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2012年5月 アーカイブ

2012年5月 1日

トルスタヤの未来小説

本日5月1日(火)付 『東京新聞』 夕刊の「世界の文学」欄で、Татьяна Толстая タチヤーナ・トルスタヤの長編 『 Кысь (クィシ)』 を紹介させていただいた。


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2000年に発表された長編なので、すでに別の媒体で紹介したことがあるが、フクシマの原発事故を体験した今読み直してみると、この作品に描かれているグロテスクな未来社会が不思議なリアリティをもって迫ってくる。

「大爆発」が起こってから200年経った未来が舞台だ。かつてモスクワのあった地には独裁国家ができている。と聞けば、否応なく1920年代に書かれたエヴゲーニイ・ザミャーチンのアンチユートピア小説 『われら』 が思い浮かぶだろう。
トルスタヤの創りあげた独裁都市国家フョードル・クジミチスクでは、電気もなく(!)ガスもなく、ネズミを主食にする原始的な生活が営まれている。爆発の後に生まれた人間は、トサカやエラやシッポの生えた突然変異体(ミュータント)。野蛮で粗暴だ。
しかし、これだけならSFではさして珍しいことではないだろうが、トルスタヤのすごいところは、この突然変異が言葉そのものにまで及んでいることである。

例えば、次の大文字の語に注目していただきたい。

Бенедикт иной раз допытывался у матушки: отчего да отчего был Взрыв? Да она толком не знала. Будто люди играли и доигрались с АРУЖЫЕМ.
(ベネジクトは時おり母さんに、いったい爆発はなぜ何が原因で起こったの、と訊ねたものだが、母さんもはっきりは知らなかった。人間が「ヘーキ」と戯れているうちに、戯れが高じて大変なことになったということらしい)

АРУЖЫЕ という語は現代ロシア語にはない。これは「兵器、武器」を意味する語 оружие の綴りをわざと崩した突然変異体なのである。ロシア語の正書法では本来 ж の後に ы を綴ることはできないので、それだけでもかなり違和感がある。
また、タイトルの Кысь という語もロシア語にはない(トルスタヤはあるインタビューでコミ語だと言っていたが本当だろうか?)。小説の中で Кысь は「得たいの知れない怖ろしい生き物」とされているが、やはり正書法ではふつう к の後に ы を綴ることはできないため、タイトルからして異常さが目立つわけである。

じつは、先日の日本ペンクラブ女性委員会主催のシンポジウム「女性と原発」でこの話をして上と同じ個所を引用した。ロシア語の АРУЖЫЕ の奇異さを日本語でも出すために「兵器」ではなく「ヘーキ」と表記した。
そうしたら、一緒にパネリストとして参加していた作家の中島京子さんが、これを見て「『ヘーキ』というのは『兵器』のほうではなく『平気』という意味だと思った。原発事故の後『安全』という言葉の意味がすっかり変わってしまったことと関係があると思った」とコメントしてくださった。

たしかに私たちは、兵器に転用できるモノと平気、平気、安全、安全と戯れているうちにとんでもない状況に陥ってしまったのだから、これはじつに含蓄のある読みである。徹底的に言葉にこだわるトルスタヤの翻訳テクストに中島さんが見事に応じてくださり、ロシア語と日本語の間で思わぬ言葉遊びができていたというのが、私にはことのほか興味深かった。


2012年5月 6日

ビバ! ラ・フォル・ジュルネ!

5月2日(水)ラ・フォル・ジュルネの前夜祭に、3年ゼミ生ともども招待していただいた。
雨の中たくさんの人が来ている。屋外ステージでは、ジャズ風にアレンジした『展覧会の絵』がこんな楽しい出し物になっていた。


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前夜祭コンサートはチャイコフスキー、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチという練られた構成で、とくにセルビアのピアニスト姉妹、リディア&サンヤ・ビジャークによるストラヴィンスキー『春の祭典』第2部「生贄の儀式」(4手ピアノ) 要するに連弾だが、これがもう華麗で絶妙!

