« ロシアのセレブ小説 | メイン | 数え歌 「霧の中から月が出た」 »

コーカサス表象

kazak.jpg


カスピ海と黒海に挟まれた地域 コーカサスはプーシキン、レールモントフ以来ロシアの詩人・作家たちの憧れの地。プーシキンの物語詩 『コーカサスの虜』 はタイトルそのものからして、コーカサスの魅力に溺れるロシア人を象徴的に表している。コーカサスは、高く聳える山、美しい女性、自由な大地というイメージでロシア文学に刻み込まれてきた。

でも、それだけにコーカサスに対してロシア人が感じるエキゾティシズムと憧れは一種のステレオタイプと化し、現実とは異なる「コーカサス幻想」を生んでしまった。
トルストイはそのコーカサスで従軍し(現代まで尾を引くチェチェン問題はこの頃のコーカサス征服戦争に端を発している)、やはり「コーカサスもの」を世に問うた。『コサック』はそのひとつである。
トルストイがロシアの作家たちの共有するコーカサス幻想にどう向き合ったかというのはとても興味深い課題だ。

主人公のロシア人貴族オレーニンも、「底なしの美しさ」を見せつける巨大な雪山に魅せられ、コサックの美しい娘マリヤーナに恋する。シナリオどおりだ。しかし...。
「ぼくの状況でなによりも恐ろしくかつ甘美なのは、ぼくは彼女を理解しているが、彼女のほうはぼくを決して理解しないだろうという思いだ。彼女がぼくより劣るから理解できないのではなく、逆に、彼女はぼくなんか理解すべきでないのである。彼女は幸せだ。自然と同様に、淡々として落ち着き、自足している」
トルストイ『コサック―1852年のコーカサス物語』乗松亨平訳(光文社古典新訳文庫、2012年)271ページ。

オレーニンがマリヤーナを「理解している」と考えるのは一種の傲慢だと思うが、いずれにしろマリヤーナに拒絶され恋は成就しない。
トルストイは、オレーニンがコーカサス幻想に囚われていることを重々知りつつそれを批判せず、自らオレーニンとともに「夢のコーカサス」に魅せられている。このあたりをわかりやすく解きほぐしてくれる訳者=ロシア文学におけるコーカサス表象を研究テーマにしている乗松亨平さんの「解説」が秀逸である。

About

2012年6月26日 01:43に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ロシアのセレブ小説」です。

次の投稿は「数え歌 「霧の中から月が出た」」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。