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2012年11月 アーカイブ

2012年11月 3日

時空を超える

11月2日(金)東京大学(本郷キャンパス)へ3年ゼミ生たちと一緒に、ミハイル・シーシキンの講演を聴きに行った。


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講演で印象に残ったのはこういうエピソードだ。
牢獄につながれていたある人が毎日スプーンの柄で壁に舟の絵を描いていた。毎日毎日描いていて、あるとき監視が食事を持っていくと、囚人は姿を消し、舟の絵もなくなっていたという。囚人はその舟に乗って旅立ったのだろう。
シーシキンは、小説というのはこの舟のようなものだという。芸術とは理不尽で息苦しい日常から逃れる術だと。 


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シンポジウムでは、作家の島田雅彦さん(写真右端)、ドイツ文学者の松永美穂さん(右から5人目)とシーシキンのやりとりが興味深かった。ちなみに、島田さんは東京外国語大学ロシア語学科出身で、シーシキンと親しい。

シンポジウムでは、日本語に訳された書簡体小説 『 Письмовник (邦題は「手紙」)』 の鍵となるコンセプトが語られた。シーシキンによると、人が「正しくない時」に生きているとそこには死があるだけだが、「正しい時」に生きているとそこではすべてのことが同時に起きるというのだ。

そういえば、短編「バックベルトの付いたコート」の中に次のような1節があった。
「だれの身にもそんなふうに何かがざっくり割れるようなときがあるものだ。生地にあいた穴。何かを伝える地点。そういうとき作曲家はメロディを、詩人は詩行を、愛する者は愛を、預言者は神を得るのである。その瞬間、ありふれたものの中では交わるはずもなく別々に存在しているもの同士が出会う。見えるものと見えないもの、くだらないものと秘めたるものが。過ぎ去ったことも、まだやってきていないことも、すべてが同時に起こる空間」

2012年11月11日

バスク語作家キルメン・ウリベ

11月6日(火)東京外国語大学にバスク語作家キルメン・ウリベを迎えて講演会がおこなわれた。彼の小説が最近日本語に翻訳されたばかりだ。
キルメン・ウリベ 『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』 金子奈美訳(白水社、2012)


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訳者の金子さんは、外大博士後期課程に在籍しバスク文学を研究している院生。
スペインとフランスにまたがる地方で話されているバスク語による作品を、しなやかで艶のある日本語に移し、チャーミングな作家を日本に紹介してくれた。

まずはウリベによるバスク語をめぐる講演。
シマガツオが美しい聖母マリアに出会いスペイン語で話しかけたら、マリアは「どうしてバスク語で話さないの?」と怒って呪いをかけ、世界でいちばん醜い魚にしてしまったという。バスクの人々が自らの言葉にどれほど誇りを持っているかを示すユニークな伝説だ。

それからバスク語による詩の朗読、今福龍太さんの加わった座談会と続いた。
今福さんは、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』では「偶然」が物語の原動力になっている、これは「見えない小説」についての小説、つまりこれから書こうとしている作品のプロセスだけが書かれている小説だと指摘。
ウリベは、近年ブログやフェイスブックなど1人称で素早く書くようになったが自分はそうした新しい言語のあり方を模索している、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』を1人称で書いたのはフィクションに対する批判があったなどと語った。

小説の中で、語り手が15世紀の画家ジョヴァンニ・ベリーチの絵に言及しているところがある。語り手はその作品の片隅に描かれた紙片に注目している。その紙片にベリーチと書かれ、つまり作者自身の名前が絵の中に登場しているからだ。
それで私は、『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』の中にも作者自身の名前が登場しているところがあるにちがいないと思い、もう一度最初から本のページを繰ってみたら、語り手に宛てて送られたメールが引用されている場面で宛名が「キルメン・ウリベ」となっていた。ウリベはベリーチに倣い、中世の紙片を現代のメールに変えて自らの名を作中に滑り込ませていた!

じつに楽しい充実した講演会だった。


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左から今福龍太、キルメン・ウリベ、金子奈美の各氏。

2012年11月21日

祝・メシチェリャコフ先生「啓蒙家賞」受賞!

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11月20日 モスクワで「平明な学術書」に送られる Премия "Просветитель"(啓蒙家」文学賞)を友人の日本史学者でロシア国立人文大学教授 Александр Мещеряков アレクサンドル・メシチェリャコフ先生が著書 『Император Мейдзи и его Япония (明治天皇と当時の日本)』で受賞した!

