« 2011年6月 | メイン | 2011年8月 »

2011年7月 アーカイブ

2011年7月 3日

「ロシア語ソーシャルネットワーク」の提言

7月2日(土)スラヴ人文学会の大会が無事終了した。午後のパネル企画「大学と社会の狭間でロシアを見つめる」は大勢の学生、院生、OBの参加を得て想像以上の盛会になった。このパネルを聴くためにわざわざ京都から来てくれた学生がいたのも嬉しい!

報告・討論・質疑応答がおこなわれ、ロシア語を使う仕事にはどういうものがあるか、現場でロシア語を使って仕事をするとはどういうことか、ロシア関連企業に就活してどういうことを経験したかなどが具体的に示され、いずれの報告者からも人的ネットワークの重要性が指摘された。
早稲田大学の院生である江端沙織さんからは、大学の枠を越えた「ロシア語ソーシャルネットワーク」を作れないかという提言がなされた。学生・院生と社会が双方向でサービスや情報を提供しあうのが目的だ。facebookを用いて、ロシア語関連の仕事について情報を共有するとともに、学生・院生の側から翻訳や通訳を提供したり、ロシア文化講座を開催したりする。

院生たちのイニシアティヴで始まった画期的なこの試み。何らかの実を結ぶよう私も微力ながら応援したい。

sugiura.JPG

audience.JPG


panelists.JPG


2011年7月 4日

ブラートフ 『危険』

bulatov%20opasno%201973.jpg


これは、モスクワ・コンセプチュアリズムの非公認芸術家だった Эрик Булатов エリク・ブラートフ (1933年生れ)が1973年に制作した『 Опасно 危険 』というタイトルの作品だ。一見どこか郊外ののどかな風景のように思えるが、遠近法にのっとって四方に赤字で書かれているのは、ロシア語で「危険」を意味する言葉。人々が楽しげに語らいのんびり散歩する牧歌的な情景が、この赤い文字によって「異化」され、何やらきな臭くただならぬ気配に包まれている。

福島第一原子力発電所の事故を経験しているさなかの私たちにとって、この作品は、ソ連という全体主義国家の特殊な事情を揶揄しただけのものとはどうしても思えない。これは、目に見えない放射性物質が周囲に蔓延して「危険」なのにのほほんと暮らしている私たち自身の姿ではないだろうか。
原発の危険性、高コスト、放射性廃棄物処理の絶望的な困難さがだれの目にも明らかになったという今の今、それでもまだ原発を再稼働させようというのか。

2011年7月 9日

姜信子講演会 「『空白』をつなぐ旅」

7月7日(木)七夕の夕べ、姜信子さんに東京外国語大学で講演をしていただいた。「『空白』をつなぐ旅~記憶の彼方、コトバの行方」。
ちょうど前日の6日(水)、『東京新聞』夕刊に姜さんのエッセイ「生きなおす言葉」が載った。陸前高田で水道の蛇口やネジを洗浄するボランティアをしながら観察し思索したことが綴られている。

「よみがえれ、よみがえれと念じつつ水道管を洗った。水を想い、命を想った。水とともにある命を語りなおす言葉を産み育む私たちであれと強く願った。そうしてつながりなおし、生きなおしていく私たちであれと」


kyo%20nobuko%201.JPG

kyo%20nobuko%204.JPG


講演は、震災ボランティアにも触れつつ、旧ソ連ウズベキスタンに暮らすコリャサラム(高麗人)や、カザフスタンに暮らすチェチェンの人たちとの出会いを紹介しながら、「語りえないもの」「封じこめられた記憶」とどう向きあったらいいか、という重い問いを投げかけるものだった。一言ひとことが心に響き、さまざまな「考えるきっかけ」を与えられた素晴らしいお話だった。

2011年7月14日

『プロコフィエフ短編集』

prokofiev.jpg


ロシアの作曲家 Сергей Прокофьев セルゲイ・プロコフィエフ (1891-1953)が小説を書いていた。しかもロシア革命直後の1918年日本を経由してアメリカへ渡る最中に!
それら短編と日本に滞在していたときの日記が1冊の本になっている。『プロコフィエフ短編集』サブリナ・エレオノーラ・豊田菜穂子訳(群像社、2009)だ。

中でも面白いのは短編「彷徨える塔」。パリのエッフェル塔が突然歩きだすというアイディアもユニークだが、パニックに陥る人々や大変なスピードで歩くエッフェル塔を追いかける「変人」学者のどたばた喜劇の様相といい、擬人法を突き抜けて塔が空を飛ぶ愉快な場面といい、とぼけたユーモアと魅力にあふれている。
プロコフィエフが「戦争も革命もない、花咲き匂う国」日本に滞在し、束の間とはいえ日本の文化人と交流したりコンサートを開いたりしてロシアの最先端の芸術的息吹きを伝えるとともに、こんな独創的でチャーミングな物語を書いていたとは、何か歴史の思いがけない贈り物のような気がする。