5月4日(金)私たちのキッズ・プログラムも無事終了した。
前の日に、リャードフ「魔法にかけられた湖」の7分半の演奏に民話「うるわしのワシリーサ」の朗読をかぶせるリハーサルをしておいたので、本番はエンディングがぴったりうまくいった。
芸大の皆様、素敵な演奏ありがとうございました!
ソプラノの坂井田麻実子さん(左から4人目)、テノールの小林大作さん(いちばん右)による白鳥の王女とグヴィドン王子のデュエットも素晴らしかった。今も耳に残っている。


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2012年5月12日

『悪口学校の料理』

2002年よりロシアで放送されているテレビ番組に 『Школа злословия(悪口学校)』というトークショーがある。毒舌家として有名な作家タチヤーナ・トルスタヤとシナリオライターで映画監督のアヴドチヤ・スミルノワが聞き手となり、ゲストをスタジオに呼んで話を聞き、歯に衣着せぬ物言いで鋭く切り込むという趣旨の番組だ。タイトルは、アイルランドの劇作家リチャード・シェリダン(1751-1816)の代表作『悪口学校」にちなんでいる。

開始から2年経ったとき、トークの一部とそれぞれのゲストが好きな料理のレシピを組み合せた『悪口学校の料理』という本が出た。Авдотья Смирнова, Татьяна Толстая. Кухня "Школы злословия". М.: Издательство Кухня, 2004.
それがこちら。
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ここには、作家、詩人、政治家、映画監督、心理学者、弁護士、画家、評論家、ジャーナリストなど合計67名のロシアの文化人が文字どおり「俎板に載せられている」。つまり、実際にレシピが食欲をそそる写真と一緒に掲載されているだけでなく、ゲスト自身も料理されているのである。
ゲストとして呼ばれたのにふたりの「減らず口」(?)に怒ってスタジオから出て行ってしまった人もいるという。

私が読んで面白かったのはやはり詩人や作家の話だ。彼らがどんな料理を好んでよく口にするかというのも興味深い。
アレクサンドル・クシネル(詩人)の好きな料理は、肉とタマネギとゆで卵入りのピロシキ。彼の詩に「私には生が悪夢よりも恐ろしい夢に感じられた」という一節があり、スミルノワがそれを引いて「監獄にいたことも流刑されたこともなく、詩集がたくさん出ていてブロツキーに激賞されている人がどうしてこういう詩を書くのか?」と質問したのに対して、「裏切り、許すことのできない自分自身の落ち度、人々の苦しみ、愛の苦しみ、父の死。人には絶えず試練が待ち受けている」と答えている。

この後スタジオに残ったトルスタヤとスミルノワの掛け合いが可笑しい。
スミルノワ 「クシネルさんは年とってプーシキンに似てきたわね」
トルスタヤ 「ほんとにそうね」
スミルノワ 「頬髭をつければ」
トルスタヤ 「もう他に何もいらない」
スミルノワ 「メガネをはずせば」
トルスタヤ 「そう、メガネ。でも、プーシキンがメガネをかけたところを想像するのは簡単。何でもいいのよ、プーシキンは。ともかくプーシキンは私たちのすべてだもの」

ああ、相変わらず、いつまでも、永遠にスターであり続けるプーシキン!

エヴゲーニイ・グリシコヴェツ(俳優、演出家、作家)の好きな料理は、ゴルゴンゾーラのスパゲティ。ひとり芝居でカルト的な人気を博したグリシコヴェツは、「舞台で演じるというのはほぼ2時間の生を生きるということに等しい。もちろん見に来た人が僕を愛してくれ、笑ってくれることを望んでいる。やっかまれるのはすごく嫌だ」と語っている。

ヴィクトリヤ・トーカレワ(作家)の好きな料理はオーブンで焼いたジャガイモ入りポルチーニ茸。人気ユーモア作家は、ロシア文学における自分の位置を「ドヴラートフ、チェーホフ、イスカンデル、トリーフォノフと同じ系列」と自覚している。
チュクチ人のユーリイ・ルイトヘウが作家になったきっかけについてトーカレワが、「授業中に悪戯をして教室から追い出されたルイトヘウが別の教室のゴーゴリの授業をドア越しに聞いて打ちのめされたのがきっかけなんですって」と話すと、トルスタヤがすかさず「神様だか摂理だか運命だか知らないけれど、それに導かれたのね」と応じている。


2012年5月18日

『21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集』

高野史緒さんの小説が第58回江戸川乱歩賞(日本推理作家協会主催)に選ばれた。その名も『カラマーゾフの兄妹』! 「兄弟」ではなく「兄妹」である。8月刊行予定と聞く。
 
おめでとうございます!

