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2014年6月 アーカイブ

2014年6月 8日

ムラートワの「奇矯」

しばらく体調を崩していたのだがすっかり元に戻ったので、6月7日(土) アテネフランセ文化センター主催の「ソヴィエト・フィルム・クラシックス」初日、渋谷で映画を3本観る。

キーラ・ムラートワ『長い見送り』
ロマン・バラヤン『猟人日記―狼』
キーラ・ムラートワ『灰色の石の中で』

『長い見送り』は2度目(3度目かも?)。目当ては『灰色の石の中で』(1983)である。当局の検閲があまりにひどく、ずたずたにカットされたので頭に来たムラートワが監督名から自分の名前をはずし「イワン・シードロフ」という架空の名前をつけたといういわくつきの作品だ。


『灰色の石の中で』の原作はウクライナ出身のロシア語作家ウラジーミル・コロレンコの短篇 『悪い仲間』(1885)。19世紀の「古典」を元にしたものであってもペレストロイカ以前は厳しい検閲を免れなかったといういい例だろう。

判事の6歳の息子ワーシャが「廃墟」(原作ではユニテリアン派の教会)の地下に暮らす貧しい兄妹ワリョークとマルーシャと仲良くなり、4歳のマルーシャが肺結核で死にそうだと知り(灰色の石に命を吸い取られているという)、自分自身の妹の人形を持っていってやる。そのことで判事の家では大騒動になる。判事は愛する妻を亡くしたばかりで生き甲斐を失い、息子のことがまるで理解できない。息子ワーシャを詰問しているところへマルーシャの父親(インテリ崩れの放浪者)が現れていきさつを語る。すると判事は自分の至らなさを悟って謝罪する。つまり原作は「人間性回復」を大きなテーマとしている。
映画もあらすじとしてはほぼ忠実に原作をなぞっているのだが、検閲で問題になったのは内容ではなくその表現方法だったにちがいない。ワーシャの声は一貫して異様なほど甲高いし、家庭教師と思しき女性はときおり奇声を発する。マルーシャは同じフレーズを詩のように何度も何度もぎこちなく繰り返し、まるで機械仕掛けの人形のようだ。人形と並んで横たわるマルーシャはスチールのとおり人形と瓜二つで、少女と人形は「生」と「死」を取り換えっこするかのようである(とはいえ、人形が歩き出したりする「怪奇もの」にはなっていない)。

たぶんムラートワが最初に作ったヴァージョンは、私が昨日観た「最終版」よりもっとずっとエキセントリックだったのではなかろうか。ムラートワ作品には「幻想」という言葉より「奇妙」「奇矯」、「神秘」より「グロテスク」が似合う。
切断され没収されたフィルム、どこかに残っていないものだろうか。


2014年6月16日

諫早勇一 『ロシア人たちのベルリン』


ロシア革命直後たくさんの人がロシアを去って亡命したことはよく知られている(「亡命の第1の波」という)。彼らが腰を落ち着けた先はフランスやドイツ、アメリカ、カナダなどだったが、ロシア亡命文化の栄えた都市と言えば、何と言ってもパリとベルリンとプラハだろう。
ベルリンにおける亡命ロシア人の生活や仕事について、書店、出版社、芸術活動から、レストラン、キャバレー、カフェ、骨董屋にいたるまで、複雑に絡み合う糸をほぐしてきちんと整理し驚くほど明確な見取り図を提示してくれているのがこの本だ。

諫早勇一 『ロシア人たちのベルリン 革命と大量亡命の時代』(東洋書店、2014)

私自身ははるか昔、夫とアムステルダムでレンタカーを借りてヨーロッパをドライブ旅行したときに一度ベルリンに立ち寄ったことがあるだけだ。
当時はまだ東西ベルリンに分かれていたので、東ドイツ領内のアウトバーンを走って西ベルリンに入るときかなり緊張したことを覚えている。
たしか小雨の降るなかベルリン動物園でトラを見たのではなかったか。

それはさておき 『ロシア人たちのベルリン』は、実際にベルリンで生活していたロシア人亡命者だったナボコフのこともふんだんに盛りこみながら(何しろ諫早さんはナボコフの専門家なのだ)、主として1920年代前半に話を絞って亡命者たちの諸相を描いている。この本で繰り返し強調されているのは、当時ベルリンのロシア人たちは「ロシアに帰れるかもしれないと」いう望みを抱いて生きていて、だれが最後まで亡命者でいるか、だれが祖国に帰るかはっきりしていなかったし、通常思われているよりずっとソヴィエトの芸術家や作家たちと交流があった、つまり「2つの文化の共生」が実現していたということである。

