルエンザは
swine fluなので、

"She must be (a) swine"

も古風な感じだけど、やっぱり
豚っていう意味しか出て来ない
感じがします。

こっちは、述部をもっと詳しくして、

"She must have gotten swine"
"She must have been hit by swine"

ぐらいにしたらイケますでしょうか。
ネイティブの方、如何でしょう?

2009年8月30日

土曜日

29日。

東京在住のマダガスカル人の娘さんから
風邪薬などの荷物をあずかって、
届けたお礼にと、

今日は、お食事にお呼ばれしました。

豚肉と白インゲンの炒め煮と、
鯉の料理。

他に、鶏と鴨料理がありましたが、
僕は食べられませんでした。

ってか、食べ過ぎた。

一緒に呼ばれていたお2人と
ワニ農園に行ったのですが、
後半は歩いているのも辛い位。

口数も少なくなりました。

ところで、そのお2人の内の
1人は、僕の協力者の、
昨年末亡くなったお兄さんと
同じ職場で、別な支店に
お勤めだとのこと。

お兄さんのことをご存知でした。

とにかく後半は、
外国人である僕に遠慮して
ゆっくり話したり、
フランス語で話したりすることが
すっかり減ってしまって、
僕も、ぼーっとして、
車に乗せてもらって
帰ってきました。

今日は、早く寝よう。

あ、ところで、そのお母さんに、
日本にいる娘さんに
お返しの品をまた
言付かっちゃいました。

これ、今回はしますけど、
毎年恒例になっちゃうのは
嫌だなあ。

エコノミークラスの
預け荷物の上限、
20kgですから。

すぐオーバーしちゃいます。

--

明日は、郊外にある、
主教座聖堂教会に
行く予定。

--

ところで、他言語話者が
出会ったときの、
単純化した言語に、
結構であうことがあります。

この前、イタリア人客と、
ここのホテルの女主人とは、
崩れたフランス語で、

A: Moi parler francais.
(私、喋る、フランス語)
B: Moi parler italien.
(私、喋る、イタリア語)

って話してました。

そう言えば、5年前に初めて
この国に来たとき、

道路工事のODAで来ている
日本人が、運転手に、
ブロークンなマダガスカル語で
話してました。

C: Mandeha Analakely, mahay?
(行く、アナラケリ、できる?)

まあ、いろいろダメなのですが、
まず、mahayは、習得してできる
という意味なので、ここでは
使えません。

それにしても、
(アナラケリに行くことは、できる?)
という「主題-評言」
構造になっているのが
印象的でした。

標準マダガスカル語では、
「主題-評言」構造は、
こういう形にはなりません。

あ、でも、マダガスカル手話だと
助動詞を使った似たような
構文あるかも。

いろいろと奥が深いですねえ。

2009年8月31日

日曜日

30日。

日本は選挙ですね?。

郊外にある、アラスラという地区に行きました。
主教座聖堂があります。

併設の神学校と診療所があります。

でも、今日は、主教さん、
いらっしゃいませんでした。

マナカラというところに
いらっしゃっているとのこと。

でも、7時半に行ったのに、
もう始まっていました。

10時には、終わっちゃったんですよ。
この国の教会は、朝早いです。

その後、2004年以来知り合いの
神父様に、お昼に呼ばれました。

なんだか、積もる話があり、
3時頃までいて、おいとましました。

お食事は、豚肉と、マダガスカル語で
anana (ti-sam)、フランス語でbredeという
葉野菜の炒め煮と、人参のラサリ(サラダ)と
多量のご飯でした。

もう、人のウチに行くと、
食べ過ぎちゃう。

帰国して体重計に乗るのが
怖いです。

--

夕飯に行ってきました。
オテル・ド・フランスのレストラン。
ちょっと高めだったけど
美味しかったです。

でも、デザートまで食べちゃったよ。<笑>

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