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2015年3月 アーカイブ

2015年3月13日

ロシア若手日本研究者との交流会

3月11日(水)国際交流基金において、本学の教員・院生と、ロシアの若手日本研究者たちとの交流会が催された。

ロシアからの一行は、日本におけるロシア詩の受容を研究しているロシア国立人文大学の若手教員、山東京伝の黄表紙を研究している東洋学研究所の院生、道元の研究者、戦国時代を専門にしている歴史家、日本の対ロシア政策を研究しているサンクトペテルブルグ大学の助教、アジアの科学技術協力を学んでいるモスクワ国際関係大学の院生、日中関係を専門にしている研究員、ウラジオストク日本センター所長補佐と多彩な顔ぶれだった。率いるはモスクワ日本文化センターのアレクサンドル・ノヴィコフさん。ペンネーム「アレクサンドル・チャンツェフ」で活躍する新進気鋭の評論家で、三島由紀夫や太宰治について研究しているジャパノロジストでもある。
本学からは、国際日本センター長の野本京子先生、鈴木義一先生、非常勤講師の鈴木佑也さん、院生3人と私が参加した。




東日本大震災と福島第一原子力発電所の大惨事からちょうど4年目にあたる日だったので、まず犠牲者の方々に黙祷を捧げ、それから本学の組織や外国の大学との交流協定、スーパーグローバル大学としての取組み、国際日本センターの役割等々について紹介した。その後は歓談。
国際交流基金のおかげで、ロシアの優れた若手日本研究者の「短期研修」が実現し、こうした貴重な交流の場を持つことができて大変有意義だった。




   野本先生、マイアさん、ソフィアさん

2015年3月22日

ウズべキスタン出張

中央アジアのウズベキスタンにアヴァンギャルド研究調査のため出張した。

タシケントでは、国立ウズベキスタン美術館で、シルク、チュベイカ(頭にかぶる中央アジア独自の帽子)、絨毯、レリーフ、彫刻、絵画などを見る。2弦の民族弦楽器ドゥタールや打楽器ドイラ、布に模様を刻む「スタンプ」なども展示してあり面白かった。
絵画のコレクションも充実していて、アレクサンドル・ヴォルコフの作品が10点ほどあり、赤やオレンジが美しい。
全体を見て、ザクロを描いている作品が多いことに気づく。

次にウラル・タンシクバエフ(1904-1974)記念館へ。タシケント生まれで、カザフ系だがウズベキスタンの誇る画家だ。
タンシクバエフが生前使っていた家具や身の回りの品々がそのまま保存され展示されている。1920-30年代は前衛的な画風だったが、のち具象的な風景画に転じた(転じざるを得なかった)。



なんとこの日(3月17日)、小松久男先生、島田志津夫先生、前田和泉先生、留学している学生3人、私の計7名も本学の関係者がタシケントに揃ったので、小松先生お勧めの「ベク」というレストランに大集合!
コズィという馬肉ソーセージ、キュウリとトマトのサラダ、マスタヴァというスープ、シャシリク、ウズベク産ワインで楽しいひと時を過ごした。
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タシケントから飛行機で2時間ほど(かかる時間は飛行機によって異なる!)、出張の最重要目的地であるヌクスのサヴィツキー美術館へ。
イーゴリ・サヴィツキー(1915-1984)はキエフ生まれで、もともとは画家だったが、カラカルパキア地方の発掘調査をした民俗学研究者でもあり、1920-30 年代のアヴァンギャルド美術を収集し始め、稀代のコレクターとして名を残すことになった。1966年ヌクスにこの美術館がオープンしてから亡くなるまで館長を務め、ウズベク美術の発展にも多大な貢献をする。世界の美術史に極めてユニークな足跡を残した人である。
館内は、カラカルパキアの民芸品・生活用品、旧ソ連時代の絵画など所狭しと展示してあるが、全部で約10万点所蔵しているうちの3%しか展示できていないとか。現在、新館がオープンの準備を進めている。



ここで、マリニカ・ババナザロフ館長に前田さんとふたりでインタビューする(約2時間も付きあってくださった)。
ミュージアム・ショップでは貴重なアルバムや資料、DVDを手に入れた。



