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『追憶のカンボジア』 - 「物語の島 アジア」 シリーズ 第2弾!


1940 年カンボジアに生まれた作家チュット・カイのカンボジア語による自伝的回想小説が翻訳出版された。

チュット・カイ 『追憶のカンボジア』 岡田知子訳 (東京外国語大学出版会、2014)である。

チュット・カイが生まれたのはメコン川に浮かぶコンポンチャム州ソムラオン島。
だから本学出版会のアジア文学シリーズ 「物語の島 アジア」 の名にこれ以上相応しい作家はいないだろう。

作者は1975年から約4年間続いたポル・ポト政権による残忍な殺戮地獄を生き抜き、1980年に難民としてフランスに渡った。その後20年間、パリでタクシー運転手をしながら執筆したという。
『追憶のカンボジア』 は三部構成になっている。寺に寄宿している少年の日常を描いた「寺の子ども」、フランス語教育を受けることになった主人公の成長を描いた「フランス語学校の子ども」、3人の娘の父となった主人公がポル・ポト政権末期の恐怖と貧困をどのように耐え忍んだかを描いた「かわいい水牛の子」という独立した3つの作品から成る。
とくに3作目は陰惨な社会背景であり、作者とおぼしき主人公自身も極限に近い経験をしているにもかかわらず、作品全体におおらかなユーモアが流れているのは驚異というしかない。

そのユーモアを悠揚たるメコンの流れにたとえてみたい衝動に駆られるが、それはさておき、ちょっととぼけたような柔らかいユーモラスな口調を、岡田知子さんの訳文がセンスよく伝えている。読みやすくこなれた翻訳が、故郷への愛情にあふれる叙情的で素朴で感動的なこのカンボジアの物語にじつにしっくり合っているのだ。

「カンボジアが懐かしい。熟していないタマリンドの葉を入れた小魚の酸っぱいスープ。田んぼ、さとうやし、そして川や沼」(p.66)
「(パン職人は)まるで犬が体を掻くような速さで小麦粉を練り、パン生地にぼとぼと滴る汗のことなどお構いなしだった。ときどき手鼻をちーん、とかんで、その手をズボンでごしごしっと拭いた。そのせいか彼の練ったパンはよくふくらんで、とてもおいしいと評判だった」(p.124)
「(コムさんは)しばらく漕ぐと、逆流の際に助太刀してくれる風神を思い出し、口笛で呼ぶ。コムさんが三、四回、口笛を吹くと、突然、水にはさざ波がたち、舟の縁にぶつかりだし、風がそよそよと吹いてくる。これは偶然なのか、それとも風神が無産階級の労働者を憐れんでくれたためなのか」(p.152)

カンボジアのダニロ・キシュではなかろうか!

なお、現代アジア文学の新たな息吹を伝える東京外国語大学出版会のシリーズ 「物語の島 アジア」は、第1弾がタイのポストモダン文学、プラープダー・ユン 『パンダ』 宇戸清治訳(東京外国語大学出版会、2011)だった。
そして今回の第2弾が、チュット・カイ 『追憶のカンボジア』 岡田知子訳 (東京外国語大学出版会、2014)。
第3弾は今年秋に刊行される予定のチベット文学だ。乞うご期待!


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2014年7月13日 23:08に投稿されたエントリーのページです。

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