« 不条理で魅惑的なハルムスの世界 | メイン | NHKのロシア語教育番組 »

アナトーリイ・キム 『リス』

カザフスタン出身の朝鮮系ロシア語作家 Анатолий Ким アナトーリイ・キム(1939年生れ)が昨年珍しくあるインタビューに出ていた。このところ新しい作品を見かけないと思っていたら、65歳になったときに(つまり2004年)「断筆宣言」をしたという。
「東洋の芸術家がよくそうするように、私も筆を折り人前に出ることもやめて完全に自由な状態になりました」とのこと。

とはいえ、もちろんキムは文学を見捨ててしまったわけではない。「人間の言葉も生きている存在だということを思い知りました。人間の生きた魂が生きた言葉と交流することこそ芸術の本質です」とも熱く語っている。これは彼自身の書いた小説、たとえば代表作『リス』によくあてはまる。
日本語に訳されている唯一の長編だ。アナトーリイ・キム 『 Белка リス 』 有賀祐子訳(群像社、2000)。

kim%20belka.jpg

この作品は、変身したり人に憑依したりする能力のあるリス(動物)が「愛しい人」に語りかけるという形式の「長編おとぎ話」である。語り手は、何人もの登場人物の内的世界を自由に行き来してさまざまな声を響かせ、ときに集合的な合唱となって、生と死の境をまたぎ、時空間を彷徨う。この実験的な語りが、かぎりなく叙情的でもあるというところが素晴らしい。
キムは、時空を越えて異質なものを共存させる手法を自覚的に用いており、それをバッハの音楽とのアナロジーから「ポリフォニー(多声)」と呼んでいる。「りす」の奏でる多声の調べに身を委ねていてバッハのフーガが聞こえてくるような気がするのは、だから偶然ではないのだ。

About

2011年8月 5日 09:08に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「不条理で魅惑的なハルムスの世界」です。

次の投稿は「NHKのロシア語教育番組」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。