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2012年4月 アーカイブ

2012年4月12日

ナボコフ 『カメラ・オブスクーラ』 

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昨年、光文社古典新訳文庫より貝澤哉さんの訳による Владимир Набоков ウラジーミル・ナボコフの『Камера обскура カメラ・オブスクーラ』が刊行された。
これは3つの点で快挙だったと言える。
第1に、『カメラ・オブスクーラ』は元々がロシア語で書かれたものでロシア語から翻訳されるべき作品だという点。第2に「読みやすさ」をモットーとする古典新訳文庫シリーズに「難解」で知られるナボコフのテクストが加わった点(もちろんナボコフの作品群の中では平易なほうだが)。第3に、その相矛盾するような課題を貝澤さんがアクロバティックなまでに見事にこなしたという点である。
Ура!(バンザーイ!)

この作品には、たしかにかの『ロリータ』と共通するモチーフがいくつもあるが、単に『ロリータ』の「原型」と言ってしまうのはもったいない気がする。小悪魔のような16歳のマグダに魅惑され、マグダとその愛人に欺かれ、とことんまで愚弄されたあげく彼女を銃で射殺しようとする男の物語は、絶妙のスピード感と緊張感をもって展開していき、読者を飽きさせることがない。

『カメラ・オブスクーラ』は1932年に書かれたが、1916年に書かれた Иван Бунин イワン・ブーニンの「Легкое дыхание 軽やかな息」という短編ともいろいろ共通点があって面白い。こちらは、16歳の「跳ねっかえり」のオーリャが、56歳の男と肉体関係を持つが、彼への嫌悪感を日記に書き記していたため当の男に射殺されるという物語だ。

ちなみに、現代ロシアの作家 Виктор Пелевин ヴィクトル・ペレーヴィンの「Ника ニカ」という短編は、ブーニンの「軽やかな息」を文字どおり引き継いでいる。ブーニンの作品の最後の1行が、ペレーヴィンの作品の最初の1行に、まるでしりとりのようにそのまま用いられているのだ。
だから「ニカ」の読者は、読み始めたとたんにブーニンの物語を、年の離れた男女の悲劇を思い出し、ペレーヴィンの仕掛けた文学的「罠」にはまってしまうのである。

どんな「罠」なのかは「ニカ」を最後まで読めばわかる。
ヴィクトル・ペレーヴィン『寝台特急 黄色い矢』中村唯史/岩本和久訳(群像社、2010)に収められている。

2012年4月15日

子どものためのロシア音楽

ゴールデン・ウィークに開催される「ラ・フォル・ジュネ・オ・ジャポン(熱狂の日)音楽祭2012」では、ロシア音楽ばかり優に100を超えるコンサートが予定されているが、そのうちのひとつ「キッズ・プログラム②」でロシアの「お話」を紹介する。なんと、ついでにプーシキンの詩の一部をロシア語で朗読することになってしまった。

2012年5月4日(金)16:00-17:00 東京国際フォーラム ホールD1(マトリョーシカ)
「ロシアのお話と音楽」小学3年生~6年生向け

プログラムは2部構成。
まずは、Александр Пушкин アレクサンドル・プーシキンの物語詩 『Сказка о царе Салтане サルタン王の物語』 をもとにした Николай Римский-Корсаков ニコライ・リムスキー=コルサコフの同名のオペラを演奏とアリアで紹介する。歌ってくださるのは、坂井田真実子さん(ソプラノ)と小林大作さん(テノール)。原作は、ロシアの子供ならたいてい知っている有名なお話だ。
とりわけ、サルタン王の妃と幼い王子が樽に入れられて海に流される場面は、イワン・ビリービンの下の挿絵でよく知られている。


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後半は、Анатолий Лядов アナトーリイ・リャードフの標題音楽「バーバ・ヤガー」を紹介する。これは民話 「Василиса прекрасная うるわしのワシリーサ」 に登場するバーバ・ヤガーという魔法使いのお婆さんの姿を描いた曲。
民話は、美しく賢いワシリーサがバーバ・ヤガーに火をもらいに行かされるお話である。上と同じくビリービンがこの民話に挿絵をつけている。ロシアの魔女は、臼に乗り、杵で漕いで、箒であとを消しながら空を飛ぶ、怖いけれどちょっとユーモラスな形象だ。


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2012年4月18日

『スラヴ文化研究』 第10号 刊行

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東京外国語大学ロシア語研究室の紀要 『スラヴ文化研究』 第10号が刊行された。
スラヴの言語、文学、芸術、歴史など広い意味での「スラヴ文化」に関する論文を掲載する査読付き研究誌である。

