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2012年2月 アーカイブ

2012年2月 5日

ウリツカヤとアクーニンを支持する

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2月4日(土)零下20度という極寒のモスクワで、1か月後の3月4日に予定されている大統領選で「公正な選挙」が行われるよう求める人々が、市内中心部の行進と第3回目の大規模な集会を行った。不正や汚職や権力濫用にこれ以上黙っていられないというロシアの人々の強い意志を表明したものである。
モスクワだけでなく、サンクト・ペテルブルクやウラジオストク、ハバロフスク、ユジノ・サハリンスク、ニューヨーク、パリ等でも同様のデモが行われたという。

今回の一連の「反体制」的な市民行動には顕著な特徴がある。それは「パンをよこせ」という経済的な要求ではなく「正義のための」闘いだということ。もちろん貧富の差が広まるばかりのロシアに経済的な不平等への不満が鬱積しているのはたしかだ。しかし今、人々の怒りはむしろ政権の不正や欺瞞、ソ連時代をそのまま引き継いでいるような強権的な体制に向けられている。
そしてこの「正義」の市民運動を強力に支えているのが作家、音楽家、ジャーナリストら文化人たちであり、とりわけリュドミラ・ウリツカヤとボリス・アクーニンが人々の精神的・良心的な支柱となりつつある。
市民組織「Лига избирателей(有権者連盟)」が創設され、1月18日に記者会見が行われたが、この「有権者連盟」に作家ウリツカヤ、アクーニン、ドミートリイ・ブィコフ、ロックグループ ДДТ のリーダーであるユーリイ・シェフチュク、テレビ司会者レオニード・パルフョーノフ、慈善家の医師「ドクター・リーザ」ことエリザヴェータ・グリンカらが参加しているのである。
連盟は声明を発表し次のような宣言をした。

「われわれが目指すのは、公正な裁判、公正なマスメディア、公正な政治、国家と市民の公正な関係である。われわれが目指すのは、地方選挙から大統領選挙にいたるすべての公正な選挙であり、アクセスできるあらゆる法的手段を用いてそのために闘う」

何度も繰り返されている大事な理念が честный(公正な、正直な、誠実な)ということである。
ウリツカヤは記者会見でこう述べている。

「有権者連盟が要求しているのは最小限のことで、公正な選挙を行わなければいけないということです。
1968年にソ連軍がプラハに侵攻したとき、赤の広場のデモに出た人は7人でした。あれから大きな変化が起こって、今私たちは7人だけではなくなりました。ボロトナヤ広場(注:昨年12月10日のデモのこと)もそれに続く集会も、非常に重要な兆しです。私たちは7人ではない。もう少し多くなったんです。これはとても重要なことです」


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ウリツカヤは、2月4日の行進と集会に参加し、冷凍庫の中にいるような寒さのなか12万人集まったと言われる(主催者側発表)人々の前に立ち、「ここに集まっているのは素晴らしい人たちです。今日が新しい、とても良い歴史の始まりだということを確信しています」と語った。

アクーニンは、昨年12月10日のボロトナヤ広場の集会では、モスクワ市長選挙も公正におこなわれるべきだと主張し、24日のサハロフ大通りの集会では、市民運動の団結力の強さについて次のように語った。

「ここには本当にさまざまな人たちが集まっています。互いに異なっています。それで彼ら(政権側)は、私たちに言い争いをさせ分裂させようという幻想を抱いていましたが、そんなことはできませんでした。これからもできないでしょう。それはとても簡単な理由によるものです。私たちを結びつけている感情のほうが、私たちを仲間割れさせるものよりも何倍も強いということです」


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クリスマスイブのこの日、アクーニンは「来年は大変な年になるでしょう。でも私たちの年になるだろうと信じています。どうか良い年を! 新年の新しいロシアおめでとう!」とスピーチを締めくくった。
そして昨日2月4日、行進にも集会にも参加して「凍えそうになった」というアクーニン。『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙のインタビューで「なぜ行進に参加しなければならないのか?」という質問に、ユーモアを込めてこう答えている。

「政権は私たちの言うことに耳を貸しません。耳が遠いようです。だから、もっと大きな声で叫ばなければならないのです。2月4日私たちの数が多ければ多いほど、私たちの声は大きくなります。酷寒などなんてことはないということを見せつけてやらないと」
アクーニン自身のブログより。
 ↓
http://borisakunin.livejournal.com/


