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剽窃と世界文学

ふだんは教室で、人の文章をコピペするなどしてレポートを書いてはいけない、それは剽窃だ、としつこいほど言っている。もちろんレポートや論文で他人の文を引用したり他人の考えを援用したりするときはそれとわかるよう工夫したうえで注をつけなければいけない。
しかし、文学作品における「剽窃」問題を考えると事態はかなり複雑だ。先行する作品を作家や詩人がいろいろな方法で自作に取り入れるのはむしろ当たり前だからである。

フランスの現役作家マリー・ダリュセック 『警察調書 剽窃と世界文学』 高頭麻子訳(藤原書店、2013)は、文学における剽窃とは何なのかを徹底的に考えた著作である

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『めす豚ものがたり』で若くして一躍有名になったダリュセックは、2度にわたり、謂われなく剽窃者呼ばわりされたという。そこで過去の「剽窃問題」を詳細に調べあげ、その典型的なパターンをあげ、剽窃の疑いをかけられた作家がいかに苛まれたかということを1冊の本にしたのである。驚いたことに、古今東西、剽窃の罪を着せられた作家や詩人は無数にいることがわかった。

ソ連時代には、ある作家を陥れようとしたらその人が剽窃をしたという密告をすればよかった。マヤコフスキー、マンデリシュターム、ブルガーコフがこうした密告の餌食となった。
ダリュセックは、現代フランスにいる自分は剽窃の疑いをかけられたからといっても生活が変わるわけではないが、ソ連の全体主義時代に粛清の標的とされ剽窃者と呼ばれた人たちは(その家族も含め)文字どおり生命の危険にさらされることになったと報告している。

しかし作家や詩人が、先行するテクストから無意識のうちに影響を受けたり、意識的にそれを仄めかしたり目配せしたりするのはもちろん、同じような状況において同じような出来事や反応が起きること(つまり影響関係のないテクスト同士が似るということ)もまた大いにあり得る。世界文学におけるさまざまなテクストが意識的・無意識的あるいは関係・無関係のうちに、互いにつながりあっていること(間テクスト性)を無視して、何らかの考えやプロットや状況がだれかの完全なオリジナルであると主張することなどできるだろうか?

ダリュセックの言葉を引用しておこう。
「本と本の間の根茎(リゾーム)は、ジャンルや時代の別を越えて生育し再交差し合う」

オリジナリティと間テクスト性、剽窃の(自称)被害者と嫉妬、政治的手段としての剽窃...等いろいろなことを考えさせられる本だった。

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2013年11月19日 11:10に投稿されたエントリーのページです。

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