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2011年10月 アーカイブ

2011年10月 1日

マリアム・ペトロシャン 『ある家の出来事』

モスクワから航空便で送った本が2週間ちょっとで東京の自宅に届いた。
小包を開けると、Мариам Петросян マリアム・ペトロシャンの分厚い小説 『Дом, в котором... ある家の出来事』 (Livebook / Гаятри, 2009) が出てきた。サイン入りである。
作家のサイン本を集める趣味はとくにないのだが、モスクワ滞在中、ネットでペトロシャンのサイン会があることを知って一目本人を見てみたくなり、950 ページもある重い本を持って会場に出かけたのだった。


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そこは"Dodo" という趣味のいい小さな本屋さんで、川端康成や安部公房や三島由紀夫のロシア語訳書も棚に並んでいた。
店の奥のウナギの寝床のような狭い一角にはもう人がひしめいており、作家が現れると、びっしり両脇に人がすわるわずかな隙間に行列を作ってサイン会が始まった。

ペトロシャンは、苗字からも明らかなとおりアルメニア系で、1969年アルメニアの首都エレヴァンに生まれた。アルメニアやモスクワの映画スタジオでアニメ―ションの制作をしていたが、1991年このロシア語小説の執筆に取りかかり、10年以上の歳月をかけて完成させたという。2009年に出版されるや注目され、同年「ボリシャヤ・クニーガ(大きな本)」賞の読者特別賞を受賞した。

一種のファンタジー小説といっていいだろう。
あたかも自らの意思を有しているかのような「家」(文中でもつねに Дом と大文字で書かれる)は、障害を持つ子供たちが暮らす養護施設である。この「家」に転入してきた男の子を中心に、ニックネームで呼ばれる住人たちの生態が描かれる。「家」には「家の内側」と呼ばれるパラレルワールドがあり、そこに自由に出入りできる子がいる。子供たちはこの家を出るか留まるか、選択を迫られているのだった……。


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サイン会の後、ペトロシャンが読者からの質問に答えたが、その中で、この作品はかならずしも子供のために書いたのではないと言っていたのが印象的だった。
作者は飾り気のない小柄な女性だが、著書は分量も中身も賞の名前のとおり「ボリシャヤ・クニーガ(大きな本)」である。

この小説については岩本和久さんが、平成22年版 『文藝年鑑』 (新潮社、2010年、91ページ)でいち早く紹介している。

ついでながら、ペトロシャンは Мартирос Сарьян マルチロス・サリヤン(1880-1972)の曾孫だという! サリヤンは、どこか懐かしいような(ロシア人にとってはたぶんエキゾティックな)南国の風景、豊饒の大地、花々や果物をあふれんばかりの鮮やかな色彩で描いたアルメニアを代表する画家である。

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(サリヤン 『壁の前、暑い日』1908)


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(サリヤン 『秋の静物、熟した果物』1961)


2011年10月10日

【お知らせ】 映画 『ヤクザガール』上映

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Сергей Бодров セルゲイ・ボドロフ監督が、Гульшад Омарова グリシャド・オマロワとともに昨年制作した映画 『Дочь Якудзы ヤクザの娘(邦題は「ヤクザガール 二代目は10歳」)』 が2011年10月22日より日本で公開される。ボドロフはこの作品のシナリオライターとプロデューサーも兼ねているという。
日本での上映情報はこちら。
 ↓
http://yakuza-girl.com/

ボドロフ監督は1948年ハバロフスク生まれ。チェチェン戦争を扱って話題になった『コーカサスの虜』(1996)、浅野忠信主演の『モンゴル』(2007)がいずれもアカデミー外国語映画賞を受賞している。
今回の『ヤクザガール』は、これまでメガホンを取った作品とは違い、ボドロフにとって初めてのコメディである。物語は、暴力団組長の孫娘ユリコがひょんなことからロシアに降り立つことになり、偶然命を助けたロシア人青年と一緒に追われる身となるというもの……。


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シナリオライターとしてはコメディ・タッチの作品を何本か書いているが、監督としてコメディ映画を手がけるのは初めてのボドロフ監督。あるインタビューで、どうしてコメディ、それも日本の女の子とロシアの囚人の友情を撮ろうと思ったのかと聞かれ、こう答えている。

「笑いにはいろいろなものがあって、人を癒したり助けたりする笑いもあります。それに、自分自身や上司や権力を笑いのめすなんてすごいじゃないですか」
「どうして日本なのかというと、東洋が好きだからです。日本文化もね。コメディを撮って自分たちのこと、自分たちの暮らしを描こうと思いました。それに、日本人とロシア人が触れあうことでさらにユーモアが刻まれるでしょう、それでこういう物語にしたんです」

かなり破天荒な展開の物語らしいが、どんな異文化接触が描かれているのか、乞うご期待!


