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「チェーホフの学校」

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黒川創さんの『いつか、この世界で起こっていたこと』(新潮社)は、震災や原発事故に関連した短編を収めた作品集。

「波」という短編のリアリティに衝撃を受けた。津波のため幼い娘と車に閉じ込められたまま流される母、その夫タケシは姪・久美と津波の押し寄せた家の2階で寒さに震え、タケシの母(祖母)は孫である久美の兄・一郎と海の上を漂う屋根に乗って「方舟」のように流される。津波が家族をばらばらにしたのだ。気丈な祖母が孫の将来について発破をかける。久美が、そのうち水族館にアザラシを見に行こうと叔父に言う。しかし大波は非情にも、そうした未来と将来の夢を命とともに呑み込もうとする。まるでヨナを呑み込んだ魚のように。

「チェーホフの学校」は、キノコ好きだったチェーホフが生きた100年前のロシアと、もはや子供たちにキノコを食べさせられなくなったチェルノブイリ後のベラルーシと、原発事故で放射能汚染に悩まされている現代の日本を重ね合わせた作品。放射能の被害で別居することになった一家の苦しみや不倫や疲弊がある。

「もしもチェーホフがここにいたら、これからの悲惨な話も、なお『犬を連れた奥さん』のような筆致で、書くだろうか?」

作者の最大の関心がこの一文に現れているように思う。この巨大な不幸を前にして言葉は役に立つのか。物語は力を持つのか。意味を持つとしたらどのような方法で書くべきなのか。そしてそれに対するひとつの答えが『いつか、この世界に起こっていたこと』という作品集そのものなのだろう。
そう、私たちの現状はかつて世界のどこかで経験したこと。だから「橋」という短編では、関東大震災が取り上げられているのだ。この震災のとき鎌倉で津波の被害に遭い命を落とした文芸評論家・厨川白村(くりやがわはくそん)のことが語られている。
左脚を切断する手術を受けた白村が不自由な身で妻と必死で逃げ、海岸橋の上まできて津波に襲われる。そのことに関心を持つ鎌倉在住の作家が事実を調べ言葉にして残そうとする。それを作者は物語にするという入れ子状態のような構えをしている。白村自身も物書きで、家に残してきた原稿のことを気にしており、それが「人間賛美」というタイトルだったというのも何か象徴的だ。

もしもチェーホフがここにいたら? 「むろん、彼は、そのようにするだろう」
「そのように」とは、チェーホフならではの哀しみとユーモアのこもった冷静な筆致で書くということ。『いつか、この世界に起こっていたこと』は、作者もまたチェーホフのように書いていくという決意を静かに宣言したものではないかと感じた。

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2012年8月 4日 18:55に投稿されたエントリーのページです。

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