 インタビュー風景



  エヴゲーニイ・ルィセンコ



  ヴィクトル・ウフィムツェフ



  アレクサンドル・ヴォルコフ


ヌクスでは「イスチクロフ」(「独立・主権」を意味するウズベク語)というレストランに行く。
夕方と言ってもまだ明るかったのだが、食事が終わりかけたころ突然電気が消えてディスコボールが輝きだし(!)、大音響で音楽が始まったかと思ったら、「女子会」をしていた人たちが踊り出した。
しばらくすると、何度も誘われるので断るわけにもいかず、ウズベク風ともインターナショナルとも言い難いダンスで腹ごなしすることになる。
その後の記念撮影がこちら(まるで旧友であるかのように馴染んでしまった...)。 
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ふたたびタシケントに戻り、アフマートワ記念館を訪れる。
この記念館は高級住宅街にあるロシア文化センターの一角(地下)。アリビナ・マルケヴィチ館長(もうすぐ85歳!)が迎えてくれ、詩人アンナ・アフマートワとタシケントとの関わり、記念館ができるまでのいきさつ、なにげなく展示してある本や写真についていろいろ話してくださった。マルケヴィチさんはアフマートワに一度会ったことがあるという。
ロシア詩の専門家である前田さんがタシケントをめぐるアフマートワの詩をロシア語と日本語で朗読して喝采を浴びる。


同席していたジャーナリストのライサ・クラパネイさんが、この訪問をご自分のブログに書いてくださったのがこちら。
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http://krapan-5.livejournal.com/896613.html


今回の出張は、ゼミ生でタシケント国立東洋学大学に留学中の大内悠くんが、行く先の手配からインタビューのお膳立て、移動、案内、写真係まで、文字通り何から何まですべて、痒いところに手が届く完璧なコーディネートをしてくれた。
中央アジアは初めてだったので、タンシクバエフ美術館もアフマートワ記念館も、案内してもらわなかったら行けなかったと思う(何しろ所在地を見つけるだけでも大変なのだ)。ロシア語もウズベク語もわかる大内くんがいてくれて、どんなに心強かったかしれない。
だから正直に言うと、いちばんの目当てだったヌクスのサヴィツキー美術館は想像以上に素晴らしかったし、ウズベキスタンの人々のどことなくのんびりした幸せそうな笑顔にも心打たれたし、ウズベク料理ももちろん美味しかったのだが、この出張の最大の収穫(?)は大内くんのエスコートであった。行動力と気遣いに満ち、頼もしくかつ繊細。
本学に中央アジア地域が新設された年に第1期生として入ってきた大内くん、4月から4年生になりウズベク・アヴァンギャルドをテーマに卒論を書くというから、将来が楽しみだ。本当にご苦労様でした!



 ヌクスのバザールで。乳製品を売っていた女性と大内くん。

2015年3月25日

読売新聞連携市民講座 始まる

東京外国語大学と読売新聞立川支局が連携・共催して、2015年4月より連続市民講座 「今を生きる~人々が暮らしている/きた世界」 (全11回)を開催する。

その第1回目 「スペイン文化とフラメンコ―ポストフラメンコの40年」 が、来る4月11日(土)13:30-15:30 東京外国語大学アゴラ・グローバルでおこなわれる。
第1部: 逢坂剛(作家) × 小松原庸子(舞踊家) × 立石博高(本学学長)による鼎談
第2部: 本学スペイン舞踊部による公演

事前の申込みは不要です。学生の皆さん、地域の皆様、ぜひいらしてください。



なお、この後10回のラインナップは次のとおり。
会場はいずれも、東京外国語大学アゴラ・グローバル プロメテウスホール。
13:30 開始。

第2回: 「中国の反外国主義とナショナリズムについて」 5月9日(土)
佐藤公彦(中国近代史・東アジア国際関係史)

第3回: 「カンボジア ものがたりの力」  5月23日(土)
岡田知子(カンボジア文学・カンボジア文化)

第4回: 「東南アジアの分かの多様性を知る」  6月6日(土)
床呂郁哉(人類学・東南アジア研究)

第5回:  「創られる多民族国家―マレーシアとシンガポールから考える」 10月3日(土)
左右田直規(東南アジア近現代史・マレーシア政治社会史)

第6回: 「世界を食べよう!― 料理と文学の美味しい関係について」 10月31日(土)
亀山郁夫(名古屋外国語大学学長)× 沼野恭子(ロシア文学・ロシア文化)による対談

第7回:  「食からイスラムを見る」 11月14日(土)
八木久美子(宗教学・イスラム研究)

第8回: 「千鳥足の弁証法―"ブラジル的生き方"にせまる!」  12月5日(土)
武田千香(ブラジル文学・ブラジル文化)