2011年10月18日

ウラジーミル・リュバーロフの最新画集

Владимир Любаров ウラジーミル・リュバーロフは、現代ロシアの素敵なナイーヴ画家だ。
ロシアの古い木版画ルボークを思わせる「へたうま」絵と言ったらいいだろうか。ソヴィエト時代へのノスタルジーをユーモアとペーソスで異化して独特の世界を作りあげている。
下は、彼の最新の画集 Владимир Любаров. Рассказы. Картинки. М.: ГТО, 2011. の表紙だが、ここでは「画家」として絵画作品を描いているだけでなく、「作家」として自伝的な物語もたくさん載せている。


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リュバーロフの絵に出会ったのは、リュドミラ・ウリツカヤのお伽噺『Детство Сорок Девять 1949年の子供時代』がきっかけだった。彼はこの本にイラストを描いていて、それが物語と合っているような合っていないような、なんとも微妙な「距離感」を保っていたので、とても惹きつけられたのである。もちろん何よりも気に入ったのは、絵自体のユニークで神話的な雰囲気だったけれど。


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「小春日和」


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「パン」


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「魚の日」


ウラジーミル・リュバーロフは1944年モスクワ生まれ。ソヴィエト時代は本の挿絵を描いて生計を立てていた。ホフマン、ポー、レム、ゴーゴリ、ストルガツキー兄弟の本を初めとして何百冊もの本にイラストをつけたという。
1991年ペレミロヴォ村に移り住んで本格的なイーゼル絵画に取り組むと、まずベルギー、ドイツ、フランスで注目され、それからロシアでも高く評価されるようになった。

上の「魚の日」という作品をよく見ると、壁にピロスマニの絵が描きこまれているのがわかる。人魚のいる不思議な居酒屋空間とグルジアの宴の光景が何の違和感もなく融合していることからしても、リュバーロフがピロスマニの系譜に連なる画家であることは明らかである。

「私は自分が過去のモノを入念に選んでばかりいるノルタルジックな画家だとは思っていません。(私の絵には)1950-1960年代の細々したものもあれば、1930年代の石油コンロや立襟シャツや厚布長靴もあるし、1990年代初めのひどい行列やシャベルみたいな携帯もある。2000年代の男のストリップショーや女のサッカーもある。それに、人魚やうちの菜園で栽培した野菜といった『永遠に価値あるもの』もありますからね」と語る画家自身、とてもチャーミングな人のようだ。


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2011年10月19日

映画 『5頭の象と生きる女』

10月6日から13日まで山形市でおこなわれた 「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」 にボランティアで参加していた3年ゼミの福島里咲子さんが授業で、その模様や日本のドキュメンタリー映画の歴史を報告し、「ドキュメンタリー映画」とは何か、テレビのドキュメンタリー番組とドキュメンタリー映画はどこが違うのか等いろいろなことを考えるきっかけを提供してくれた。被写体の心情への配慮、ノンフィクション小説との類似性、、ドキュメンタリー映画の「作家性」といった問題も出された。

この映画祭は、1989年から隔年で開催されており、回を重ねるごとに注目度が上がっているという。今回、最高賞である「ロバート&フランシス・フラハティ賞」を受賞したのは、イスラエルのルーシー・シャツ、アディ・バラシュというふたりの監督による『密告者とその家族』。パレスチナとイスラエルの狭間で苦悩する家族の姿が描かれている。

私たちにとって大ニュースだったのは、バディム・イェンドレイ監督の『5頭の象と生きる女』が、インターナショナル・コンペティション部門の優秀賞と市民賞を受賞したこと。
この映画の主人公は、ウクライナ出身でドイツ在住の80歳を越える女性翻訳者だ。ドストエフスキーの長編を「象」に見立て、『罪と罰』から『カラマーゾフの兄弟』までの5大長編(=5頭の象)を「ロシア語からドイツ語に翻訳することにより凄惨な過去の悲しみと苦しみを乗り越えようとする」姿を描いたものだという。
来年日本で公開されることになっている。
 ↓
http://www.yidff.jp/2011/ic/11ic15.html

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2011年10月24日

シンポジウム「ソヴィエト崩壊20年」

10月23日(日)東京国際大学で開かれたロシア・東欧学会とJSSEES(日本スラヴ東欧学会)の合同研究大会において、JSSEES主催のシンポジウム「ソヴィエト崩壊20年――生活の変化、思想の変容」がおこなわれた。三浦清美さんの司会のもと、この20年間のロシア文化とその変化について、本田晃子さん(建築)、神岡理恵子さん(アート)、岩本和久さん(文学)による非常に興味深く刺激的な報告がなされた。情報は多岐にわたるが、それぞれの報告から1点ずつ絞ってごく一部を紹介したい。
 
建築では、既存の建物(廃墟)をほとんどそのまま利用して新しい用途に役立てる「コンヴァージョン」の優れた例がいくつかあるという。代表的な「廃墟の建築家」は Александр Бродский アレクサンドル・ブロツキー(1955年生まれ)で、彼の手がけたものとしては、古いワイン工場を新しく甦らせたギャラリー・コンプレクス「ヴィンザヴォード」や、下のカフェ「アプシュー」など。
そう言えば、9月にモスクワで「ヴィンザヴォード」と「ガラージ」を訪れたが、両方とも今や現代アートの拠点となっているようだ。1926年にメーリニコフとシューホフが建てた構成主義風のバス専用ガレージが廃墟と化していたのを、最近になってアレクセイ・ヴォロンツォフがギャラリーとして甦らせたのが「ガラージ」である。
「ブロツキーは『建てる』ということへの批評的な姿勢を貫いている」「こうした建物は一種のオブジェとして前景化されている」という本田さんの指摘が印象的だった。


