« 2015年7月 | メイン | 2015年10月 »

2015年8月 アーカイブ

2015年8月 9日

ICCEES 幕張大会 無事終了!

ICCEES 第9回 幕張世界大会が無事に幕を閉じた。
じつに長くて暑い(熱い)嵐のような1週間であった......。
私は去年の秋から「募金部会」の組織委員に加わっただけだが、ずっと長く準備に携わってきた組織委員会・事務局の人たちの感慨はいかばかりかと思う。数々の困難と試練をよくぞ乗り越えてきたものである。
総計、50以上の国から1200人を越える人が参加してくれた。

すべてを万遍なく紹介することはできないけれど、忘れないうちに、とりあえずごく私的な ICCEES 報告をしておきたい。

「縁の下の力持ち」として大会を支えてくれたのは、50人を越える「研究者ボランティア」と約40人の神田外大の「学生ボランティア」。
7月20日(月)東大本郷に「研究者ボランティア」に集まってもらい、打合せをした。
 ↓

7月24日(金)神田外大との打合せ(会場校である神田外大とは、ここで初めて連絡体制が確立)。
8月1日(土)組織委員会の「先遣隊」はこの日から幕張国際研修センターに泊まりこみ。「超・強化合宿」が始まった。
8月2日(日)幕張メッセに組織委員と研究者ボランティアが何十人も集まり、手分けしてコングレスバッグにプログラムやメモパッド、ボールペン、ネームホルダー、各種お知らせ等を詰める。はてしなく続く辛い作業だったが、翌日の準備万端整う。

8月3日(月)10:00よりレジストレーションが始まり、15:00 いよいよ幕張メッセで開会式。司会は松里公孝(東京大学)事務局長と亀田真澄(東京大学)事務局次長。
 ↓

15:30 下斗米伸夫(法政大学)組織委員長によるオープニング企画「元首相サミット」に続き、18:00よりウェルカムパーティ。千葉の「利き酒コーナー」が設けられる。
一方、「会場部会」や「広報部会」の組織委員と研究者ボランティアの一部は終日、神田外大で会場設営。すべての教室のパソコン設定からブックスタンドの設営まで大変な作業だったと思う。ご苦労様でした。
ブックスタンドはこんな感じ。
 ↓

8月4日(火)神田外大で研究発表の始まり。8日までの5日間、連日 30に近い教室に分かれて「パネル(司会+報告者3名+討論者)」と「ラウンドテーブル(司会+3名以上の報告者)」を並行しておこなう。夕方は夕方でイヴニングセッションが企画され、複数のイベントが実施された。
私はこの日、Ⅰ-2-14 英語パネル「ナボコフⅠ」で司会を務める。
発表者の毛利公美さん(一橋大学)がパワーポイントをチェックし報告の準備をしているところ。
 ↓

ボランティアはいくつかの班に分かれ、それぞれの持ち場で重要な仕事をこなした。みなお揃いのTシャツを着たのだが、プログラムの表紙やチラシと同じデザインのこのTシャツはたいへん好評だった。
わが東京外国語大学からも、たくさんのポスドク、院生、学部生が研究者ボランティアとして大活躍した。本当にご苦労様でした!
 ↓

ランチもこの賑わい。世界中から研究者が来てくれ和気藹々と歓談しているさまを見ていたら、どうしようもない感動がこみあげてきた。
 ↓

午後はⅠ-3-15 ロシア語パネル「ポスト・ソヴィエト諸国の文学教育」と、Ⅰ-4-7 ロシア語ラウンドテーブル「現代ロシア芸術シーンにおけるフレーブニコフ」を聴く。
ラウンドテーブルの報告者ヴェーラ・ミトゥーリチ=フレーブニコワさん(アーティスト)がフレーブニコフ家のアーカイヴを紹介し、ステパン・ボチエフさん(カルムィクの画家)が自身のイラスト入りの本を見せてくださる。
 ↓

18:30 から始まったカフェテリア「ラパス」でのレセプションには、500名を越える参加者が集まった。
和太鼓が披露され、人気の日本料理はあっという間になくなった。
日本名門酒会のご厚意により日本各地の美味しい地酒が振る舞われた。日本名門酒会を主宰する岡永の金子尚恭さん他が、はっぴを着てサービスしてくださる。ありがとうございました!
 ↓