上の写真はその授賞式。左が「啓蒙家賞・人文部門」受賞者のメシチェリャコフ氏、右は「啓蒙家賞・自然科学部門」受賞者の天文学者ウラジーミル・スルジン氏。

この賞は、ロシア語による啓蒙書を普及させるという目的で「Династия(王朝)」基金により2008年に創設された。

メシチェリャコフは1951年生れ。モスクワ大学卒業。1979年よりソ連科学アカデミー東洋学研究所研究員、1991年博士論文「古代日本―文化とテクスト」により博士号を取得。2002年よりロシア国立人文大学で教鞭を執っている。
関心領域は、日本古代史、神道・仏教、明治天皇、ロシアのツァーリと日本の天皇の比較など。数えきれないほどの著作があり、小説も書く文人。日本書紀や日本霊異記から保坂和志、多和田葉子と翻訳も数多い。
最新の著書は『日本人になる』(エクスモ社、2012)という日本人の身体論だ。
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じつは、彼は10月から日本に滞在していて、数日前に、奥様と我が家に食事に来ていただいたばかり。「啓蒙家賞」の授賞式に出席するため予定を切り上げて19日にモスクワに戻った。
奥様のマリヤ・トロプィギイナさんもジャパノロジストで、日本の中世文学研究者。現在、鴨長明をロシア語に翻訳している。

サーシャ、マーシャ、本当におめでとうございます!

2012年11月22日

外語祭 始まる

本日11月21日 いよいよ外語祭が始まった。
ロシア語+中央アジアの1年生が料理店を開いている。
店の名前はたしか Огонёк(ともしび)と聞いていたような気がするのだけれど、なぜか「ロシアと中央アジア」になっていた...
 
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メニューを手に呼び込みに余念がない二宮くん。
お勧めは、ボルシチやプロフ、ブリヌィとのこと。
でもあまりに繁盛していて、私が行ったときボルシチは品切れだった...


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なんだか楽しそう。

菊池さんのかぶっている帽子は、中央アジアの友達がプレゼントしてくれたものだそうだ。
須田さんの持っているチーズ入りブリヌィは、本場ロシアのブリヌィよりオシャレで可愛かった。
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奥でひたすらピロシキを揚げていた3人娘。肉入りピロシキが絶品!
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外語祭の最大の魅力は、世界各地の料理が食べられること。
でも、どうか外語祭においでの際は思いきりおなかをすかせて来てください。

しばらく歩いていると、今度はルムーク(ロシア民謡サークル)の模擬店を発見。
さすが3年生、ロシアの民族衣装がよく似合っている。
ここのホットチョコレートも甘味がほどよく、美味しかった!
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さらに進むと、ロシア語3年の「仲良しグループ」による模擬店がある。
カルトーシカ(ジャガイモ)に3種類のトッピングが嬉しい。
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さて、11月25日(日)16:50?17:50 プロメテウスホールで、2年生によるロシア語劇の上演が予定されている。チェーホフの『桜の園』だ。
乞うご期待!

2012年11月27日

外国語能力の高い人材を求めるなら ~ ビジネス界への提言

日本企業の多くが海外への展開を模索するなか(それを「グローバリゼーション」と呼ぶ気にはならないが)、外国語能力の高い人材が求められている。

当然のことながら「留学したらだれでも英語ができるようになる」などといった短絡的な思考はもはや通用しない。日本企業が将来を見すえ真の国際競争力を養いたいのなら、「対象地域の言語」とともに広い意味での「対象地域の文化」を理解し熟知した人材を求めるべきである(本学ではこうした人材を「国際人」と称している)。
ここでいう「文化」とは、文学・芸術といったいわゆるハイカルチャーだけでなく、対象地域の人々の世界観や風習、伝統、信仰などを広く含む「知の総体」である。対象地域の言語を学ぶということは言語を通してそうした異文化を身につけるということに他ならない。

しかし、長い歴史のうちに蓄積された異文化が一朝一夕で身につくはずがないことも火を見るより明らかだ。大学に入学してから英語以外の外国語を一から学び始める場合、就職活動のおこなわれる3年次にその言語と文化に通暁していることなどまず望めない。

そこで、世界のさまざまな地域への進出を考えている日本のビジネス界に提言したい。
異文化習得(外国語の習得を含む)の教育には時間がかかることを考慮し、人文系大学院生の採用をもっと積極的にしてはどうか

ふだん身近に院生たちと接していると、学部生より言語能力が高く、主体性と責任感にもすぐれ、誠実で礼儀正しい人が多い。一言で言うなら、院生は学部生よりずっと「大人」である。これは持論だが、昔と比べて日本人の寿命が伸びた分(ゴムを伸ばしたところを思い浮かべればいい)「成長」が遅くなり、大人になる年齢も後ろにずれてきているのだ。
学部4年の後、大学院博士前期課程(いわゆる修士課程)2年を修了した24-25歳くらいで就職するのが、人格的成熟という観点からしても望ましいのではなかろうか。

日本の社会全体がもっと人文系院生の雇用に積極的になれば、教育現場である大学・大学院にも良い影響が現れるはずだ。知的レベルが高く充分に適応能力のある院生が、厳しい雇用状況を嘆いているのが現状だが、研究者になる道以外に実社会でばりばり働ける希望を持ちつつ専門的な勉強を続けられるのであれば、院生のモチベーションも上がるに違いない。
とりわけ語学教育と地域文化教育を丁寧に施している本学大学院は、さらに多くの優秀な人材を育てていけるだろう。

日本社会は人文系大学院生をもっと活用すべきである。

なお、12月4日(火)11:45-12:15 115教室において本学学生のための大学院進学説明会をおこなう。
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