下の写真は、もうひとりの作家ブィコフが行進に参加している様子。真ん中でにこにこしているのがブィコフだ。掲げているプラカードには「舟を揺らさないで。私たちのネズミが吐き気をもよおしているから」と書いてある。
彼は昨年12月24日の集会では、集まった人々に、立場を異にしていても「内紛」を起こしてはならないと呼びかけた。「男と女の間には、共産主義者とリベラルの間にあるよりもっと大きな違いがあります。それでもなんとか折り合いをつけているではありませんか。ここにいる私たちも同じです。話し合うこと、さらには互いに愛し合うことを学びましょう」


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2012年2月11日

【お知らせ】府中図書館講演会

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府中図書館講演会 「文学・絵画に描かれたロシアの食卓」
ロシアの文学や絵画を通して、ロシアの食文化を考える。

▽日時   3月2日(金)午後2時~4時
▽場所   ルミエール府中1階 第1・第2会議室
▽講師   沼野恭子
▽定員   先着50名(無料)
▽申込み  午前9時~午後7時に、電話または来館(5階)で中央図書館へ
▽問合せ  中央図書館 042(362)8647


2012年2月18日

旅立ちに際して

チェーホフの戯曲 『Вишнёвый сад (桜の園)』 の最終第4幕は、地主だったリュボーフィ・ラネーフスカヤが領地「桜の園」を売った後、再びヨーロッパに旅立つシーンだ。もう今にも出発しなければならないそのとき彼女はこう言う。

Я посижу еще одну минутку. 「もうあと少しだけ(すわって)いよう」

ロシアには、旅立つ前に家の中で少しの間黙ってすわっているという風習がある。道中の安全を願うおまじないのようなものらしい。
チェーホフは、数々の思い出に彩られた桜の園や屋敷と別れ難く少しでも出発を引き延ばそうとするラネーフスカヤの心情とこの伝統的な旅立ちの風習を重ね合わせているのである。一方、ラネーフスカヤの娘アーニャのセリフはこうだ。

Прощай, дом! Прощай, старая жизнь! 「さようなら、おうち! さようなら、古い生活!)」

アーニャは、もう二度と目にすることはないかもしれない桜の園にいともあっさりと別れを告げている。
過去に後ろ髪を引かれる思いの母と、未来に凛と目を凝らしている娘。この対比が心憎いほど上手い。

もうひとつロシアの別れの風習に「最後の乾杯」がある。そのときの決まり文句は

На посошок!

である。これもやはり旅の無事を祈るものだが、もともとは、посошок<посох(杖)を持って旅立つ人が出発に際して木戸のそばに杖を立て、杖の先に酒杯を載せて酒を注いでもらい飲み干したところからきているという。

まもなく若い人たちの旅立ちの時がやってくる。卒業式、修了式。
ロシアの風習にならって、少しの間心静かに口をつぐんですわり、最後の乾杯をしたら、あとは思い残すことなく力の限り羽ばたいていってほしい。


2012年2月23日

『クリトゥーラ』 創刊号刊行!

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この度、沼野恭子研究室では、ゼミの一環としておこなった「ロシア文化魅力発掘プロジェクト」の成果をまとめ、ロシア文化情報発信誌 『クリトゥーラ КУЛЬТУРА 』 創刊号を刊行した。ゼミ生(学部3年生と4年生)たちが各自関心を抱いたテーマについて自主的に調査・研究して紹介記事を書いた。モスクワ、サンクト・ペテルブルク、リーズ(イギリス)、トビリシ(グルジア)に留学しているゼミ生からのとっておきの情報もある。限定150部!

内容は以下のとおり。

【序文】
『クリトゥーラ』創刊にあたって/沼野恭子

【文化の紹介】
ロシア美術の巨匠イリヤ・レーピン/井木優里
夭折の天才画家イサク・レヴィタン/牧野寛
ロシア文学における「愚人」「狂人」/村田花子
現代によみがえるチェーホフの世界――映画『六号室』/福島里咲子
『エレーナ』における現代ロシア/御園生みのり
不思議な4人組アーティスト/森下摩理恵
ロシア現代美術探訪inモスクワ/市川愛実
グルジアのワイン文化/五月女颯
社会主義啓蒙の料理書――『美味しく健康に良い食べ物の本』/工藤翔平
ペトルーシカの足跡/十二紀子
ロシア・アニメーションの中の日本/太田祥子
英国リーズで見つけたロシア/丹野美穂
『鴨猟』、コンスタンチン・ハベンスキー/渡部壮太
ボリショイ劇場――やっぱりロシア人はバレエが好き/石崎麻衣
ロシア・サーカスの魅力/高橋祥
ロシアン・ロックのクラシック/林亮佑
t.A.T.uだけじゃない!――ロシアのガールズポップスの魅力/秋保友美