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アレクサンドル・ブロツキー『カフェ・アプシュー』


美術界ではアーティストと宗教の関係が先鋭化している。ソ連崩壊後ロシア正教のステータスが変化して「抵抗すべきイデオロギー」に成り果ててしまったと考えるアーティストたちがいるということだ。Александр Косолапов アレクサンドル・コソラポフ(1943年生まれ)はニューヨークからグローバリゼーションや宗教を題材にソッツアートの作品を発信している。
下は『Икона-икра イコン=キャヴィア』(1996)という作品。タイトルのふたつの言葉(イコーナとイクラー)は、и, к, а の3文字が共通で音遊びになっている! 聖像画(イコン)の聖母子像の金枠(オクラード)にキャヴィアが盛られたフォトモンタージュ。なお、神岡さんによると、同じタイトルの作品が2009年にも作られていて、それは実物の金枠に何かで固められたキャビアが盛られたミクストメディアだそうだ。
面白いのはコソラポフの解説。「これはアンディ・ウォーホルへの注釈なんです。アメリカでは大統領から貧しい人たちまでコカコーラを飲んでいるとウォーホルは言う。でも、ロシアでは大統領はキャヴィアを食べるけれどふつうの人は食べられない。つまり消費に関するロシアのコンセプトは階層的なんですよ、というね」。コソラポフは宗教を揶揄するつもりで制作したのではなかったかもしれないが、正教会側はこの作品を「冒涜的」と見なしている。
信仰の自由と表現の自由。神岡さんは、こうした宗教をめぐるアートの問題は今後も続くだろうと予想している。


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アレクサンドル・コソラポフ『イコン=キャヴィア』


文学界では、リアリズムの復活が大きなうねりになっている。たとえば、Роман Сенчин ロマン・センチン(1971年生まれ)という作家は、2008年ネット上に発表した「新たなリアリズムは新たな世紀の潮流」と題する評論で、「今日の作家たちは伝統的な言葉、伝統的なフォルム、伝統的で永遠のテーマや問題に戻っている」と論じている。
センチンは、シベリアの中央に位置するトゥヴァ共和国の首都クズル出身。
現代のリアリズムにふさわしい主題は戦争、「ちっぽけな人間」、辺境だろうとの岩本さんの指摘が興味深かった。辺境を描いた作品として、センチンの長編 『エルトゥイシェフ家』が挙げられていた。都会の家族が農村に移り住み大変な苦労をする物語のようなので、ソヴィエト時代の「農村派」作家と比べながら読んでみよう。

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2011年10月29日

「生きたロシアの言葉」

10月28日(金) 大学の講義を終えてから銀座のヤマハホールに行き、「Живое русское слово (生きたロシアの言葉)」と題された「ロシア文化と音楽のフェスティバル」のコンサートを満喫した(主催は E.K.LINGUADAR CULTURE CENTER)。


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グリンカから、チャイコフスキー、ラフマ二ノフ、ショスタコーヴィチ、ゲディケ、現役のシチェドリンまでロシアの作曲家の作品が、 ロシアと日本の音楽家たちによって奏でられた。出演者は、ヴャチェスラフ・スタロドゥプツェフ(テノール)、インナ・ズヴェニャツカヤ(ソプラノ)、アレクセイ・トーカレフ(トランペット)、生野やよい(ソプラノ)、レオニード・グリチン(チェロ)、ユリヤ・レフ(ピアノ)、ヤロスラフ・チモフェーエフ(ピアノ)、マキ奈尾美(ピアノ・ヴォーカル)、堺裕貴(バス・バリトン)、原田絵里香(ピアノ)。

声楽とチェロとトランペットが組み合わされたプログラムはバラエティに富んでいてとても楽しかった。ホール全体に轟くズヴェニャツカヤの艶のある豊かな声に心を揺さぶられ、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」を奇跡のような超絶技巧で演奏するグリチンのチェロに驚嘆し、伝説的なオペラ歌手フョードル・シャリャーピンはどんな声だったのだろうと勝手に想像しながら堺裕貴が歌うムソルグスキーの「蚤の歌」を聞いた。

モスクワ音楽劇場「ゲリコン・オペラ」のソリストであるスタロドゥプツェフ(下、1981年生まれ)は、プーシキン原作、チャイコフスキー作曲のオペラ『エヴゲーニイ・オネーギン』よりレンスキーの有名なアリアを熱唱。
かつて大学1年生のときロシア語学生劇団「コンツェルト」にいた私は、現早稲田大学教授の伊東一郎さんが当時院生でレンスキーを演じられこのアリアを歌われたときにピアノ伴奏をさせていただいたので、よく知っている(つもりの)曲だ。スタロドゥプツェフの透明感のある上品なアリアを聞いていたら、学生時代のあれこれが懐かしく蘇ってきた。
総じて素晴らしいコンサートだった。


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