第9回: 「画像から見る世界の歴史―ヨーロッパ中世の世界」 1月23日(土)
千葉敏之(ヨーロッパ中世史・歴史補助学)

第10回: 「死と身体―タイのフィールドから考える」 2月20日(土)
西井凉子(東南アジア大陸部の人類学)

第11回: 「他者の生を、自己の生につなげる―山口昌男と文化人類学 」 3月19日(土)
真島一郎(西アフリカの人類学)

2015年3月27日

ノブレス・オブリージュ

3月26日(木)つつがなく卒業式がおこなわれた。

思い起こせば、4年前の2011年3月には、東日本の大地震・津波・原発事故の影響で卒業式が急遽中止となった。
あれから4年...。

「震災後」に大学生活を始めた学生たちにとって、大学生活は必ずしも楽しいことばかりではなかっただろう。被災した学生もいた。
「震災後」と大学生活が重なったことは、きっと記憶に留められ、いつまでも忘れられることはないだろう。
だれもが、自分の生き方を根本的に考え直さざるを得なくなった。原発の存在について懐疑的にならざるを得なくなった。そして自分たちの未来を真剣に考えなければならなくなった。

夕刻、吉祥寺のとあるレストランでロシア語専攻の卒業パーティがあり、おこがましいかとも思ったのだが、「ノブレス・オブリージュ」というフレーズを、「精神的に高貴であれ」「社会的弱者に思いやりを」という意味を込めて卒業生たちへの「はなむけ」として贈った。

卒業生の皆さん、卒業おめでとう!
どうか卑俗な規範や下劣な悪弊に染まることなく、理想を忘れず、宮沢賢治のように謙虚であると同時に大胆な生き方を模索していってください。
精神的に気高く気品のある人になってください。けっして傲慢にならず、弱者の痛みを引き受けられる人になってください。
心からみんなの飛躍と幸せを祈っています。

ゼミ生たちと別れるのは辛く、どうしても涙が出て困った。



2015年3月28日

シューキン演劇大学劇団の公演 『イワーノフ』


今年創立100周年を迎えるロシアの名門演劇大学であるシューキン記念演劇大学の劇団が 「ロシア文化フェスティバル2015 IN JAPAN」 の一環で6月に来日。
東京外国語大学でもチェーホフの 『イワーノフ』 を上演してくださることになった。

6月3日(水)10:10~12:10 東京外国語大学 プロメテウスホール
シューキン記念演劇大学劇団 チェーホフ原作 『イワーノフ』公演 (字幕付き)
主催: ロシア文化フェスティバル日本組織委員会
共催: 東京外国語大学総合文化研究所

これはロシア語専攻の正式イベントとし、水曜2限の授業がロシア語にあたっている1年生と2年生は全員出席するものとする。
その他のロシア語専攻の学生もなるべく観に来てください。
教養外国語でロシア語を勉強している学生、演劇に関心のある学生もぜひどうぞ。

『イワーノフ』はチェーホフの初期戯曲。1887年にモスクワのコルシュ座で、改作されて1888年にペテルブルグのアレクサンドリンスキー劇場で初演された。
理想を夢見て挫折した主人公イワーノフ。今では、病に冒された妻アンナへの愛も冷めてしまっている。そこへ若い娘サーシャが現れ、イワーノフはもう一度自己の「再生」を賭けようとする...。
19世紀末ロシアの倦怠と絶望を、若いロシアの「俳優の卵」たちがどのように演じるのか、楽しみだ。

演出: ミハイル・セマコフ教授
イワーノフ: ドミトリー・ニコノフ
アンナ: アントニーナ・パペルナヤ
サーシャ: ナターリヤ・イグリナ

2015年3月30日

知られざる桜スポット

東京に知られざる桜のスポットがある。
今日(3月30日)は、道路の両側に植えられた桜が空で「花のアーチ」を作るほど咲き誇っていた。



見に来る人はあまりいない。ましてや、木の下で酒を飲んでいる花見客などまったくいない。
桜はだれに見られずとも、だれからも注意を払われずとも、生命の限りを尽くして精一杯みずからの美しさを誇示する。
しかも2週間という短さ。なんという潔さだろう。

ところで、ここはどこでしょう?



じつは、東京外国語大学・府中キャンパスのすぐそばです。
西武多摩川線「多磨」駅から歩いて5-6分。
上の写真は、東京外国語大学と警察大学校の間の道。
下は、東京外国語大学と武蔵野の森公園の間の道(京王線「飛田給駅」行きのバス停。むこうに見えているのが大学の建物だ)。



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