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2014年8月 アーカイブ

2014年8月 4日

朗読の魅力

8月2日(土)軽井沢の塩沢湖湖畔に立つ「睡鳩荘」で、朗読会「チェーホフ! かわいい!」が行われた。睡鳩荘は旧朝吹邸で、趣のある素敵な洋館である。
長い間ほとんど定訳となっていたチェーホフの「可愛い女」を「かわいい」とした新訳(『チェーホフ短編集』沼野充義訳、集英社、2010)に短篇をいくつか添えたプログラムで、軽井沢演劇部(矢代朝子さん他)による上演だった。場所がら別荘を舞台にした作品が多く選ばれた。
外で本物の(!)別荘人たちの笑いさざめく声や本物のカモ(カモメではなく)の鳴き声が聞こえるなか、軽やかでユーモラスな情景が次々に浮かび上がる。黙読するだけで理解するのとは違う「演出された」時空間。芝居と黙読の中間に位置する朗読劇の魅力を再確認した。

せっかく湖があるのだから、次回は、睡鳩荘のテラスを舞台に見立ててぜひ 『かもめ』 の朗読会をしてほしい。『かもめ』 にこれほどぴったりの場所はないだろうから。


翌日は、千ヶ滝、白糸の滝とふたつの対照的な滝を見る。
前者は高さが20メートルもある激しくエネルギッシュな滝。後者は、高さこそ3メートルに過ぎないが幅が70メートルほどもあり岩肌から水が湧き出しているエレガントな滝だ。

白糸の滝
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その後、千住博美術館を訪ねた。
建物からしてコンセプトが素晴らしい。明るい館内にガラス張りのスポットが大小4つあってそこに白樺などの木々が植えられている。
床に傾斜があるのは、軽井沢の土地の勾配そのものを模しているという。
展示されている作品と自然がバランスよく配されているため、木々は背景ではなく控えめながら自らの存在を主張している。
まさにアートと自然の調和した、いつまでもいたくなる気持ちいい空間だった。

そして、「ウォーターフォール」の連作、「デイフォール・ナイトフォール」、地下宮殿の "The Fall"。ウォーターフォールつまり滝。静寂なはずの館内にどこからともなく滝の音が響いてくるような錯覚に陥る。
こうして、この日はすっかり「滝をめぐる冒険」をした気分になったのだった。

ちなみに、対照的なふたつの滝のうち、千住博の描いた滝は千ヶ滝(ああ、名前も頭韻!)の激しさを秘めたほうだった。


2014年8月 8日

時の人

いま私のまわりで話題になっている人と言えば、高橋知伽江さん。
アニメ 『アナと雪の女王』 の主題歌の翻訳を手がけた人で、その訳詩が素晴らしいと大評判になっている。
じつは東京外国語大学ロシア語科の卒業生。私の先輩であるだけでなく、学生時代、同じロシア語劇サークル「コンツェルト」の仲間でもあった。だから私としては「高橋由美子さん」と本名で呼ぶほうがしっくりくる。

高橋さんは学生時代から芝居にとても詳しかった。メイエルホリドを中心に1920年代のロシアアヴァンギャルド演劇について卒論を書かれた。
卒業後は劇団四季で活躍、やがてフリーとなって芝居やミュージカルの翻訳をしたり(小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞)自ら戯曲を書いたり。

ロシア関連で言えば、高橋さんはミュージカル『誓いのコイン―ロシア兵をもてなした松山』(2011年)の脚本・作詞を担当している。これは日露戦争のとき捕虜となって松山収容所にいたロシア軍将校とそこに勤めていた日本人看護師の恋愛物語だ。
あるとき、松山城址からロシア帝国の10ルーブル金貨が発見され、そこにふたりの名前が彫られていることが判明した。そのエピソードをもとに高橋さんがミュージカルとして書きおろしたのだという。

公演のパンフレット
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私もかつて松山のロシア人墓地を訪れたことがある。松山の捕虜収容所で命を落とした約100名のロシア人のための墓地が、松山の人たちによって日露戦争のときから今に至るまでずっと大事に守られてきたと聞いて深く感動したことを覚えている。

愛媛県東温市にある「坊っちゃん劇場」は、2012年にこのミュージカルをモスクワとオレンブルクで上演して大好評だったそうだ。

高橋さんは現在、水戸芸術館の演劇部門芸術監督。
子どもミュージカルスクールや落語家のトークショーなど水戸を拠点にさまざまな演劇イベントを仕掛けているらしい。
これからも一層のご活躍を!

