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小笠原豊樹 『マヤコフスキー事件』

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ウラジーミル・マヤコフスキーの死(1930年)は自殺だったのか他殺だったのか。
以前から「謎」とされていたこの問題を新しく出てきた証言や資料をもとに解こうというのが、小笠原豊樹 『マヤコフスキー事件』(河出書房新社、2013年)だ。マヤコフスキーの最期はもちろん痛ましいのだが、この本の謎解きの過程はミステリー仕立てでじつに面白かった。

証人の中でも中心となっているのは、マヤコフスキーの最後の恋人ヴェロニカ・ポロンスカヤ。マヤコフスキーの死について彼女が証言したり書いたりした文章が3つ紹介され、中味が劇的に変化していることが明かされる。

1930年の供述調書。
1938年の回想記。
1964年の原稿。

最初の調書では「マヤコフスキーの自殺の理由は私にはよくわかりませんが」としつつ自分(ポロンスカヤ)に振られたことや戯曲『風呂』の失敗をあげていた。ところが最後の証言では、秘密警察の関係者と思われる人物によってマヤコフスキーは謀殺されたのではないかと仄めかしている。つまり、雪解けの時代になってからようやく本当のことを書いて発表しようと決心したらしい(しかしこの原稿は行方不明になってしまった)。
今となっては真相を最終的に確認することは難しそうだが、彼の人生の最後の1年を共有したポロンスカヤの回想記は詳細でたいへん興味深い。

「きらきらと光り輝き、陽気で、驚くほど魅惑的で、絶えず自作の詩句を呟き、自分で作ったメロディにのせて、それらの詩句を歌ったりするかと思えば、一転して陰気になると、何時間も押し黙り、ちょっとしたことで苛々したり、気難しく辛辣になったりする」(p.45)―こんな人がいたら愛さずにはいられないだろう。
あのユーリイ・オレーシャが「私はマヤコフスキーに恋をしていた」(p.244)というのも頷ける。

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2014年2月21日 13:21に投稿されたエントリーのページです。

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