その高野さんが編者となっているのが『21世紀東欧SF・ファンタスチカ傑作集 時間はだれも待ってくれない』(東京創元社、2011年)だが、これが面白い。


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ルーマニア、チェコ、スロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、セルビアといった「東欧」の作家によるSF・幻想小説を1編ずつ集めた画期的なアンソロジーである。

ベラルーシの作家アンドレイ・フェダレンカの「ブリャハ」(越野剛訳)では、チェルノブイリ原発事故後の汚染地域での「まるでこの世の終わりのよう」な殺伐とした場面が描かれている。フクシマ原発事故を生々しい現実として体験した身には、SFではなく、まったくリアルな小説に感じられる。

チェコのミハル・アイヴァスの「もうひとつの街」(阿部賢一訳)は、日常の思いがけないところに潜む「異界」に惹きつけられる「私」の物語。ここに訳されているのは全体の一部(2章分)だというが、これはぜひ全部読んでみたい。

2012年5月19日

新歓オリエンテーション

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5月18日(金) 東京外国語大学ロシア語専攻の新歓オリエンテーションをおこなった。大気が不安定だというので心配したが、午後は雨もやみ、新1年生約60名とともに御茶ノ水の東京復活大聖堂(通称ニコライ堂)を見学。聖堂の中で、ニコライ神父のこと、イコンのことなどいろいろお話を伺う。
その後、近くに予約してあった懇親会場までぞろぞろ「遠足」のように歩く。


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会場では、歌を歌い、クイズやゲームをして楽しんだほか、イリーナ・ダフコワ先生より全員にロシアの名前を授ける「命名式」がおこなわれ、1年生によるロシア語劇「 Репка(大きなカブ)」が上演された。短期間で猛練習に取り組んだ俳優のみんな、舞台装置や音楽を工夫したスタッフのみんな、よく頑張りました!


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2012年5月21日

『女が嘘をつくとき』

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前宣伝になってしまうが、素敵な表紙が決まったので紹介させていただく。
5月31日刊行予定 リュドミラ・ウリツカヤ 『女が嘘をつくとき』 沼野恭子訳(新潮クレストブックス、2012年)。
6つの短編による連作集なので一見まとまりのない印象を受けるかもしれないが、気鋭の評論家レフ・ダニルキンに言わせると、「すべてが自然に流れている。まるでどこか離れたオーケストラ・ボックスに調和のとれた音楽ユニットが配されていて、伴奏しながら同時にリズムと気分と音響効果を醸しだしているかのよう」だという。まさにそのとおり! 
6編はほぼ時系列に沿って語られ、ジェーニャという知的で律義でちょっとシニカルなところのある魅力的な女性の人生をたどる形になっている。

単行本の翻訳を出すのは久しぶりで、レオニード・ツィプキン 『バーデン・バーデンの夏』(新潮クレストブックス、2008年)以来である。
ツィプキン以後は、ときどき雑誌『新潮』に短編を掲載してきた。一覧にしておこう。

マリーナ・ヴィシネヴェツカヤ「庭の経験」 (『新潮』 2008年12月号)
ニーナ・サドゥール「空のかなたの坊や」 (『新潮』 2009年6月号)
オリガ・スラヴニコワ「超特急『ロシアの弾丸』」 (『新潮』 2009年12月号)
エヴゲーニイ・グリシコヴェツ「刺青」 (『新潮』 2010年4月号)
ミハイル・シーシキン「バックベルトの付いたコート」 (『新潮』 2011年5月号)

