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サクリファイス

夏休みになったら3年ゼミ生たちと東北に合宿に行く。
宮城県立美術館でワシーリイ・カンディンスキーの絵画を見て、仙台ハリストス正教会を訪れるほか、被災地にも足を運び現状を確認してきたい。

宿では読書会と映画上映会を予定している。Андрей Тарковский アンドレイ・タルコフスキー の作品をみなで見たいと思うのだが、『 Сталкер ストーカー 』 にしようか 『 Жертвоприношение サクリファイス 』 にしようか迷っている。


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『サクリファイス』はタルコフスキーが1985年にスウェーデンで撮影を開始し翌年完成させ遺作となった作品だが、東日本大震災が起こったとき岩手県の陸前高田に「奇跡の一本松」がぽつんと生き残りかろうじて未来への希望を繋ぎ止めてくれたことを知って、この映画を、タルコフスキーが日本のために残した「遺書」だったのではないかと驚愕しながら思い出したのはおそらく私ひとりではなかっただろう。
『サクリファイス』は、「生命の木」を植えたその日、世界が黙示録的な大破壊を蒙ったというテレビニュースを見て、自己犠牲により何とか世界を救いたいと考え、無謀と見える方法でそれを実行する男アレクサンデルの物語である。その「生命の木」が「一本松」にあまりにも酷似しているのだ。
しかも映画の最後のほうでアレクサンデルの木は「日本の木」と呼ばれている!

   
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   陸前高田の一本松


映画の冒頭、アレクサンデルは枯れた松の木を植えながら、「枯れ木に毎日欠かさず3年間水をやり続けてついに木が蘇った」という伝説を幼い息子に話して聞かせる。これこそ荒廃と瓦礫と失意に苛まれる人々へのメッセージではなかったか。偶然にしても、かぎりなく奇跡に近い偶然。

息子は喉の手術をしたばかりで言葉を発することができなかった。しかし、父アレクサンデルが自己犠牲として「言葉を発しない」という沈黙の誓いをたて自分の家を自ら焼き払って精神病院に連れて行かれるちょうどそのとき、息子が言葉を取り戻す。それも「はじめに言葉ありき」という言葉を。
つまり父から息子へ言葉が受け継がれたのだ。
「言葉」を「生命」と置き換えてもいいかもしれない。
父から子へ生命の火が譲り渡されたのである。

こうしてみると、『サクリファイス』の完成した年にチェルノブイリ原発事故が起こったのももはや偶然とは思えない。
天才にしか許されない叡智と動物的な勘によってタルコフスキーは黙示録的な破壊の光景をはっきり予知していたのである。


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2012年7月18日 22:04に投稿されたエントリーのページです。

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