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2013年3月 アーカイブ

2013年3月 6日

子守唄

明日発売の 『新潮』2013年4月号に、タチヤーナ・トルスタヤの短編「霧の中から月が出た」の拙訳が掲載される。


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短い「解説」でほんのわずか触れただけだが、トルスタヤのこの作品には、ユーリイ・ノルシュテインの代表的アニメ 『話の話』に通底するものがある。
そのひとつが子守唄。「霧の中から月が出た」の最初のほうに、子供時代の連想として「灰色オオカミたちがお行儀よく並んで、自分たちのまがまがしい出番を今か今かと待ちかまえている」というくだりがある。これは主人公が子供の頃に歌ってもらった子守唄の記憶を踏まえている。

ロシアのよく知られた子守唄にこういうのがある。

Баю-баюшки-баю,
Не ложися на краю:
Придет серенький волчок,
Тебя схватит за бочок

И тащит во лесок,
Под ракитовый кусок;
Там птички поют,
Тебе спать не дадут.

ねんねんころりよ、おころりよ。
ちゃんと寝ないと
灰色オオカミの子がやって来て
脇腹つかんで

森にさらって
ヤナギの草むらまで連れてっちゃうよ。
そこは鳥たちが囀り
眠たくたって寝られない。

ノルシュテインの 『話の話』でもこの子守唄が用いられているのだ。
どちらも、子守唄の歌詞が実体化し肉体を持ち、オオカミの子が現れる(比喩の実現!)。トルスタヤの短編ではあくまでも主人公の空想の中で思い描かれるだけだが、ノルシュテインのアニメでは大きな丸い目をした可愛いオオカミの子が赤ちゃんをさらって森に連れていってしまう。

2013年3月12日

チーホンの 「聖者伝」

2011年にロシアで刊行され、1年の間に110万部も売れた本がある。

Архимандрит Тихон ≪Несвятые святые≫ и другие рассказы. Олма Медиа Групп, Сретенский монастырь, 2012.
チーホン掌院 『「聖ならぬ聖者たち」とその他の物語』

「掌院」とは高位にある修道司祭のことをいい、チーホンは、モスクワのスレチェンスキー修道院の副院長である。タイトルが святые と не-святые の言葉遊びになっている。


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ここに収められているのは、チーホン自身の経験したことや、修道士・信者・その関係者らから聞いた逸話の数々である。要するに「聖者伝」あるいは「宗教説話」集といったところだ。

例えば、吟遊詩人であり国民的な作家だったブラート・オクジャワの話。
オクジャワの奥さんオリガがイオアン神父のところに来て「ブラートが洗礼を受けようとしないんです」と訴えた。神父が「あなたが洗礼してしまえばいい」と答えるので、オリガが「ブラートという名前では正教徒らしくない」と言うと「イワンと名づけなさい」と神父は言って立ち去った。
それから15年ほどしてオクジャワがパリで亡くなる直前、急に「洗礼を受けたい」と言い出した。オリガが「なんていう名前にする?」と聞くとブラートは「イワン」と答えたので、オリガが洗礼を与えた。
オリガは後になって、イオアン神父の言ったことを思い出したという。

ごく短いエピソードだ。
世俗に生きる私などは「偶然の一致」と考えるが、きっと「神様の示された奇跡」だと捉える人もいるだろう。

2013年3月18日

インターネット・ロマン

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「ロシア文学史上初めてのインターネット・ロマン」と銘打たれた小説がこちら。
 
Евгений Попов. Арбайт. Широкое полотно. М.:Астрель, 2012.
エヴゲーニイ・ポポフ 『アルバイト、大きなカンバス』

ユーリイ・グドフという架空の作家が「権力と民衆」「ロシア知識人の運命」「汚職と民主主義」「ソ連およびポストソ連時代の作家の役割」「愛と友情」などといった44項目のテーマでブログの記事を書き、ソ連崩壊後の社会について考察しようとする。それに対してさまざまなコメントが寄せられる。

ほとんどの項目が「作家グドフが机に向かって仕事をしようとする」というフレーズで始まり、「この日はもうこれ以上仕事ができなかった」というフレーズで終わっている。

内容はこのようにブログとそれに対するコメントだから、私たちが日常的によく目にするものだ。
しかし、これを「小説」という枠組みに取りこんだがために、いったい作者はだれなのかという問題が生じてしまった。グドフだけでなく多くの人がコメントを寄せているのだから、「集団的な作者」ということになるのか? グドフが発作を起こして入院してしまってからもブログは続けられる。ポポフは「作者の不在」「作者の死」を示したかったのか?