2014年8月22日

ウリツカヤのエッセイ 「さようなら、ヨーロッパ!」

2014年7月31日付 『朝日新聞』 の 「論壇時評」 で作家の高橋源一郎さんが、『現代思想』 2014年7月号 「ロシア」 特集号を取りあげている。そこで真っ先に言及されているのは、リュドミラ・ウリツカヤの評論 「クリミア情勢について」だ。

高橋氏は(文脈からして)「現代ロシア文学のファンなら胸がときめく名前」のひとつとしてウリツカヤの名をあげ、政治・社会を論じるこのロシア特集になぜ多くの作家が寄稿しているのかと課題をたてる。
そして、ウリツカヤらリベラルな立場を堅持しようとしている作家たちが非難・攻撃にさらされているロシアの現状に対して「それでも、彼(女)らが発言をやめないのは、作家としての責務と考えているからだろう。作家としての責務とは何か。それは、彼(女)らを攻撃している者たちが考えているより、現実はずっと複雑で豊かであると伝えることだ。その文章の中の、ロシア・クリミア・ウクライナは、数千キロ離れた、異なった国の読者の胸にも鮮やかに浮かび上がる」と論じている。

まったくそのとおりだ。文学の「責務」が現実をそのまま伝えることだけだとはもちろん思わないが、クリミアの複雑な様相を、そこに住んだことのある人たちの喜びや哀しみや憎しみまでも、その匂いや手触りとともに瞬時に感じ取らせてくれるのが文学の「効力」である。ウリツカヤの文章にはその力強い効力があるのだ。

同じ紙面の「論壇委員が選ぶ今月の3点」で、国際政治学者の酒井啓子さんもウリツカヤのこの評論を3点のひとつに挙げていることを付け加えておく。



さて、ウリツカヤは7月末 「ヨーロッパ文学オーストリア国家賞」 を与えられ、ザルツブルグでの授賞式に出席した。この文学賞は、ボーヴォワール、カルヴィーノ、クンデラ、エーコ、レムといった錚々たる顔ぶれが受賞者として名を連ねる世界的な賞。ロシアの作家としてはウリツカヤが初めてである。
そして彼女はドイツ語週刊誌 『 Spiegel シュピーゲル』 2014年8月18日号 にエッセイ 「さようなら、ヨーロッパ!」 を寄稿した。ザルツブルグ音楽祭の開会式に出席した印象に絡めてロシアの政情を論じた非常にペシミスティックな論考である。
その一部を引用・紹介しよう。

「(開会式で)私はオーストリアの指導者たち(州知事、文化大臣、大統領)の演説を聴き、大きな驚きを覚えました。(......)その内容は、文化と政治の相互関係、起こり得る世界の終末、20世紀初頭の第一次世界大戦前と21世紀初頭の現在の比較でした。どのスピーチも、人々が熱狂し、ヨーロッパの知識人が戦争を派手に容認したこと、反対する声がほとんどあがらなかったことに大なり小なり触れていました。社会全体にナショナリズムの機運が途方もなく高まったという点も重要です。2つの時代を比べてすぐ目につくのは、両者が危険なほど似ているということです。現在もあちこちの国でナショナリズムが高揚し、「愛国主義」という概念が振りまわされ、ナショナリスティックな排他性と優越性が喧伝されています」

ウリツカヤは、オーストリアの政治家が、ロシアの政治家と違って理知的で「文化的」なのに驚いている。

「開会式の締めくくりに、オーストリア大統領ハインツ・フィッシャーが非常に重要な演説をしました。彼はこう言ったのです。『今は文化と政治のそうした対立はない。文化人はしばしば政治やネオナチを批判している。政治と文化は長年連れ添った夫婦のようなもので、喧嘩し衝突するけれど、互いがなくては存在できない。だから、芸術家が現実に対して批判的な態度を取り続けることが大事なのだ』 と。オーストリア大統領の口を借りて、私の記憶では初めて、政治が文化に対して呼びかけを行ったのです。もう遅すぎるかもしれませんが」

