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ジョレス・メドヴェジェフ 『チェルノブイリの遺産』

Жорес Медведев ジョレス・メドヴェジェフ(1925年生れ)の 『チェルノブイリの遺産』 吉本晋一郎訳(みすず書房、1992)を携えて福島に行ってきた。
メドヴェジェフはロシア出身の生物学者だが、1973年に反体制活動を理由にソ連を追放されてからイギリスで研究を続け、1990年チェルノブイリ原発事故を総括的に検証する本を上梓した。その翻訳がこれである。



いわきの「勿来の関」に泊まり、文学歴史館で素晴らしくセンスのよい展示に感銘を受けた後、海岸線を北上して小名浜や四倉をまわった。いまだに道路脇でひっくり返っている乗用車。家財道具が根こそぎ流されて空ろな表情をしている家々。ここに住んでいた人たちは今どうしているのかと思うと悲しみがこみあげ胸を衝かれた。
さらに北上すると、交通量はめっきり減り、「災害派遣」と書かれた何台もの装甲車に白い防護姿の人たちが乗っていて、ものものしい。

福島原発から30キロ圏というすぐ手前まで行って思いだしたのは、メドヴェジェフの本に、チェルノブイリ事故直後「何千人もの妊産婦が堕胎を希望していた」と記されていたことだ。そこで1986年5月キエフやその周辺の町から15歳以下の子供、母親、乳幼児、妊産婦を避難させる措置が取られたという。
もちろん単純な比較は控えるべきだが、現時点で私たちにとって何より大事なのはやはり、乳幼児や妊産婦を放射能汚染から守ることだろう(チェルノブイリの子供たちが甲状腺ガンでどれほど苦しんできたかを思いださなければいけない)。
事故現場に近い地域の学校における放射能汚染度の暫定基準を「年間被曝量20ミリシーベルト」に引きあげるなどというのはそれに逆行する愚行であると思われる。

ちなみに 『チェルノブイリの遺産』 の表紙カバーは、7歳の子供たちがガスマスクをつけている写真。

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2011年5月 5日 13:03に投稿されたエントリーのページです。

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