ちなみに、今年はプロコフィエフ生誕120周年にあたり,11月1日(水)18:30より紀尾井ホールにて記念音楽祭「プロコフィエフへのオマージュ」が催されるという。
詳しくはこちら。
  ↓
http://nextar.jp/page/event/1054864

2011年7月18日

栗山民也演出 『太陽に灼かれて』

2011年7月24日(日)から8月9日(火)まで天王洲・銀河劇場にて、栗山民夫演出による『太陽に灼かれて』が上演される。キャストは成宮寛貴、鹿賀丈史、水野美紀。東京公演の後、愛知、兵庫でも公演が予定されている。

これは、ロシアのНикита Михалков ニキータ・ミハルコフ監督が1994年に制作したロシア・フランス合作映画 『 Утомлённые солнцем 太陽に灼かれて 』 (カンヌ国際映画祭最高賞グランプリ受賞)のシナリオをピーター・フラナリーが脚色、舞台化したもの。ロンドンで大当たりしたという。

utomlennye.jpg

物語は、1936年のモスクワ郊外を舞台に、ロシア革命の英雄だったコトフとその妻マルーシャ、マルーシャの幼なじみでНКВД(秘密警察)で働くミーチャの3人をめぐって繰り広げられる。狂気を帯びたスターリン時代の粛清という政治的背景と、恋愛と嫉妬に根ざした個人的な復讐劇とが絡みあい、終盤はとくに息をのむ展開だ。
自らコトフ大佐を演じるミハルコフと、ミーチャ役の人気俳優 Олег Меншиков オレーグ・メンシコフが、迫真の演技を競いあっている。

utomlennie_solncem_2-11-08_860.jpg


さらに興味深いのは、恐怖と絶望の時代を象徴するかのような哀切を帯びたタンゴがドラマの悲劇性をいっそう際立たせていること。このタンゴは1930年代のソ連で実際に流行っていたもので、「Утомлённое солнце(疲れた太陽)」という。映画のタイトルと言葉は似ているが、意味が違う。映画のほうは逐語訳すると「Утомлённые солнцем(太陽によって疲れさせられた人々)」となる。
「太陽」が共産主義の理想をあらわしているとするなら、太陽はその圧倒的な威力で人々を疲弊させたということか。

タンゴは Ежи Петербургский イェジー・ペテルブルクスキー作曲、Иосиф Альвек ヨシフ・アリヴェク作詞で、Александр Цфасман アレクサンドル・ツファスマンのジャズ・オーケストラによって演奏された。

 Утомлённое солнце
 Нежно с морем прощалось,
 В этот час ты призналась,
 Что нет любви.

 ♪ 疲れた太陽が
 そっと海と別れた。
 そのとき君は告白した、
 愛なんてないの、と。

1937に録音されたレコードをここで聴くことができる。
 ↓ 
http://www.youtube.com/watch?v=8cTLRYTVvl8


2011年7月24日

オープンキャンパス

2011年7月23日(土) 東京外国語大学でオープンキャンパスがおこなわれ、約5000人の人が来校した。イリーナ・ダフコワ先生によるロシア語体験授業は大教室が満杯だったし、「ロシア語相談コーナー」も一日中、受験生の相談が絶えなかった。

open%20campus.bmp
本学は、これまでひとつだった「外国語学部」を、このポスターにもあるとおり、「言語文化学部」と「国際社会学部」の2学部に再編成する作業を進めており、文部科学省に認められたら2012年度より実施する予定だ。
亀山郁夫学長によると、改革により「本学が中期目標に掲げる『ダブルメジャー』教育を可視化し、言語・地域のスペシャリストのみならず、人文科学と社会科学のそれぞれに通じた国際教養人と国際職業人という2タイプの『グローバル人材』育成が可能になる」(『日本経済新聞』2011年6月27日)という。
ひらたく言えば、「外国語」に加えてもうひとつ専門分野を持とうということ。その必要性はずっと以前から痛感していた。

サーカスの後で

Bolshoi.JPG

7月23日(日)国立ボリショイサーカス東京公演にゼミの3年生たちと行く。席の関係で、午前の公演に6人、午後の公演に8人と分かれた。
なるほど、鞭が届く13メートルのアリーナね、などとゼミのプレゼンテーションで知ったことを確認しあう。
やはりロシアのサーカスの特徴は熊の曲芸か、音楽(『カリンカ』)も衣装もロシアの伝統にのっとったもので、空中ブランコやジャグリングの現代的な演出とはひと味違っていた。

上の写真は、サーカスが終わった後、千駄ヶ谷駅近くのカフェで休んでいるところを外から写したもの。
「緊張のあまり憔悴した!」と言っていた人、回復したかな?