面白かったことをいくつか拾っておこう。
西区の目抜き通りであるクーアフュルステンダムはロシア人の店が軒を連ね活況を呈していたため、「ネップ」と「ネフスキイ大通り」をかけて「ネップスキイ大通り」と呼ばれていたという(pp.51-52)。
1920年代のベルリンは「ロシア・ブーム」となり、ロシア料理店も多かったので「ベルリンじゅうがボルシチに溢れていた」とニコライ・ナボコフは言っていたそうだ(p.67)。
伝説のカフェ「プラーガー・ディーレ」の常連客だったベールイはロシア語で「プラーゲルディーリストヴォヴァチ」という動詞を作った。それは「紫煙とコニャックの中で哲学的な話をしたり論争したりする」という意味だったという(p.75)。


日本にも1920年代にダヴィド・ブルリュークやワルワーラ・ブブノワといった優れたロシアの芸術家が来たことを付け加えておこう。


2014年6月28日

カロリーナ・パヴロワ


19世紀の詩人 カロリーナ・パヴロワ (1807-1893)の作品が翻訳された。
カロリーナ・パヴロワ 『ふたつの生』 田辺佐保子訳(群像社、2014)

モスクワの裕福な貴族の令嬢ツェツィーリヤの昼の生活と夜の幻想の世界をそれぞれ散文と詩で綴るという、いかにもロマン主義的・象徴主義的二元論が展開されている。
「二重の生」である(原作は1848年刊行)。
昼の散文の部分では、社交界の奸計によりあたかも自らの意志で選んだ恋愛のように見えてじつは貴族社会の規範にのっとって仕組まれた結婚をすることになるヒロインが、夜の詩の部分では、意識下の不安や恐れを「貴方」に代弁してもらっている。最後にはこの幻想の詩の2行が現実に口にされるという現実と幻想の混交が見られるが、物語の最後まで現実のツェツィーリヤは自らの漠然とした不安を言語化することができない。
なぜなら、18歳の彼女は「自分の頭にはめられたコルセットにすっかり慣れきってしまっている」からなのだ。
もちろん、ここで「コルセット」というのは当時の「社会規範」のことである。

パヴロワがポーランドの国民詩人アダム・ミツケーヴィチに求婚されていたとは驚いた。
彼女は、ロシア語の他、ドイツ語とフランス語が堪能でロシアの詩をそれらの言語に訳してもいる。

それにしても、現代日本の女性たちもいまだに社会規範にがんじがらめにされており、パヴロワの時代からたいして進歩しているようには見えない。
昨今の「セクハラオヤジヤジ(性差別発言)」の件などその最たるものだろうが、都議会のみならず、日本社会に広く根強くはびこっているように思う。
もういい加減、女性たちにコルセットを押しつけるのはやめるべきだし、女性たちは自分たちの主張をもっと主体的に「言語化」するべきではないだろうか。

2014年6月30日

『現代思想』 特集ロシア・ウクライナ・クリミア

月刊誌 『現代思想』 が、最新号 2014年7月号で特集 「ロシア―帝政からソ連崩壊、そしてウクライナ危機の向う側」 を組んだ。
特集の内容からすると、「ロシア」というより 「ロシア・ウクライナ・クリミア」 といったほうが相応しいと思うが、それはおき、現在のウクライナ情勢の背景を探るための時宜を得た、恰好の企画である。



ミハイル・シーシキン、リュドミラ・ウリツカヤ、ボリス・アクーニンという現代ロシアの実力作家3人の他、「クリミア地詩学(ゲオポエチカ)クラブ」を主導するクリミア出身のロシア語作家イーゴリ・シッド、モスクワ出身の才能あるロシア語詩人キリル・メドヴェージェフら「外国勢」の論考も多数掲載されている(私はウリツカヤとアクーニンの翻訳をお手伝いをした)。

ウクライナとロシアの一筋縄ではいかない複雑な関係を概観したければ、塩川伸明・沼野充義の対談 「ウクライナ危機の深層を読む」 がいいだろう。日本のメディア情報からだけではなかなか見えてこない政治的・歴史的・社会的・文化的な背景がわかりやすく整理されている。
ついでながら、塩川氏の次の言葉を(自戒の意味も込めて)引いておきたい。

「明治以来の日本国家が一貫して施してきた均質的な言語政策あるいは教育を初めとする諸制度によって、いかに流動的な多民族社会に対する想像力を育むことが困難となったか、私たちは改めて考える必要があります」(p.63)

そう、多民族・多文化・多言語地域への「想像力」をもっと働かせなければ。

私自身の関心からしてとくに面白かったのは、奈倉有里 「島になったクリミア」 と赤尾光春 「水面下の代理戦争」。
前者は、1980年に亡命したロシア語作家ワシーリイ・アクショーノフの長編 『クリミア島』について。「半島」ではなく「島」であるところが架空の設定なのだがここが大事! 1970年代に書かれたこの作品の「未来予測」が現実といかに重なっているか。作家の洞察力のすごさを今さらながら痛感することになる。
後者は、ユダヤ問題という切り口でウクライナとロシアの関係を論じたもの。ここでもやはりさまざまな思惑と駆け引きが錯綜し絡み合って、単純な図式化を許さない。ロシアの大統領がなぜ「反ユダヤ主義者」と批判されないのか前から不思議に思っていたが、丁寧に解説されていてありがたかった。

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