「チューリヒで最も名高い革命的な場所といえば、たぶんシュピーゲルガッセ1番地だろう。レーニンとクルプスカヤがスイス滞在の最後の数か月をここのツム・ヤコブスブルンネンというアパートで過ごしたからだ」
と、ミハイル・シーシキン は著書 『ロシアのスイス 歴史的文化的ガイドブック』(モスクワ:ワグリウス社、2006)の中で述べている。分厚くて非常に読み応えのある本だ。
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この中でシーシキンは、ジュネーヴ、チューリヒ、ベルン、バーゼル、ルツェルン、ローザンヌなどスイス各地にロシア文学やロシア史の痕跡を見出し紹介している。だから「ガイドブック」とは銘打っているものの、もちろんただの案内書ではない。ロシア文化史に名を残す人でスイスに何らかの関わりを持ったロシア人たちのスイスでの足跡を追っているのだから興味深い。
先日、日本学術振興会の「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」による本学の研究事業の一環として、チューリヒで研究集会をおこなった。会場はチューリヒ大学。
上記ロシア出身でチューリヒ郊外在住のロシア語・ドイツ語作家シーシキンさん、日本出身でベルリン在住の日本語・ドイツ語作家多和田葉子さん、日本出身でミュンヘン在住の日本語詩人四元康祐さんをお呼びするという豪華で「越境的」な顔ぶれのシンポジウム・対談・朗読会も同時に開催。極めて刺激的な数日間を過ごしてきた。
9月にモスクワで開催した研究集会の第2弾ということになるが、今回は「文化的横断行為としての翻訳」がテーマだったので、私もロシア文学の新しい日本語翻訳について、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、トゥルゲーネフ『初恋』、ゴーゴリ『外套』の3作品の新訳を取り上げてトランスレーション・スタディーズの「はしくれ」のような報告を英語でしてきた。
街を歩くともうすっかりクリスマスの装い。チューリヒ中央駅の構内には、見上げるほど大きなクリスマスツリーがスワロフスキーのクリスタルできらびやかに飾りつけられていた。
ツリーのまわりには、キャンドル、装飾品、人形、小物、チーズ、パンなど目移りするような可愛らしいグッズがたくさん売られていて楽しい。
ちなみに、レーニン夫妻の住んでいたすぐ近くシュピーゲルガッセ1番地には、チューリヒ・ダダの拠点となったキャバレー・ヴォルテールがあった。「ダダ」の名付け親トリスタン・ツァラ、ジョイス、ヘッセ、プッチーニ、アインシュタインら世界中の作家や芸術家、文化人らがたむろしていたのは、1911年創業のカフェ・オデオン。ここにはレーニンも足繁く通っていたという。
1917年革命の勃発を知ったレーニンはまさにここチューリヒからドイツ経由でペテルブルグへと馳せ参じた。
革命とダダイズムが共存した街!
1910年代のチューリヒはそういう街だったのである。
カフェ・オデオンは今も健在だ。
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