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2014年12月 アーカイブ

2014年12月 7日

ボローニャからフィレンツェへ

11月の終わり、ボローニャから足をのばして、1日だけフィレンツェに行く機会があった。
ボローニャからフィレンツェは列車で35分だ。

この町のシンボルでもあるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行く。
ドーム(ドゥオーモ)の上に登ることは叶わなかったが、中でミサに参加することができた。



大聖堂の中とくに天蓋の内側にあたる天井のフレスコ画や、聖堂内部に響きわたるパイプオルガンの荘重な音色が素晴らしかった。
それから観光客がたむろするヴェッキオ橋を渡り、ピッティ宮殿まで歩き、その広場で極上のワインを飲んだ。

後で知ったのだが、すぐそばにドストエフスキーゆかりの家があったらしい。
ドストエフスキーはフィレンツェに2度行っている。最初は1862年で、短期滞在だったが、そのとき 『冬に記す夏の印象』 を書いた。
2度目は、新妻アンナとの4年に及ぶヨーロッパ滞在のうちの1868年から1869年にかけてだ。そのときふたりが住んでいたのが、このピッティ宮殿の近くで、ここで 『白痴』 を完成させたという。



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遠くに見えるのがヴェキオ橋

2014年12月 8日

フィレンツェからヴェネツィアへ

フィレンツェからヴェネツィアへと言っても、ヴェネツィアへは実際に行ったわけではない。フィレンツェのアルノ川を眺めながらヴェネツィアに思いを馳せただけだ。

ヴェネツィアと言えば、もちろんロシア出身の詩人ヨシフ・ブロツキーを思い出さずにはいられない。
日本に戻り、ブロツキー 『ヴェネツィア―水の迷宮の夢』 金関寿夫訳(集英社、1996)を書庫から出してくる。英語で書かれた詩のような散文作品だ。
少し引用しよう。

もしもいつかぼくの住む帝国の支配から逃れることができたなら、もしもいつかバルト海からこのウナギがなんとか抜けだすことができたなら、なにはさておき、まずヴェネツィアへ赴き、ボートが通る度にしぶきが窓にかかるような館(パラッツォ)の一階に部屋を借りて、しめった石の床でたばこを揉み消し、書くのはエレジー二、三篇。咳をし、酒を飲む。

友だちに貸してもらったレニエの小説(ミハイル・クズミンが訳したという!)の舞台がヴェネツィアだったのが、この町への憧憬のきっかけだったという。

夕暮れになると、どんな町でも美しく見えるものだ。しかし、なかには、他所と比べてとり分け美しくなる町がある。(...)通りはすでに闇につつまれていても、河岸はまだ日中。巨大な水の鏡には、「まるでばらまかれた古靴のような」モーターボート、水上バス、ゴンドラ、遊覧用小舟、荷船などが、水に映ったバロックやゴシックのファサードを飽きずにふみつけている。

ヴェネツィア全体が「巨大な水の鏡」なのだ。

偶然にも、先日の大学院の授業で読んだのが、アンドレイ・ビリジョーの 「ヴェネツィアの12月」 という短編だった(学期の初めに割り振ったのにすっかり忘れていた)。さらなる驚きだったのは、ビリジョーのこのエッセイ風の作品にちゃんとブロツキーが登場していたこと、そして「アックア・アルタ(満潮)」で町が浸水し、文字通り、町全体が緑色の「水の鏡」と化すさまが描かれていたこと。
ビリジョーもヴェネツィアが好きでよく訪ねているらしい。ユーモアもあり、思索的でもあり、読みやすくて面白い作品だった。



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ちなみに、この短編を含む作品集が出ている。
アンドレイ・ビリジョー 『私のヴェネツィア』 (モスクワ:「新文学展望」社、2013)

ビリジョーは、いわゆる風刺漫画家でもあり、同時に 「ペトローヴィチ」というコンセプチュアル・レストランのオーナーでもある。
「ペトローヴィチ」には、何年か前アクーニンに連れていったもらったことがあるが、1960-70年代のレトロな雰囲気を再現した店内は、まるでタイムマシンで「ソ連」時代に迷いこんだかのようだった。

2014年12月 9日

ボローニャから東京へ

11月は通常の学務の他に、講演会+懇親会が3つ、外語祭とロシア会(東京外国語大学ロシア語学科の同窓会)がありイベント続きだったのだが、さらにその合間にボローニャに出張した。
11月24、25日の両日、ボローニャ大学で、日本学術振興会「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」による東京外国語大学研究事業の締めくくりとして、シンポジウム「身体のランドスケープ――変容の知覚・記述・体現」をおこなった。

そのシンポジウムで、ボローニャ大学のラッファエレ・ミラーニ教授が発表した報告内容にいたく感銘を受けた。報告はイタリア語だったので、若手研究者の小久保真理江さん(イタリア文学)に概要を教えてもらった。人間の自然へのさまざまな働きかけが、自然を「生きた彫刻」にするというもので、歩くこと自体もまた「自然」に足跡を刻みつける彫刻刀のしぐさに似ているという(後半はちょっと私の勝手な解釈が入っているかもしれない)。私たちの何気ない振舞いそのものが「自然」への、「世界」への、芸術的行為になり得るとは、なんて素敵な考えだろう。

ちょうどミラーニ氏の著書が日本語になったばかりだという。
東京に戻ってから、頭脳循環プロジェクトをずっと一緒にやってきたリーダーの和田忠彦さんにその訳書をいただいた。



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ラッファエレ・ミラーニ 『風景の美学』 加藤磨珠枝・池田礼・長友瑞絵・深田麻里亜訳(ブリュッケ、2014)。

いつになったら時間がとれるか覚束ないが、この本を読みながら少し落ち着いて自然や風景、それに向けられる人間のまなざしについて考えてみたいものである。

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