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日本学術会議声明を支持する

2015年6月8日、文部科学省が国立大学のとくに人文社会科学系学部・大学院に対して、「組織の廃止」を含む「見直し」を求めた。
これに対して、7月23日、日本学術会議が幹事会声明を発表して反論・批判を展開している。
私も、今回の文科省の通知は近視眼的、実用主義偏重であり、日本の人文社会科学の重要性を軽視、無視するものであり、ひいては将来的に日本の研究・教育の全般的レベルを引き下げるものであると考えており、方向性そのものに強い違和感と危機感を抱いている。
以下に、日本学術会議幹事会声明を引用しつつ支持を表明したい。

「声明」はまず、人が目指すべき「総合的な知」というのは「自然科学」と「人文・社会科学」の連携によって初めて形成されるものであるとして、「人文・社会科学のみをことさら取り出して『組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換』を求めることには大きな疑問がある」としている――然り、自然科学(つまり理系)と人文社会科学(つまり文系)は互いに補完しあい協力しあってこそ、知の密度が高められるのではないのか。

また「目には見えにくくても、長期的な視野に立って知を継承し、多様性を支え、創造性の基盤を養うという役割を果たすこと」も大学に求められている社会的要請であるとしている――然り、目先の目標や計量化になじまない分野をないがしろにしては絶対にいけない。

最も共感を覚えるのは「グローバル人材」の定義だ。「グローバル人材」とは、単に国際的なビジネスの競争に勝てる人材というのではなく、「人類の多様な文化や歴史を踏まえ、宗教や民族の違いなど文化的多様性を尊重しつつ、広く世界の人びとと交わり貢献することができるような人材でなければならない」という――然り、日本を、教養や洞察力のないロボットのような企業戦士ばかりの国にしてはいけない。「人文・社会科学の軽視は、大学教育全体を底の浅いものにしかねない」。

全文はこちらで読める。
 ↓
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-kanji-1.pdf

2015年6月29日付 『日本経済新聞』 に掲載された一橋大学元学長の石弘光氏の記事には、理系と文系の「成果」の評価をめぐり、単純な数値に置き換えて両分野を比較することの無意味さがわかりやすい比喩で示され、痛烈に批判されている。

「つまり多量に論文を作成・公表しうる自然科学とまったく反対の人文社会科学とで、同じように論文数、論文被引用数を基準として研究成果は評価されている。これではバスケットボール(毎試合100点近い得点)とサッカー(僅かな得点)をそのまま得点で比較しているようなものだ」。

石弘光氏は、「経済界も要望する『社会に役に立つ』という視点のみから大学改革が行われようとしている」として「政府の介入の度合いが一段と強まってきた」ことに警鐘を鳴らしている。まったく同感である。

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2015年7月26日 15:25に投稿されたエントリーのページです。

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