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2013年10月 アーカイブ

2013年10月 5日

『夢のなかの夢』

チェーホフに「Тоска (憂鬱、憂愁)」という短編がある。かつて「ふさぎの虫」と訳されていた作品だ。
息子を亡くしたばかりの御者イオーナ。彼はだれかに息子の話を聞いてもらいたくてたまらないのに、だれも耳を貸してくれない。それで彼は愛馬に、きらきら光る目をした愛馬に、息子のことを話して聞かせる。そういう物語である。
読むたびに、だれかイオーナの話を聞いてあげればいいのに、と思ったものだ。

アントニオ・タブッキの 『夢のなかの夢』 和田忠彦訳(岩波文庫、2013)を読んでいたら、「アントン・チェーホフの夢」という短編にイオーナのような御者が出てきた。チェーホフは夢を見るのだが、そのなかで精神病院に入れられているらしく(『六号室』!)、そこへ翼の生えた馬が曳く幌付き馬車が迎えに来る。その御者が「聞いていただきたい話がある」とチェーホフに言うと、彼は「時間ならいくらでもあるからね」「なによりも人間の物語が好きだから」と答えるのだ。
なんて素敵な物語なのだろう! もちろん馬車は空へ舞いあがっていく。


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『夢のなかの夢』はタブッキが愛する芸術家20人の夢を描いた短編集である(ひとりだけ架空の人物が入っているということろにも洒落心を感じる)。
しかも、「何年(何月何日)」と夢を見た日が特定されていて、それがそれぞれの芸術家にとって意味のある「時」になっている。チェーホフの場合はサハリンに出かけた1890年。
もうひとりロシアの芸術家ではマヤコフスキーの夢が収められているが、それは彼が自殺した1930年に見た夢ということになっている。

いちばん素敵なのは「フェルナンド・ペソアの夢」。
ペソアが師とも仰ぐアルベルト・カエイロに会いにいく夢だが、帰りに馬車に乗り、御者に「どこまでお連れしますか?」と聞かれたペソアはこう答えるのだ。「夢の終点まで」と。
奇しくも、チェーホフの夢とペソアの夢は御者で締めくくられている。

2013年10月 7日

若手研究者を称える

先日、モスクワで「文化の変容、パースペクティヴの変容」と題する国際会議を開いた。
ロシア、イタリア、ドイツ、日本を結び「文化変容」について考えようという、本学の共同研究グループが主催したもの。実際のオーガナイザーとなったのは、モスクワの国立芸術学研究所に留学している鈴木裕也くんとロシア国立人文大学に留学している佐藤貴之くん(私はふたりに声援を送っていただけ)。

モスクワのイタリア文化会館のご厚意により会場を提供していただく。イタリア・セクションはイタリア語による研究報告、文学セクション、20-30年代セクションおよび日露比較文化セクションはロシア語による研究報告で、合計30本以上の報告があった。

鈴木くんと佐藤くんは、参加者との各種連絡からプログラムの作成・会場や機材の準備・コーヒーブレイクの手配・懇話会と打ち上げの予約まで、ありとあらゆる準備を、痒いところに手が届くように抜かりなくやり遂げてくれた。あらためてここにふたりの労を労い、その手腕を称えたい。
ふたりとも、もちろん研究発表もおこなっている。

佐藤貴之 「ピリニャークの敗北、あるいは革命の終焉:『マホガニー』の改作をめぐる問題」
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鈴木裕也「全体体制下におけるCIAMとソヴィエト建築界の相関性およびモスクワでの国際会議開催(1932-33年)に向けた両者の話し合いが第一回全ソヴィエト建築家同盟大会(1937年)に与えた影響について」
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質疑応答も活発に行われ、思いがけない発見や出会いに満ちた充実した2日間となった。
何よりも大きな成果は、ロシアのさまざまな研究者と交流し「知的ネットワーク」を広げられたことだろう。未来に向けた大きな財産になるに違いない。

2013年10月12日

『ユートピアの声』

2013年のノーベル文学賞はカナダの作家アリス・マンローに決まったが、受賞の発表があった10月10日の数日前からベラルーシ出身のロシア語作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが有力候補として急浮上し、それにともない、彼女についての電話取材や記事の依頼がいくつかあった。


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おそらくノーベル文学賞発表間際にアレクシエーヴィチが有力視されたのは、この本『セカンドハンドの時代』(モスクワ: ヴレーミャ社、2013)のスウェーデン語訳がタイミングよく出版され高い評価を受けたからだろう。
これは、『赤い人間: ユートピアの声』 というタイトルでくくられる5部作の最後を飾る本。
残りの4冊は以下のように邦訳がある。

① 『戦争は女の顔をしていない』三浦みどり訳(群像社、2008)
② 『ボタン穴から見た戦争: 白ロシアの子供たちの証言』三浦みどり訳(群像社、2000)
③ 『アフガン帰還兵の証言: 封印された真実』三浦みどり訳(日本経済新聞社、1995)
④ 『チェルノブイリの祈り: 未来の物語』松本妙子訳(岩波文庫、2011)

