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2013年9月 アーカイブ

2013年9月 4日

要塞

ニキータ・ミハルコフ監督の 『遥かなる勝利へ』 (2011年)の試写会に行った。
『太陽に灼枯れて』 『戦火のナージャ』 に続く戦争三部作の3作目つまり完結編だという。


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ロシアきっての人気俳優 オレーグ・メンシコフがKGBの大佐を演じているが、主役はあくまでもミハルコフ演じる「革命の英雄コトフ」。数奇な運命に弄ばれ何度も死にそうになりながらもしぶとく生き残り、家族を愛し女性にもてるマッチョな英雄の役どころである。
ミハルコフの人生観そのものなのだろう。実の娘がふたりも出演している。

それにしても、お伽噺のような戦争観だとしか言いようがない。
娘ふたりが同時に出ている場面や、とくに最後の場面。

原題の цитадель とは「城塞・要塞」のこと。コトフは、ドイツ軍が籠っているこの要塞に、スターリンの命令で、無謀を通り越して無茶苦茶な突撃をしかけなければならなくなる。猛烈な集中砲火を浴びるかと思いきや、なんと...(続きは書くまい)。

一種のロシア版ハリウッド作品だと思えばいいのかもしれない。

2013年9月 5日

『恋しくて』 にペトルシェフスカヤ作品収録!

村上春樹 編訳 『恋しくて TEN SELECTED LOVE STORIES 』(中央公論新社)がもうまもなく発売される。

      
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村上春樹さんが選んで翻訳した9編のラブ・ストーリーと彼自身による書き下ろし1編。合わせて10編の短編アンソロジーだが、その中に、 アリス・マンローやジム・シェパードらとともに、リュドミラ・ぺトルシェフスカヤの作品が収録されるらしい。
楽しみ!

ちなみに、ペトルシェフスカヤ 『私のいた場所』 沼野恭子編訳(河出書房新社)はすでに発売になっています。合わせてお読みいただけると幸いです。

2013年9月 7日

「すべての言葉は翻訳である」

いま、日本ロシア文学会のイベントとして楽しいお祭りを企画している。

現代ロシア文学翻訳フェス 「すべての言葉は翻訳である」
11月に開かれる日本ロシア文学会研究発表会のプレシンポジウムだ。


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最近、現代ロシア文学の翻訳が盛んになり、その多彩な様相が少しずつ日本の読者に示されるようになってきた。ペレーヴィン、ソローキン、シーシキン、トルスタヤ、オステル、タルコフスキー、ウリツカヤ、ペトルシェフスカヤ、ソコロフ、グロスマン...。
この機を捉え、現代ロシア文学の翻訳者たちが大集合! 
自分の訳した作品や作者について、作品の一部朗読を交えながらその魅力を熱く語る。

日時: 2013年11月1日(金) 18時45分~20時45分
場所: 東京大学(本郷キャンパス)法文2号館2階 1番大教室
(一般公開、入場無料、予約不要)

パネリスト:
 中村唯史(山形大学) ペレーヴィン『恐怖の兜』『寝台特急黄色い矢』の訳者
 松下隆志(北海道大学大学院) ソローキン『青い脂』『親衛隊士の日』の訳者
 奈倉有里(東京大学大学院) シーシキン『手紙』の訳者
 高柳聡子(早稲田大学) トルスタヤ『クィシ』の訳者
 上田洋子(早稲田大学他) クルジジャノフスキイ『瞳孔の中』の訳者
 毛利公美(一橋大学他) オステル『細菌ペーチカ』『いろいろのはなし』の訳者
 坂庭淳史(早稲田大学) タルコフスキー『雪が降るまえに』の訳者
 前田和泉(東京外国語大学) ウリツカヤ『通訳ダニエル・シュタイン』の訳者

コメンテーター: 乗松亨平(東京大学)
ゲストコメンテーター: 松永美穂(早稲田大学)
司会・コーディネーター: 沼野恭子(東京外国語大学)