言うまでもなく、権力を監視し規制する役割が「文化」に与えられなければ、民主主義は成り立たない。それとは反対にジャーナリズムを含む「文化」が権力によって監視され規制されつつあるロシアの現状に、ウリツカヤは警鐘を鳴らす。

「私はユダヤ系でキリスト教の素養を持つロシアの作家です。私の国は今や文化に対して宣戦布告をしました。ヒューマニズムの価値に対して、個人の自由という理念に対して、人権という理念に対して宣戦布告したのです。長きにわたって文明が築き上げてきたこうしたものに対して。私の国は病的なほど攻撃的で無知で、あまりにナショナリスティックで帝国主義的です」
「ロシアでは文化が惨敗を喫し、私たち文化人は我が国の破滅的な政治を変えることができないでいます。ロシアの知識人社会においては分裂が起こり、ふたたび、20世紀初頭と同じく、戦争に反対するのはごく少数の人だけになっています。私の国は毎日、世界を新たな戦争に近づけようとしています。我が国の軍国主義はすでにチェチェンとグルジアでツメを研ぎ、今はクリミアやウクライナで足馴らしをしています。さようなら、ヨーロッパ。私たちがヨーロッパという諸民族の家族に入ることはもう決してないでしょう」

ウリツカヤの痛恨の思いと悲痛な叫びが文面から滲み出ている。
この後、つまり 『シュピーゲル』 誌にこのエッセイが出た直後の8月19日、モスクワのイタル・タス通信社でウリツカヤのオーストリア国家賞受賞に関連して彼女の会見が開かれる予定だったのだが、「会場の管(排水管か?)が破裂した」とかいう理由で急遽中止になった。会場を変えるのでもなく延期するのでもなく「中止」である。しかも、なんとも稚拙で「非文化的」な理由によって!
上記エッセイの内容が原因であることはほぼ間違いない。モスクワで会見が開かれていたら、彼女は歯に衣着せず同じ批判を繰り返していただろう。

私はウリツカヤの勇気を心から尊敬し、彼女の身に危険が及ばないことを切に祈り、その活動が制限されないことを強く願っている。

ひるがえって、昨今の日本はどうなのか。
はたして日本の政治家が、ロシアの政治家よりオーストリアの政治家に近いなどと言えるだろうか。
日本でナショナリズムや愛国主義を鼓舞する機運が高まっていないと言えるだろうか。
そして日本で「文化」は「政治」に対して充分に「批判的な態度を取り続けている」と言えるだろうか......。
フィッシャー大統領の言は、私たちにとっても重い意味がある。

2014年8月28日

ブックスキャン・インタビュー

本学の鶴田知佳子先生のご紹介で、電子書籍の会社 「ブックスキャン」 のインタビューを受けることになった。
インタビュアーの沖中幸太郎さんとカメラマンの北村咲子さんが研究室に来てくださる。

いつもはロシアの作家たちにインタビューする聞き手の側なので、受け手となることはあまりない。受け手として、公私とりまぜてこんなに長くおしゃべりしたのは初めてだ。
後で、起こしてくださった原稿を見たら、自分の話し方が下手くそなのでおおいに失望する。
普段の講義はプロットを考えて原稿を準備しておくことが多いが、インタビューとなると勝手が違い、話があっちに流れたり、こっちで淀んだり...。

めちゃくちゃ恥ずかしい。
やっぱり話すより、聞いたり書いたりするほうがまだしも向いているのだろう。

現代ロシア文学の翻訳に関心のある方でヒマを持てあましている方に限り、文字通りご「笑覧」くださいませ。
「ロシアを軸に人間の感動を伝えたい」
 ↓
http://www.bookscan.co.jp/interview/434/all/#body



  c 北村咲子

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