8月5日(水)外国人研究者に日本文化を体験してもらおうと企画した「お茶会」の準備をする。お茶会は「むつみの会(裏千家)」の田中和子さんに主宰していただく。
文学シンポジウムの冊子も印刷所から届く。事務局は、絶えずいろいろな人がありとあらゆる問い合わせでやってくるので大忙しだった。
私は、Ⅱ-3-15 ロシア語パネル「日露文学関係Ⅰ」を聴きにいく。
18:30 からのイヴニングセッションでは、「東西関係のなかの北極海と極東」と「ロシア革命の新しい展望」がおこなわれる。

8月6日(木)私は、Ⅲ-1-16 ロシア語パネル「ロシア演劇におけるロシア文学のテクスト」で討論者を務める。ロシアの小説がどのように芝居化されているかを分析した3人の報告者の発表はどれも面白かった。田中まさきさん(東京大学)の組織したパネル。
これは、マリーナ・シードロワさん(モスクワ大学)が、『カラマーゾフの兄弟』をコンスタンチン・ボゴモーロフがどう演出したかについて話しているところ。
 ↓

パネルを終えて記念写真。
 ↓

この後「お茶会」に駆けつける。20人ずつ 5回転で、お菓子を食べ、お点前を見て、琴の演奏を聞き、その後、実際に自分でお茶を点てる。茶道について英語で説明がなされた。約100名の外国人が参加し、みな口々に「楽しめた」「面白かった」と言ってくれた。
 ↓

18:00 ワレーリイ・グレチコさん(東京大学)のブックパネル 『遠い東(極東)と近いロシア』を聴く。
18:30 からのイブニングセッションでは、「現地から見るウクライナ動乱」と「東アジアにおけるロシア文学の今日と明日」が同時におこなわれる。私は、クリスタルホールでおこなわれた野中進さん(埼玉大学)司会の後者を聴きに行ったが、ロシア文学研究・翻訳の現状が、キム・ジンヨンさん(韓国ヨンセイ大学)、リュー・ウェンフェイさん(中国外国文学研究所)、望月哲男さん(北海道大学)により報告され、情報量も多く大変勉強になった。ロシア文学研究が急速に発展しつつある中国や、日本とは異なる展開を見せている韓国の研究者と今後、交流を深めていきたいと思った。
20:00 からアジアン食堂「食神」で懇親会。中国のロシア文学研究・翻訳をぐいぐい(という感じで)牽引しているリューさんと話していると、知合いの現代ロシア人作家が何人も共通していて(例えばウリツカヤやスラヴニコワやシーシキン)、とても面白かった。
 
8月7日(金)ICCEESも佳境といったところで、私にとって最大のイベントがおこなわれる。それぞれの日程で無事日本に到着していた4人の作家(スイスのバーゼルからミハイル・シーシキンさん、キエフからアンドレイ・クルコフさん、アムステルダムからドゥブラフカ・ウグレシッチさん、ベルリンから多和田葉子さん)とカフェ「バルコーネ」で打合せをし、18:30よりシンポジウム「スラヴ文学は国境を越えて」で司会進行を務める。
まず、ポーランドの詩人アダム・ザガイェフスキの詩をネイティヴのアンジェイ・シフィルコスキさん(アダム・ミツキェヴィチ大学)が朗読。その後、日本語訳と英語訳が続く。
 ↓

それから各作家の発言。シーシキンのスピーチはまさにこのシンポジウムにぴったりのマニフェストのような内容だった。「作家はロシアの国家体制を変えることはできない、それでも、できることをしなければならない。それは沈黙しないこと。もし黙ったら、いま国で起きていることに賛同することになってしまう。驚きに目を見張る世界を前に故国が自殺しようとしているというのに、黙っていたくないし、黙っていることなどできない」と力強く語った(それにしても、「ロシア」を「日本」に置き換えれば、そのまま日本にも通用する内容ではないか)。
向かって左がクルコフさん、右がシーシキンさん。
 ↓