アレクシエーヴィチによれば、「セカンドハンド」というのは、新しい環境に適応できずいまだにソヴィエト的メンタリティを引きずっている自分たち「ホモ・ソヴィエティクス」のメタファーだという。
彼女の手法は、インタビューで生々しい証言をとりなるべく手を加えずに読者に提示して、問題のありかを浮き彫りにするというもの。だからドキュメンタリー作家であると言える。
これまで第二次世界大戦、アフガン戦争、チェルノブイリ原発事故といった危機的な社会問題に鋭く切り込んできたアレクシエーヴィチだが、締めくくりの1冊である『セカンドハンドの時代』は、70年以上続いたソヴィエト体制下で生きざるを得なかった「小さき人々」に広く取材し、ソヴィエト共産主義体制とはいったい何だったのか、理想の未来が到来するという「ユートピアの声」のスローガンに慣らされたあげく人々のメンタリティはどうなったのかという大問題に真正面から向き合っている。

2013年10月15日

魂の交感 アレクセイ・アイギと太田惠資

10月14日(月)下北沢へ、アレクセイ・アイギと太田惠資(おおた・けいすけ)のヴァイオリン・デュオによる「おろしあ国酔夢譚」と題するライブに行く。

アレクセイ・アイギは、現代ロシア音楽界を代表する作曲家・パフォーマー。
チュヴァシ語・ロシア語で執筆した素晴らしい詩人ゲンナジイ・アイギはアレクセイの父にあたる。

アレクセイが昨年(2012年)3月に来日したとき、この下北沢で、ひょんないきさつから太田と急遽、共演することになり、ふたりはすっかり意気投合したという。モスクワでも共演し、CD "Caprice Portamento Island" を作成している。

ライブはふたりのヴァイオリンだけで構成され、最初から最後までまったくの即興。
ひとりがリズムをとるともうひとりがメロディを奏で、あるいはふたりして競い合うかのように超絶技巧を披露し、あるいはささやき合っていたかと思うと少し離れ、あるいは同じ旋律を様々なヴァリエーションで響きかわす。
その「あうんの呼吸」というかコミュニケーションがあまりに面白くて息もつけないほど聴き入る。まるで「魂の交感」に立ち会っているかのようだった。


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2013年10月17日

ソローキン 12年ぶりの来日

12年ぶりに来日したウラジーミル・ソローキンが、先日、早稲田大学で藤野可織さんと公開対談をおこなった。
かなり広い教室だったが超満員! 『青い脂』に続き、つい最近 『親衛隊士の日』(いずれも河出書房新社)が刊行されたばかりのソローキン、たいへんな人気である。

市川真人氏が司会、訳者の松下隆志氏と早稲田大学の貝澤哉氏も登壇して質問を投げかけた。
充実した2時間だった。

いちばん印象に残ったのは、ソローキンが藤野氏に「詩人は駿馬のようなもので小説家は重い荷物を曳く駄馬のようなもの。脅かすつもりはないけれど、(小説家としてこれからやっていく)あなたは大丈夫?」と尋ねたこと。ソローキンは、詩人が芸術家の中でも最高の「駿馬」であることに何ら疑いを持たないロシア的土壌で育ち、深くロシア文化に根ざしているのだ、ということをあらためて痛感した。何しろ「青い脂」はロシアの作家や詩人たちが創作をするときに得られる物体だし、ソローキンは彼らの文体模写が素晴らしく上手い。ブルガーコフやナボコフについて話すソローキンの口ぶりには敬愛の念さえ感じられる。

会が終わってから、ピンク色の便器に本を入れて藤野氏とツーショット。元モスクワ・コンセプチュアリストにぴったりのパフォーマンスだった。
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2013年10月18日

外大生協のブックフェア

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いま東京外国語大学の生協では「新潮クレスト・ブックス創刊15周年」フェア開催中。

クレスト・ブックスに収められたロシア語文学―ウリツカヤ『通訳タニエル・シュタイン』(前田和泉訳)、ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』、ウリツカヤ『ソーネチカ』、クルコフ『ペンギンの憂鬱』、ツィプキン『バーデン・バーデンの夏』が、他の話題作、ディアス『こうしてお前は彼女にフラれる』(都甲幸治・久保尚美訳)、ジュライ『いちばんここに似合う人』(岸本佐知子訳)、バーンズ『終わりの感覚』(土屋政雄訳)、オブレヒト『タイガーズ・ワイフ』(藤井光訳)などと一緒に展示されている。
素敵なポップもありがとうございます!

2013年10月26日

「すべての言葉は翻訳である」 シンポのプログラム完成!

いよいよ11月1日(金)のシンポジウム 「すべての言葉は翻訳である」 が1週間後に迫ってきた。
東京大学本郷キャンパス 法文2号館 1番大教室 18:45-20:45 の予定。
詳細はこちら。
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http://www.l.u-tokyo.ac.jp/genbun/131101R-pre-sympo.html


フルカラー印刷、22ページに及ぶ渾身の(!)プログラムも出来上がった。
作者と訳者の情報満載、最後に「現代ロシア文学翻訳リスト」も添えた。

表紙はこのチラシとお揃いだ。
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【コーディネーターからのご挨拶】

このところ現代ロシア文学を代表する作家たちの作品が続々と日本語に訳されています。
舌鼓を打ちたくなるもの、かくし味のきいているもの、珍味、甘味、超激辛......と勢ぞろい! 
11月1日の夕べでは、訳者が一堂に会し 「ロシア文学のソムリエ」 としてグルメの皆さまに北国の味覚をお届けいたします。
どうかお口に合う作品が見つかりますように!

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