2013年9月17日

グリシコヴェツの新プロジェクト

先日モスクワの "Б2" というクラブへ、エヴゲーニイ・グリシコヴェツとグルジアのバンド「ムグザヴレビ」のコンサートを聞きに行った。

グリシコヴェツは、一人芝居で人気を博している作家。ムグザヴレビ(グルジア語で「旅人」を意味する)は、2006年にギギ・デダラマジシヴィリという俳優によってトビリシで結成された有名なバンド。
この両者が昨年秋から「共演」している―グリシコヴェツの新しいプロジェクトである。
会場は文字どおり立錐の余地もないほど超満員だった(つまりほとんどが立ち見のフロアなのだが、こんなにたくさんのお客さんを入れたら危ないではないかと思うほどだった)。


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正式には、Mgzavrebi&Grishkovets / ≪Гришковец и ?????????≫ と書く。
スラッシュの後は、ロシア語とグルジア語だ。

面白かったのは、コンサートも2言語併用だったこと。
原則としてムグザヴレビの音楽の合間にグリシコヴェツの「語り」が入るのだが、ギギはボーカルでもあり、曲の合間のナレーションはロシア語、歌はグルジア語と使い分けていた。グリシコヴェツの語りはもちろんロシア語だ。
そういえば楽器も、ギターやパーカッションなどポップなものと、グルジアの民族楽器パンドゥーラなどが違和感なく併用されていた。

ギギの歌うグルジア語の歌詞とグリシコヴェツのロシア語の語りがどの程度呼応しあっているのかはわからないが(聴衆の大部分もわからないだろう)、ムグザヴレビの気持ちのいいリズミカルな曲とグリシコヴェツのちょっと切ないリフレインが不思議な一体感を醸し出していた。


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  グリシコヴェツ

 「友への伝言(留守電に残された)」
友よ、話がしたいんだ。話さなくちゃ、とても話さなくちゃいけない。
心配しなくていい。何も聞きやしないから。
借り貸しはいやだし、何のアドバイスも要らない。
ただ話がしたいだけ。話すだけでいいんだ。わかるだろ?
友よ、わかるだろ、ただ話すだけでいいんだ。
あのときどっちが正しくてどっちがいけなかったかをはっきりさせようってわけじゃない。
ただ話したいだけなんだ。君と。

2013年9月22日

フジタとスーチン

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渋谷Bunkamura の 「レオナール・フジタ」展に行く。藤田嗣治(1886-1968)である。
彼は1913年パリに渡り、モディリアーニやスーチンらと親しくしていた。
ちなみに、Хаим Сутин (ハイム・スーチン 1893-1943)は現在のべラルーシ(当時ロシア帝国領)に生まれ、リトアニアのヴィリニュスを経て同じく1913年にパリに行っている。

日本に戻って戦争協力に加担してしまったフジタは、1949年ふたたびパリに行き、もう日本へは戻ってこなかった。そして1950年代末に「小さな職人たち」というタイル画シリーズを制作した。今回のフジタの展覧会でとりわけ気に入ったのがこの連作だ。子供たちがさまざまな職人に扮している。

例えば「椅子職人」
      ↓
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「ポスター貼り」
   ↓
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どれも現実の子供ではない。表情はなく、いたって真面目で(それゆえ?)どことなく愉快である。人間というよりは、フジタが愛したネコみたいだ。そういえば、チラシの表紙になっているいちばん上の絵「誕生日」(1958年)の子供たちも、まるでネコのような顔をしている。

それに比べると、スーチンの「職人」は荒々しい。同じパリの空気を吸い、同じ街の職人を描いていながら、ふたりはデフォルメの方法もタッチもまったく異なる。たぶんふたりの世界観そのものが異なっていたのだろう。


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   ↑
スーチン「小さなパン職人」1919年

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