クルコフは、現代ウクライナの文学状況について語った。多くのウクライナの作家たちがジャーナリズムやネットの世界で活動していること、ウクライナ語作家が台頭し、ロシア語作家は肩身の狭い思いをしていること、ウクライナの作家がウクライナの歴史や文学にこだわり続けていることが浮き彫りになった。ロシアと違って、ウクライナでは歴史的にウクライナ語の使用が禁じられたことが何度もあったので、ウクライナの作家にとって「ウクライナ語を守る」ことこそが最大の課題になったというのは自然なことだと思われる。
そうした状況の中にあって、クルコフは敢えてロシア語作家であり続ける。それは、ロシア語が「侵略者の言葉」であるとウクライナの人たちに思われたくない、ロシア語は「文学の言葉」でもあるのだということを示したいからなのだ。

ウグレシッチは、文学の自律性について、文学とイデオロギーの関係について、そして亡命と言語の関係について語った。「両極の間の緊張、つまり作家の政治参加と作家の自律性の間に見られる緊張関係は、旧東欧の文学においてとくに激しかった」という。
ウグレシッチさん。
 ↓

3人の発言を受けた多和田さんのコメントがまた素晴らしかった。ウクライナ問題についてドイツの雑誌や新聞に書かれる記事は、「トイレの水を毎回流すようにどんどん流れていって、あとには不満と不安が残るだけ」だけれど、シーシキンやクルコフの言葉はまったく逆で「読んだ記憶が鮮明に残る」。そして多和田さんは、「作家はどのような言葉で政治を語ることができるのか。その豊かな可能性について、日本の作家が東ヨーロッパの作家から学べるところがたくさんあると思う」と語った。
多和田さん
 ↓

20:00 シンポジウムの後、「食神」で作家たちと懇親会。

8月8日(土)最終日。午前中に私自身が組織した V-1-12 ロシア語パネル「現代ロシア文学のパラレルワールド」があった。報告者は、エカテリーナ・グートワさん(東京外国語大学)「ビートフの実験的な文学方法」、高柳聡子さん(学術振興会)「トルスタヤのインターテクスチュアリティ」、沼野恭子「ペトルシェフスカヤのメニッペア」の 3人。司会はワレーリイ・グレチコさん、討論者は村田真一さん(上智大学)。貴重なコメントや質問をたくさんいただいた。参加してくださった皆さま、ありがとうございました。

13:30 閉会式
14:30 「ラパス」でフェアウェルパーティ。私たちの予想をはるかに超える数の参加があった。200名以上いただろうか。今回の ICCEES 幕張世界大会のスローガンだった「たくさんの東とたくさんの西の出会い」が実現したかのように、あちらでもこちらでも、さまざまな人たちが談笑し、再会を約束しあっていた。

組織委員の半ば以上はパーティを楽しむひまもなく撤収に取りかかる(残務整理はまだ当分続くだろう......)。
こんな気の遠くなるほど大変な大事業を(何度、絶望のあまり気を失いかけただろう)、しかも大部分を自分たちの手で(予算を切り詰めるため、文字どおり手弁当で)、知恵を振り絞り議論しあいながら(ときに議論は白熱しすぎたきらいも?)、まったく、よく最後までやり遂げましたね。本当にご苦労様でした! 

組織委員会の中心的なメンバーたちの辛抱強さと献身と理性とユーモアに乾杯! 
 ↓

組織委員たちを突き動かしていたものはいったい何だったのだろう? だいたい、自分の「得」になることはあまりなく、「損」になること、負担になることのほうが圧倒的に多いのだ(実際、自腹を切っている人も 1人や 2人ではない)。大学の校務を通常どおりこなしつつ論文を書いたり翻訳をしたりしながらさらに ICCEES の仕事を引き受けていたのだから、みな滅茶苦茶大変だったはずだ。使命感からだろうか? 友情? 義務感?
いずれにしろ、ここには「経済原理」はほとんど働いていない。お金の儲かる仕事ではないのだから。
実利主義だけで人が動くものではないということを、経済界の方々にも知っていただければ幸いである。 

最後に、この大会を陰に日向に支えてくださったすべての皆様、山川出版社や新潮社ほかご協力いただきました出版社、国際交流基金、募金活動に多大のご尽力をいただきました田中哲二様、スポンサーになってくださった理解ある企業の皆様、毎日美味しい料理を提供してくださった栄養食、日本名門酒会、千葉市、千葉コンベンションビュロー、リンケージ、神田外語大学の酒井邦弥学長と学長秘書の松戸きよみ様に、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

About 2015年8月

2015年8月にブログ「沼野恭子研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2015年7月です。

次のアーカイブは2015年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。