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「超個人的ガイド to ロシア(文責:工藤なお)」(7)

「マヤコフスキー生地巡礼(前篇)」

こんにちは、工藤です。まず、今回の「超個人的ガイド」は、文字通り「超個人的」なテーマにさせていただくことをお許しいただきたいと思います。今回はロシアを飛び出しグルジアに舞台を移します。

4月20日から1週間程度、カフカス地方に位置するグルジア・アルメニア両国を訪れました。料理は美味しく、気候も天国のようで、人となりも暖かく、非常に過ごしやすい国々でした。英語に加えロシア語がある程度通じるので、ロシア語を勉強している方にはよりハードルが低い旅行地だと思います(ただしアルメニアはグルジアよりもロシア語が通じにくい印象)。もちろん現地語(グルジア語・アルメニア語)を習得するのに越したことはありませんが、どちらもそれなりに独特な言語ですので、無理は言いません。意欲のある方はぜひチャレンジするといいと思います。

さて、今回の旅のハイライトは、ロシア詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの生地を訪問する、というところにありました。今回は写真を交えてマヤコフスキー生地巡礼の旅の様子をお伝えしようかと思います。

未来派詩人ウラジーミル・マヤコフスキーは、現在のグルジア、バグダティ村で生まれました。彼の自伝『わたし自身』には次のように記載されています。「大切なこと: 1894年7月7日に生まれた(母と父の履歴書に従えば93年であって食い違っているが、いずれにせよそれより早くはない)。故郷は、バグダディ村。クタイシ郡。グルジア。」

バグダティ村に至るために、私たちはまずグルジア第二の都市クタイシを目指しました。グルジアの首都トビリシから夜行列車で6時間ほど。お金の節約のため夜行列車を使ってクタイシ市内には宿をとりませんでした。行き帰りともに深夜に出発し深夜に着くという身体的にかなりつらい時間設定でしたが、お金のない我々に選択肢は他になかったので仕方なくこの電車で行き帰りすることにしました。トビリシ駅にて往復の切符を購入。窓口ではロシア語が通じます。往復で35ラリ(2千円程度)。安いですが、電車にシーツなどの備え付けがなかったので、本当に座席にごろ寝するという感じでした。21時にトビリシ発、翌午前3時クタイシ着。グルジア国鉄は結構正確に動いています。寝不足です。

トビリシ駅の外観
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到着後、日が昇るまでクタイシ駅構内でうたた寝をしつつ待機。7時頃まで時間を過ごしてからクタイシ市街に出かけました。クタイシは、単なる地方都市ではありません。王国時代には首都でもあった都市であり、グルジア人にとっては未だに文化的な首都という位置づけです。20世紀初頭にはここにグルジアの象徴主義グループ「青い角」が拠点を置いていたことでも知られています。個人的な意見ですが、グルジアにおけるトビリシ-クタイシの関係は、ロシアにおけるモスクワ-ペテルブルグのそれと比べることができないでしょうか。一日この街で過ごしたわけですが、トビリシよりもロシア語が通じにくい感触がしたのは、やはり人々の「文化的首都」としての誇りがそうさせるのでしょうか。市内の中心部はどこか日本の温泉街を彷彿とさせる雰囲気で、個人的にかなり気に入りました。近くの丘の上には世界遺産のバグラティ聖堂があります。

クタイシ市の広場
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バグラティ聖堂。あざといまでに完璧にフォトジェニックな聖堂でした。
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さて、クタイシ市からバグダティ村までは距離にして25kmほど離れているため、マルシュルートカ(*バスとタクシーを足して2で割ったような、旧ソ連圏で一般的な公共の交通手段です)を利用します。市内中心部から2kmほど離れたバスターミナルまで歩き、バグダティ行きのマルシュルートカを探します。行き先はすべてグルジア文字。ロシア語も通じにくかったので、拙いグルジア語を叫び立て、ようやく目指すバグダティ行きのマルシュルートカを見つけ出します。ターミナルの人たちが非常に親切に教えてくれました。バグダティ村までは40分ほどで、料金は2ラリ(120円ほど)。工事中で道を掘り返しているものすごい悪路を行きます。

バグダティ村に着いてから起きたことは、次の記事をご参照ください。


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2014年5月15日 23:15に投稿されたエントリーのページです。

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