今号の表紙を飾っているのは、ロシア・アヴャンギャルドのひとり Ольга Розанова オリガ・ローザノワ の『スペードの女王』と『クラブの王』。

2011年1月22日におこなわれた国際シンポジウム『自由への試練――ポスト・スターリン時代の《抵抗》と《想像力》』での以下の研究報告4本を収録している。
マイケル・ニコルソン「《雪解け時代》のしかめ面――ソルジェニーツィンとシャラーモフ」(ロシア語)
リュドミラ・サラスキナ「《雪解け時代》の文学――その勝利と挫折」(ロシア語)
貝澤哉「液状化するスクリーン――雪解け以後のソ連《ヌーヴェルバーグ》映画」
亀山郁夫「ショスタコーヴィチの贖罪」

その他の論文は以下のとおり。
大森雅子「恐怖と憐れみのはざまで――ソヴィエト時代における〈原爆文学〉の翻訳をめぐって」
藤川美緒「ポクロフ・イコンの発祥と変遷」
白村直也「独ソ戦前夜、ソヴィエト福祉政策をめぐる問題――労働能力審査会の活動によせて」
高橋清治「ソヴィエト国家と諸民族――自治共和国、自治州と民族問題人民委員部の解体」

2012年4月21日

『ロシア語史入門』

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日本の誇るロシア語学者・佐藤純一東大名誉教授の最新の著書 『ロシア語史入門』(大学書林、2012)は、ロシア語関連のアカデミックな仕事をする者にとって必携書である。
佐藤先生は、東京外国語大学を卒業後、東大大学院に進まれ、1961年から2年間東京外国語大学で教鞭を取り東大に移られた。専門はロシア語の記述文法、標準語史、スラヴ諸語の比較対照研究。

本書は、大きく2部に分かれている。
第1部では、スラヴ諸語の中にロシア語を位置づけ、ロシアにおける標準語の発達を時代順に追っている。第2部では、キエフ・ルーシの最古の文献である 『オストロミール福音書』(11世紀)から『原初年代記』、『イーゴリ遠征物語』、『主僧アヴァクム自伝』などを経て、カラムジンの 『ロシア人旅行者の手紙』(18世紀末)に至るテクストが引用されている。ほとんどが現行のキリル文字に直されているので、私のような素人でも一応「読める」うえ、ロシア語がしだいに変化してきた様がわかって大変興味深い。

あちこち拾い読みしていてあらためて思ったのは、Николай Карамзин ニコライ・カラムジン(1766―1826)がロシア語史で果たした役割と 二葉亭四迷(1864-1909)が日本文学史に残した功績がとても似ているということだ。
権威的な書き言葉と世俗的な話し言葉に分かれていた18世紀末のロシアにおいて、カラムジンは「話すように書く」といういわゆる言文一致を目指して紀行文や小説(とくに 『哀れなリーザ』1792)を書いた。19世紀後半の日本で、二葉亭もイワン・トゥルゲーネフなどを翻訳する過程で書き言葉を話し言葉に近づける努力をし、彼の小説 『浮雲』 は言文一致小説と言われる。
面白いのは、カラムジンが参照したのは当時のロシアに多大な影響を持っていたフランス語だったけれど、二葉亭が依って立った言語はロシア語だったということ。フランス語→ロシア語→日本語という文化の連鎖がある。

言ってみれば、二葉亭四迷は日本のカラムジンなのだ。

2012年4月27日

【お知らせ】 横山オリガ先生講演会

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来る5月24日(木) 16:00~17:30 東京外国語大学 101教室に スラヴ言語学者、横山オリガ Olga T. Yokoyama 先生をお迎えして日本語で講演をしていただく。題して「言語のグローバリゼーション」。

リレー講義「表象文化とグローバリゼーション」の授業の一環としておこなうもので、総合文化研究所との共催。この授業に登録していない人でも聴講できる。もちろん入場無料。

横山オリガ先生は、日本で大学教育まで受けられたが、名前からわかるとおりロシア系だ。1979年にハーヴァード大学で博士号を取得し、同大学でスラヴ言語学を講じた後、1995年にUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に移られた。
現在、UCLA応用言語学教授、京都大学大学院客員教授。

先生からのメッセージは以下のとおり。

皆さんは English という単語に複数形 Englishes があることを知っていますか? グローバリゼーション時代と言われる今日、世界の言語がその影響でどうなっているのか、またこれからどうなっていくのか、言語を学び、教え、それを中心にして生きる私達「言語屋」は何を知らなければならないのか、何を喜び何を恐れ、あるいは何をすべきなのか、ということを一緒に考えてみましょう。

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