2011年7月25日

多文化主義

ようやく夏休み!
去年の今ごろは、スウェーデンのストックホルムで開かれたICCEES(中央・東ヨーロッパ研究協議会)第8回世界大会という大規模な学会に行き「ロシア文学と東アジア」というパネルで研究発表をしていた。これがとてつもなく「多文化」的なパネルだった。

パネリストは3人。韓国出身で東大大学院に学びアメリカ在住のキム・ヒョンヨンが「韓国映画におけるドストエフスキー的モチーフ」について(ロシア語で)、ブルガリア出身で東大大学院に学び香港の大学で教えているデンニッツァ・ガブラコワが「トルストイと魯迅」について(英語で)、日本人の私が「ピリニャークと日本の関わり」について(ロシア語で)それぞれ報告し、ロシア人で日本史を専門とするロシア人文大学のアレクサンドル・メシチェリャコフ教授がコメンテーターを務めてくださった。

DSC02625.JPG

(左からキム、ガブラコワ、沼野恭子、メシチェリャコフ、司会の沼野充義)

学会の懇親会がノーベル賞のレセプションと同じ由緒ある会場でおこなわれたというのも印象的だったが、キムさんとふたりでガムラ・スタン(旧市街)やノーベル博物館を、ガブラコワさんとふたりで民俗学博物館を訪ねたのも大変楽しかった。

それにしても、スウェーデンとともにノーベル賞を運営してきたノルウェーで(平和賞の授賞式はオスロでおこなわれる)「多文化主義」に挑戦するテロ事件が起きたとはなんという不幸だろう!
神様、地震や津波や原発事故だけでは人類にとってまだ試練が足りないとでもいうのでしょうか。


2011年7月29日

不条理で魅惑的なハルムスの世界

担当している講義「ロシア文学概論」のレポートを採点中(全部で130本くらいあるだろうか)。
課題は「20-21世紀に書かれたロシア文学の作品を分析すること」である。
前期の授業で紹介したベールイ、マヤコフスキー、アフマートワ、ツヴェターエワ、パステルナーク、ザミャーチンの作品を選んだ学生もいれば、後期で扱う予定のナボコフやソルジェニーツィンの小説を「先取り」した学生もいる。

そうした中で Даниил Хармс ダニイル・ハルムス (1905-1942) について書いている人がけっこういるというのが嬉しい。何しろハルムスは、一般的な「ロシア文学」のイメージを根底から覆すほどの破天荒なアウトサイダーなのだ。

掌編をひとつ訳してみよう。

 Одна старуха от чрезмерного любопытства вывалилась из окна, упала и разбилась.
 Из окна высунулась другая старуха и стала смотреть вниз на разбившуюся, но от чрезмерного любопытства тоже вывалилась из окна, упала и разбилась.
 Потом из окна вывалилась третья старуха, потом четвертая, потом пятая.
 Когда вывалилась шестая старуха, мне надоело смотреть на них, и я пошел на Мальцевский рынок, где, говорят, одному слепому подарили вязаную шаль.

 ひとりの老婆が度外れな好奇心のため窓からころげ、落下してお陀仏となった。
 別の老婆が窓から顔を出し、お陀仏になった老婆を見おろしたが、度外れな好奇心のためやはり窓からころげ、落下してお陀仏となった。
 それから3人目の老婆が窓からころげ、それから4人目が、それから5人目がころげ落ちた。
 6人目の老婆がころげ落ちたとき、私は見ているのにうんざりし、マルツェフスキー市場に出かけることにした。市場で盲人が手編みのショールをもらったという話だからだ。

これがかの有名な「 Вываливающиеся старухи 落下する老婆たち 」(全編)である。
ハルムスの作品は、たいていこんなふうにシュールで不気味かつ不思議にキュートだ。ハルムスの醍醐味を味わいたいなら、ダニイル・ハルムス『ハルムスの世界』増本浩子・ヴァレリー・グレチュコ訳(モンキーブックス、2010)を読むといいだろう。本を開いた瞬間から目の前に不条理で魅惑的な世界が広がるはずだ。


Kharms.jpg

About 2011年7月

2011年7月にブログ「沼野恭子研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年6月です。

次のアーカイブは2011年8月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。