それにしても、なんてのんびりしたペース......。

2012年5月29日

犬の心臓、人間の脳

Михаил Булгаков ミハイル・ブルガーコフ (1891-1940)と言えば、ロシアで最も愛されている古典のひとつ 『巨匠とマルガリータ』 の作者だが、この奇想天外な物語にひけをとらない傑作だと思うのが 『 Собачье сердце 犬の心臓』 である。
1925年に書かれたこの作品の面白さは尋常でない。

舞台は1920年代のモスクワ。若返りの方法を模索している外科医のプレオブラジェンスキー教授が、助手のボルメンターリとともに、野良犬のシャリクに、飲んだくれて死んだ男の脳下垂体と精嚢を移植する。するとシャリクは次第に人間のような姿になって言葉を話しだし、自らシャリコフと名のっていろいろ不愉快な振舞いをするようになる。やがてプレオブラジェンスキーは、シャリコフのあまりに野卑な言動や、教条的な革命陣営への露骨な接近に耐えられなくなる......。
新旧の階層の対立という構図、物語展開の心地よいテンポ、語りと視点のユニークさ、人間になった犬という変身譚の抜群のアイディア。何度読んでも面白い。

いつもダニエル・キイスの『アルジャノンに花束を』(1966)を思い出すのは、主人公が脳外科の手術を受けて知能が上がり、話し方が変化するが、やがてもとに戻ってしまう(戻される)というSFとしての物語の進展が似ているからだろう。


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ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓』水野忠夫訳(河出書房新社、2012)の表紙。1971年に刊行されたものの復刻版である。

原作はブルガーコフの生前には活字にされず、ソ連時代はサミズダート(地下出版)で出まわっていた。ようやく日の目を見たのはペレストロイカの進められた1987年だが、翌年にはウラジーミル・ボルトコ監督によりテレビ映画化されている。
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2012年5月31日

【お知らせ】 ロシア文学会関東支部研究発表会

もう明後日に迫っているが、2012年度の日本ロシア文学会関東支部研究発表会が慶應大学でおこなわれる。

日時:2012年6月2日(土)10:30-17:45
場所:慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎1階 シンポジウムスペース

【修士論文の発表】
(1) 重松尚[東大院]「戦間期リトアニアにおける商工業界と少数民族――リトアニア人実業家連合が描いたユダヤ人像」 司会:櫻井映子[東京外大・非]

(2) 金沢友緒[東大院]「トゥルゲーネフ『ファウスト』にみる物語の方法」 司会:澤田和彦[埼玉大]

(3) 中村秀隣[東大院]「ドストエフスキーの創作におけるтипとпрототипの諸問題」 司会:桜井厚二[早大・非]

(4) 東和穂[東大院]「『変容する幼子』――アンドレイ・ベールィ『コーチク・レターエフ』試論」 司会:佐藤千登勢[法政大]

(5) 澤直哉[早大院]「虚構の境界測定――ウラジーミル・ナボコフ『マーシェンカ』読解」 司会:沼野充義 [東大]

(6) 松下聖[筑波大院]「クルグズにおけるロシア語作家の系譜――チンギス・アイトマートフを中心に」 司会:沼野充義[東大]

(7) 松枝佳奈[東大院]「ロシア観察者・研究者大庭柯公――日露文化交流史の観点から」 司会:沼野恭子[東京外大]

【博士論文の発表】
(8) 山田徹也[早大・非]「ロシアの民間信仰における妖怪の機能と物質文化――蒸風呂小屋の妖怪バンニク信仰を中心に」 司会:熊野谷葉子[慶應大]

(9) 粕谷典子[早大・非]「イヴァン・トゥルゲーネフの詩学――ジャンルと心理の相関関係において」 司会:斎藤陽一[新潟大]

(10) 宮川絹代[東大・非]「ブーニンの『眼』」 司会:沼野恭子[東京外大]

(11) 神岡理恵子[早大・非]「ヴェネディクト・エロフェーエフ研究――引用の詩学と戦略」 司会:前田和泉[東京外大]

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