簡単な仕掛けのように見えて、実は、「作者」と「読者」と「テクスト」の関係性を問う深い問題が秘められている。

2013年3月22日

ボローニャの本屋さんで

イタリアのボローニャに滞在中。
街なかの本屋さんで、現代ロシア文学のイタリア語訳を「調査」していて、こんな本を見つける。


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ヴィクトル・エロフェーエフ、エドゥアルド・リモーノフ、ウラジーミル・ソローキンの3人の作品を集めたアンソロジーで、2010年にSalaniという出版社から刊行されたもの(「ロシア基金」の資金援助を受けている)。

他に、リュドミラ・ウリツカヤの『通訳ダニエル・シュタイン』、ザハール・プリレーピンの短編集、マリヤム・ペトロシャンの長編のイタリア語訳も棚に並んでいた。

2013年3月26日

ミラノのサンタンブロージョ聖堂

ボローニャから列車に1時間5分乗るとミラノ中央駅に着く(2つの町がこんなに近いとは、こちらに来て初めて知った)。駅で待っていてくれたのは、リュドミラ・ウリツカヤとエレーナ・コスチューコヴィチ。
ミラノ在住のコスチューコヴィチはウンベルト・エーコをロシア語に翻訳して賞を取っているイタリア文学者で、自分でも小説を書いている人。ウリツカヤは彼女と親しく、何度かミラノに遊びに来ていて、今回も彼女の家に滞在しているという。それで偶然3人で会えることになった。
コスチューコヴィチが、ミラノで最も古いというサンタンブロージョ聖堂に連れていってくれる。


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これが聖堂の正面。中庭を挟んで両側に回廊が連なっている。
柱や壁に様々な動物、珍獣、怪物たちのレリーフがあって面白い。
アンブロージョ(アンブロジウス)はミラノの守護聖人。驚いたことに、祭壇の裏にアンブロージョ本人のミイラがガラスケースの中に横たわっていた!


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その中央祭壇では、第二次世界大戦時にソ連で命を落とした人々のためのミサが執り行われていた。ウリツカヤはそのことにいたく心を打たれたようで、ときどき立ち止まってはじっと耳をすましている。
私は売店でアンブロージョ司祭を描いた小さな置物を買った(聖堂の壁画に描かれているのと同じ絵である)。奇跡を起こして人を救ったというこの聖者にあやかり、心に傷を負ったある人を回復に導けないものかと願って。

中央祭壇に向かって左側には小さな祭壇がいくつか並んでいる。それぞれに様式が異なり、その多様なところが興味深く感じられた。

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聖堂を出ると突然、鐘の音が響きわたった。それは意外にも、美しく荘厳な響きではなく、むしろ不運とうら哀しさを連想させるぎこちない音色だった。
私たち3人はそれぞれの想いに沈んだ。どうやらそれぞれが別々にそれぞれの不幸な身内を想っているようであった。


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イタリアの復活祭のケーキ「コロンバ」とアンブロージョ司祭。
ちなみにコロンバは鳩が羽ばたくところをあらわし十字架の形をしている。
イタリアの復活祭はもうまもなく(3月31日)。

2013年3月29日

『大学のロシア語』 完成!

昨年「パイロット版」を作成し、1年間実際の授業で使いながら修正を重ねたロシア語教科書がとうとう完成し、市販版として売り出されることになった。

沼野恭子、匹田剛、前田和泉、イリーナ・ダフコワ著
『大学のロシア語Ⅰ 基礎力養成テキスト』 
東京外国語大学出版会、2013年3月29日発行。


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このようにCDが2枚ついていて、練習問題の解答は別冊になっている。
中を見ると2色刷り。
2色といってもグラデーションが施されているので、5色使われているようなもの。
とても見やすい。
 

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ところどころに、イラスタレーターたむらいずみさんの可愛いイラストが。
 ↓
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 ↑
巻末の文法表も充実している。

中味は、全28課で初級文法を丁寧に詳しく解説した文法書だ。
表紙に書いてある言葉は、この教科書で勉強すれば(辞書を引きながら)意味がとれるようになるはず。

Русский язык, как и русский лес, величественный.
Гуляя, насладимся его красотой!

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自画自賛してしまいましたが、お使いいただいた皆様には、誤字脱字その他お気づきのこと、忌憚のないご意見をいただければ幸いです。

東京外国語大学出版会の竹中龍太さん、編集の小林丈洋さん、お世話になりました!


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