1日、シンポジウム「すべての言葉は翻訳である」をおこなった。
8人のパネリストがそれぞれ自分の訳した(つまり自分が入れ込んでいる)作品の内容や文体について、原作者について、翻訳について、手際よくしかも情熱的に語ってくれた。
盛りだくさんだったので、パネリストの方々には「話し足りない」感が残ったことと思うが、文学として質の高いロシア語作品がこんなに紹介されているという実態の多彩さこそ今回提示したかったことなのだ。
会場には思ったよりたくさんの方が来てくださった。
ありがとうございました!
現在ブレイク中のウラジーミル・ソローキンについて。
↓
時空間を超えた出会いを描いたミハイル・シーシキン『手紙』のある表現に込められた意味について。
↓
アルセーニー・タルコフスキーの詩について。
ナターリヤ・イワノワさんのロシア語による朗読が素晴らしかった。
↓
リュドミラ・ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン』の主人公がたどった奇跡のような生涯と、翻訳者の「創造的」役割について。
↓
ドイツ文学者、松永美穂さんからは、ドイツ文学とロシア文学を比較したうえでの鋭いコメントをいただいた。戦後ドイツにおける「加害者としての気づき」、それに匹敵するようなテーマがロシア文学にはあるのか、と。
あるとしたらそれは、自分や親たちの生きた時代とは何だったのか、「ソ連」とはいったい何だったのかという問いではないだろうか。その問いに真正面から挑んでいるリュドミラ・ウリツカヤ、パロディ的手法で乗り越えようとしているように見えるヴィクトル・ペレーヴィン。
ロシア語作家が自分たちの過去にどう向き合いどう言語化していくのか、その時どのような方法を用いるのか、未来をどう想像するのか、これからもずっと見守っていきたい。