【文化の実践】
ロシア文学ゆかりの地を訪ねて/村石綾
ブリヌィ――知られざるロシアン・ソウルフードの魅力を知る/馬場智弘
ピロシキを作ろう!/原田夢香・鎌有彩

【文化の創造】
詩:「音楽」/市川愛実


序文(拙文)の一部をここに引かせていただく。

「ロシア文化の質の高さと奥深さには驚嘆するしかない。しかし驚いてばかりもいられないだろう。そうした圧倒的で魅惑的な文化を生み出すメカニズムを探り、仮に『ロシアらしさ』というものがあるとしたらその特徴とは何なのかを考えなければならない。
この冊子が、そのための小さなきっかけ、ささやかなヒントを提供していたら嬉しい。汲み尽くすことのできないロシア文化の多様性の一端なりとも示すことができたとしたら、それはもう望外の喜びである。
最後に、このプロジェクトに参加してくれた全員に心からの感謝と愛を捧げる」

2012年2月28日

ウリツカヤ 『緑の天幕』

リュドミラ・ウリツカヤ(1943年生れ)はけっして「社会派作家」ではない。たしかに、慈善事業にも携わっていれば、「子供のための本」プロジェクトも率いているし、脱税などの罪で獄中にいる元石油財閥ミハイル・ホドルコフスキーと書簡を交換して間接的に支援するなど社会問題に高い関心を寄せてはきたものの、これまで直接政治活動をしたことはなかった。
そのウリツカヤが今回の大統領選挙では、反プーチンを掲げる市民運動に積極的に関わり、正義を求めるリベラルな市民のシンボルとしての役割を自ら買って演じている。

下は、昨年出版されたウリツカヤの最新長編『緑の天幕』である (Людмила Улицкая "Зеленый шатер" М.: Эксмо, 2011)。

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物語は、同級生の男の子3人を中心に展開する。写真を撮るのが好きでやがて亡命するイリヤ、ピアニストを夢見て挫折するも音楽の道を歩み続けアメリカに移住するサーニャ、ユダヤ人の孤児で文学に携わるうちイリヤとともに地下出版に関わるようになり逮捕され、やがて自殺するミーハ。3人が知り合うのはちょうどスターリンの死んだ1953年で、これは作者自身の子供時代と重なっている。
スターリン後のソ連の現実を背景に、イリヤ、サーニャ、ミーハとこの3人を取り巻くさまざまな人々がドラマの糸を縒り合わせ、複雑な光沢と色合いの織物を織りあげていく。3人は才能と興味を異にし、人生の軌跡も別々だが、反体制的な気質を共有している。
権力の押しつけてくる教条的なイデオロギーとは相容れない「自由思想」を彼らが持つようになるのは、文学(国語)の先生の影響であった。当時、彼らのような反体制知識人を結びつけていたのは、パステルナークの『ドクトル・ジヴァゴ』、ナボコフの『断頭台への招待』、ダニエルの『こちらモスクワ』などといった地下出版でしか読めない小説だったのである。
ロシア社会において「文学」の持つ意義がいかに大きいかということ、ロシア文学の果たす機能が日本の文学とは比べものにならないほど重要だということを思い知らされる。

『緑の天幕』は、大雑把な言い方をすれば、抑圧的な「停滞の時代」に生きたリベラルな知識人についての追憶の書である。しかし単に過去を懐かしむだけの懐古的な物語かというと、むろんそうではない。昨年の2月に行われた「文学の夕べ」でウリツカヤ自身がこう述べている。

「自分自身の青春時代、つまり1960-1970年代を再確認してみようと思ってこの小説を書いていたのですが、書き終えたら、アクチュアルなテーマの作品だったことに気づきました。最近我が国では意図的に個人崇拝の復活が進められています。(......)専制的な体制によって挫折させられた『緑の天幕』の主人公たちの運命が、ソビエト時代を良い時代だったと懐かしむ人々への警告となることを願っています」

ウリツカヤは、下院選不正選挙疑惑(2011年12月)の起こるずっと前から、ロシア社会の「スターリン化」を危惧していたのである。
当然のことながら、今ロシアの読者は、この作品に描かれている近過去の主人公たちの懊悩を自分自身の問題と捉えていることだろう。

ちなみに、この小説は最初 『Имаго(成虫)』 と名づけられる予定だったという。これはこの作品の「成熟」というテーマと深く関連している。責任感がなく未熟なまま大人になってしまう人たち――ミーハも自分がいつまでも子供だと痛感して悲観的になる。

ひるがえって日本は? 日本は成熟した民主的な社会と言えるだろうか?
ロシアの現状とともに、社会の「成熟」とは何なのかを考えさせられる。

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