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「赤い狂気」の系譜

ロシアの作家たちと漱石の関係を調べていたら、20世紀初頭に、ロシアの「不安」がほとんどストレートに日本に伝わってきたことが感じられた。
二葉亭四迷が、レオニード・アンドレーエフの 『赤い笑い』(1904)を 『血笑記』(1908) と題して訳しており、漱石はこれを読んでいる。



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 リプリント版

漱石は 『それから』(1909) で、主人公の代助に 「露西亜文学に出て来る不安」 を感じさせ、その不安を 「赤」 のモチーフで見事に描写している。漱石が同時代のロシア文学とりわけアンドレーエフの 「影響」を受けていたことはほぼ間違いない。このことはすでにいろいろな先行研究で指摘されている。

今回私の小さな発見は、漱石とは何の関係もないのだが、19世紀後半から20世紀前半にかけてのロシア文学には 「赤い狂気」の系譜があるのではないかということ。

 ガルシン 『赤い花』(1883)
 アンドレーエフ 『赤い笑い』(1904)
 ブルガーコフ 『赤い冠』(1922)

このように、これら3つの短篇、いずれもタイトルに「赤い」という形容詞がついており、いずれも狂気をテーマにしている。ほぼ20年ずつの間隔を空けて3人の作家が赤い狂気を描いているのである。
ガルシンの 『赤い花』 では、精神を病む患者が精神病院の庭に咲いている赤いケシの花を世界悪の象徴だと考え、なんとか引っこ抜こうとする。
アンドレーエフの 『赤い笑い』 では、日露戦争で人々が殺し合い発狂し、やがて累々たる死体の上に赤い笑いが漂う。
ブルガーコフの 『赤い冠―病の記録』 では、革命後の内戦で弟を救うことのできなかった主人公が発狂し、赤い冠をかぶった弟を幻視する。
もっとも、それぞれの「赤」が象徴するところは必ずしも同じではないだろう。アンドレーエフやブルガーコフの赤は血を思わせるし、さらにブルガーコフの場合は「赤軍」の意も含んでいるはずだ。

こうなると、チェーホフの 『6号室』(1892) で赤のモチーフが用いられていたかどうかが気になる。調べてみなくては。

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2014年9月 2日 22:20に投稿されたエントリーのページです。

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